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入学から、ちょうど1ヶ月。
季節はすっかり春から初夏へと移り変わろうとしているが、俺たち「はみだしカルテット」(※命名神崎先生)の学園生活は、完全に冬の時代――いや、絶対零度の氷河期を迎えていた。
そもそも、この稜風学園の構造自体が、俺たちの孤立に拍車をかけている。
俺たちが所属する特進クラス「英文科」と、その下の階にある「理数科」は、一般生徒が通う本棟から完全に隔離された特別棟にあるのだ。
休み時間に他クラスの生徒とすれ違うことすら稀であり、俺たちの人間関係は「女子26人:男子4人」という、あの1年A組の教室内に限定される。
だが、あの初日の自己紹介リレーにおいて、自らの手で特大の自爆テロをかました俺たち4人は、女子たちから『関わってはいけない四天王』という不名誉極まりない称号を授けられていた。
目が合えばサッと逸らされる、針のむしろのような毎日。
さらに悪いことに、初日のダメージを引きずって教室の隅で息を潜めていた俺たちは、部活動への入部という「学園生活における唯一のセーフティーネット」に加入するタイミングすら完全に逃してしまっていた。(特進クラスは、勉強に専念するという理念があるため4月を過ぎると部活に入れなくなるという無慈悲なルールがあるのだ)
結果、俺たちは学園内で完全に行き場を失い、休日のたびにこうして学園外で集まるしかなくなっていたのだ。
土曜日の午後。
俺は愛車のCBR250RRのエンジンを響かせながら、待ち合わせ場所である河原の土手を下っていた。
全員モテたくて始めた趣味なのだから、休日の集合場所といえば、当然のように「キャンプができる河原」一択である。俺が一番最後に到着したのは、決して寝坊したわけではない。漆黒のスポーツバイクで颯爽と現れる『遅れてきた主役』を演出するためだ。
――が、現実はそう甘くない。
スポーツバイクのタイヤは、河原特有の砂利と草混じりの悪路と絶望的に相性が悪かった。
ガタガタッ……ガクンッ、プスン。
無情な音が響き渡り、土手の斜面の途中でエンジンが沈黙する。
「うおっ!?」
前のめりにバランスを崩しそうになり、慌てて両足を出して地面をジタバタと蹴った。なんとか立ちゴケだけは防いだものの、免許取得から1ヶ月経っても、俺の運転技術は驚くほど上達していなかった。
遠くから、すでに到着していた3人の生温かい視線が突き刺さるのを感じる。
俺は必死に平常心を装い、ヘルメットの中で冷や汗をかきながらなんとかエンジンをかけ直し、ガタガタと情けない半クラッチで合流した。
「……お、おーっす! やっほー!」
俺は努めて明るいテンションで声をかけ、エンジンを切り、ヘルメットを脱ぎながら橋の下のスペースへ歩み寄った。そこにはすでに真須、氷室、篠山の3人が集まっていた。
しかし、どうも様子がおかしい。
真須が中腰になって、茂みに向かってしきりに手を伸ばしているのだ。
「おーい、こっち来い! 怖くないぞー! ほーら、美味い肉だぞー!」
「……おい真須。何やってんだ?」
俺が尋ねると、真須は振り返り、ニカッと白い歯を見せた。
「おう悠馬! 遅かったな! 見ろよ、この犬めっちゃ俺に懐いてんだぜ! さっきからずっと俺のそばから離れないんだ!」
真須が指差す先、河原の茂みの影には、薄汚れた中型の野良犬がいた。
だが、どう見ても懐いているようには見えない。犬は姿勢を低くし、鼻先に深いシワを寄せて、牙を剥き出しにしている。
「グルルルルルル……ッ!! ガウゥゥゥウウウッ!!」
「いやいやいやいや!!! めっちゃ怒ってんじゃねぇか!!」
俺が全力でツッコミを入れた瞬間だった。
「おっ、照れてるだけだって。よーしよし――」
「ギャウッ!!!」
空気を読めないサバイバルゴリラ(真須)が不用意に手を伸ばしたせいで、犬はついにブチギレた。真須の太い腕に、鋭い牙がガッツリと食い込む。
「いってえええええええ!? 噛んでる! こいつガチで噛んでるぞ!!」
「ほら見ろ言わんこっちゃねぇ!!」
パニックになった真須が腕を振り回すと、犬は一旦距離を取り、今度は俺と氷室の方へと標的を変えて猛ダッシュで突っ込んできた。
「うわああああ!? なんで俺らまで!!」
「逃げろ!! 狂犬だ!! 野良犬に噛まれるとかマジでやばいだろ!!」
休日ののどかな河原で、男子高校生3人が本気の絶叫を上げながら逃げ惑う。
ちなみに、篠山だけはいつの間にか安全な木の上に避難しており、「おおっ、上級国民の視点ってこんな感じなのか!!」などとほざきながら、上からパシャパシャとシャッターを切っていた。
「こっち来んな! ギャアアア!!」
「待て、行き止まりだ!! うわあああ!!」
足元の悪い石だらけの河原。背後からは怒り狂う野良犬。
逃げ場を失った俺、真須、氷室の3人は、もつれ合うようにして勢いよく――ザパァァァンッ!! と、春先のまだ冷たい川の中へと転がり落ちてしまった。
「ぷはっ!! つめたっ!!」
「クソッ……! 水の中じゃ俺の大胸筋もただの重りだぜ……!」
「意味わからんから一回死ね」
腰の高さまで川に浸かり、びしょ濡れになって咳き込む俺と真須。
だが、俺たちの隣でずぶ濡れになった氷室の様子が、どうもおかしい。
視線の先には、土手の上に置きっぱなしになっていた氷室のギターケース。なんとその犬は、俺たちを川に追い落とした後、これ見よがしに片足を上げ、氷室の愛するアコギのケースにジョワ〜ッと小便を引っかけたのだ。
「……ッ、おい。ふざけんなよ……」
いつも気怠げに前髪をかき上げ、デスメタルがどうの魂がどうのと呟いている中二病の氷室が、今は下を向いてワナワナと肩を震わせている。
そして、顔を上げた氷室の目は――完全に『本職』のそれ(マジギレしたヤンキーの目)だった。
「テメェ……! 半殺しにして臓物を川で洗濯してやろうかっ! このクソ犬ゥ!!!」
ドスの効いた、腹の底から響くようなガチの怒声。
中二病の欠片もない、純度100%のヤンキーのような凄みが、河原にビリビリと響き渡った。
「キャ、キャンッ!? ギャンギャンッ!!」
そのただならぬ殺気に、狂犬のごとく吠えていた野良犬は完全にビビり散らし、尻尾を巻いて一目散に茂みの奥へと逃げ去っていった。
静まり返る川の中。
俺と真須は、ポカンと口を開けて氷室を見つめていた。
「……う、うわぁ。氷室揶揄うと川に流されちゃうぞ〜(笑)」
「川で洗濯て。桃太郎じゃないんだから。あれ?かぐや姫だっけ?」
俺と真須が恐る恐る揶揄うと、氷室はハッとして我に返り、慌てていつものアンニュイな表情を作ろうとした。
「ち、ちげーよ! 今のはその……魂の波動が乱れただけで……てか、流石に人を川に流すのは《《もう》》しねぇよ!!」
「「……も、もう?」」
「あっ」
自ら特大の失言(過去に川に流したことがあるという事実)を放ち、口を押さえる氷室。
だが、俺たちの視線は、彼の言葉よりも『別の部分』に釘付けになっていた。
川に落ちたせいで、氷室がいつも着ているオーバーサイズの服が水に濡れ、肌にピッタリと張り付いていた。そして、袖から覗くその腕――。
(……なんか、腕ゴツくね? あいつ……?)
華奢でヒョロヒョロのサブカルバンドマンだと思っていた氷室の腕は、丸太のように太かった。筋肉バカの真須と同じぐらい……いや、筋繊維の密度で言えば、真須より引き締まっていてゴツい。
しかも、水に濡れて透けた肌や腕には、喧嘩でついたとしか思えない、生々しい『古傷』が無数に刻まれていたのだ。
「……お、おい氷室。なんだよ、その生傷……」
「お、お前……実はめっちゃ強いのか……?」
俺と真須がドン引きしながら尋ねると、氷室は気まずそうに視線を逸らし、バシャバシャと川から上がり始めた。
「……うるせぇ。洗濯されたくなかったらいいから早く上がれ。風邪ひくぞ」
「は、はい……っす」
「す、すんません……」
もやしである俺と真須は、三下のような弱々しい声で素直に返事をしてしまった。悲しきかな。
絶対零度の女子たちから逃げてきた先で、まさかのメンバーの『ガチすぎる元ヤンの過去』が発覚。
俺たちのはみだしキャンプは、波乱の幕開けとなったのだった。
⭐︎
狂犬の襲撃により、全身びしょ濡れになった俺、真須、氷室の3人。
なんとか岸に這い上がったものの、初夏の風に濡れた制服が張り付き、ガタガタと震えが止まらない。
「……やべぇ。このままじゃ確実に風邪ひくぞ」
「着替えなんて持ってきてねぇよ。どうすんだよこれ」
俺と真須が頭を抱えていると、安全地帯(木の上)に避難していた篠山が、首から下げた一眼レフをポンと叩きながら近づいてきた。
「しょうがねぇ奴らだなぁ。上級国民の俺が恵んでやるよ。イベント帰りで汗かいて着替えたやつだけど、一着だけ無地のTシャツがあるぞ。貸してやるよ」
「マジか! 下級戦士の篠山、お前めっちゃ気利くじゃねぇか!」
「サンキュー! クソロリコン。助かるぜ!」
俺たちは喜んで篠山のリュックに群がり、ひったくると同時に中身をひっくり返した。
「あ、ちょっ、待て……! それは……!」
篠山が珍しく顔を引きつらせて焦るが、時すでに遅し。
ドサッ。
リュックの中から出てきたのは――無地のTシャツ1枚と、日曜朝の女児向けアニメ『魔法少女プルルン(6歳)』のコスプレ衣装(女児用サイズ)、そしてどう見ても小さすぎる体育用のブルマだった。
「…………」
「…………」
「……一応通報する前に聞くだけ聞いてやる。おい篠山。これはなんだ?」
俺が低い声で問い詰めると、篠山は引きつった爽やかな笑顔で後ずさりした。
「あ、いや、はは……。念のため持ってたというか、週末の被写体撮影用の衣装なんだけど……戦利品というか、なんというか。ま、まぁとりあえず、警察を呼ぶのだけはちょっと待ってほしいかな……」
「念のためで女児服とブルマ持ち歩く高校生がどこにいる!! 迷わず通報するぞ!!」
だが、ツッコミを入れている場合ではない。真っ当な服(無地のTシャツ)は1枚しかないのだ。
「俺が着る!!」
「いや俺だろ!!」
「俺に寄越せ!!」
生き残りをかけた、壮絶な服の奪い合いが始まった。
しかし、結果は火を見るより明らかだった。
相手は、規格外の大胸筋を持つサバイバルゴリラ(真須)と、先ほど川でガチのヤンキーの凄みを見せつけて犬を退散させた男(氷室)である。
幼い頃からピアノの椅子にしか座ってこなかったヒョロガリの俺が勝てるわけもなく、開始0.2秒で宙を舞い、河原の石の上に無残に転がされた。
「……なんで、俺がこんな目に……」
数分後。
そこには、全身にピチピチの『魔法少女プルルン』の衣装を着て、寒さで震える悲しき主人公の姿があった。
「ていうかさ……」篠山が不思議そうに首を傾げる。「それ、ちょっとサイズ大きいやつとはいえ、小学生用だぞ? なんで着れてるんだよ……」
「モヤシすぎだろ!! ギャハハハハ! 悠馬、超似合ってんじゃん!」
「そのピチピチ具合が絶妙にキモくて最高だぜ! ちょっと写真撮らせろよ、パシャ!」
「うるせぇ!! 撮るな! 殺すぞ!!」
腹を抱えて笑い転げるメンバーを睨みつけながら、俺は濡れた服を愛車のCBR250RRのミラーに引っ掛けて乾かしていた。
ちなみに、ジャンケンに負けてブルマを押し付けられた氷室は、ずぶ濡れのズボンの上から無理やりブルマを穿くという、さらに意味不明なヤバい変態スタイルになっていた。
すると、Tシャツを勝ち取った真須を横目に、ブルマ姿の氷室がふらりと俺のバイクに近づいてきた。
「……お前、なんで2ダボ(CBR250RR)なんて高いバイク乗ってんだ? 250ccにしてはかなり贅沢だろ? 速いの乗りたければ400でもいいし、安いのならNinjaとか250Rでもよかっただろ?」
「あー、いや。バイクを好きになるきっかけをくれた人が、CBR1000RRに乗っててさ。同じ排気量じゃないけど、乗るなら絶対こいつって決めてたんだよ」
俺がピチピチの魔法少女姿で熱く語ると、氷室は感心したようにバイクのタンクを撫でた。
「ふーん、いいじゃん。俺、そういう一本筋の通った話、嫌いじゃないぜ。……後で俺にも乗らしてよ」
「えっ?」
「え?」
俺と氷室は一瞬、言葉に詰まった。
(あれ? 氷室って免許持ってないよな? ていうか、16歳になったばかりだし、教習所に通ってる様子も……)と言う視線のもと俺はジト目を向ける。
(あれ、なんか俺おかしいこと言ったか? バイクなんて小学生の頃からよく乗って……)
「え? ん? あー!」
氷室は俺の視線の意味に気づき、ハッとして顔をそむけた。
(や、やべぇ。元ヤン時代に普通に無免許で乗り回してた感覚で喋っちまった……!)
という心の声が、顔にハッキリと書いてある。
「い、いや! 跨がらせてってことよ! エンジンかけずに! か、かっこいいじゃん、このバイク!」
氷室は必死に中二病っぽいポーズを作って誤魔化そうとしている。
「あ、あぁ……。跨るだけなら、まぁ……うん……」
「……あ、あぁ! あれ! なんか来てるぞ!?」
自分の失言を誤魔化すように氷室が叫んだ。俺たちがそちらを見ると、土手の上から足音が聞こえてきた。
「ホントだ。高校生かな?」
通りかかったのは、キャンパスに向かう途中らしき女子大生のグループだった。
(((お、女だ……!!)))
俺たち4人は、まるで訓練された特殊部隊のように、ビクッと反応した。
『今だ。俺たちが、ただの高校生とは違う「大人の余裕」と「男の魅力」を持った集団であることを知らしめるチャンスだ!』
俺たちは無言で視線を交わし合い、ゆっくりと、そして一斉に女子大生たちの方へと振り返り――キリッとしたドヤ顔を決めた。
「「「…………(ビシッ)」」」
だが、女子大生たちの視界に映ったのは。
びしょ濡れのズボンに無地Tシャツを着た巨漢(真須)と、目つきの悪い顔でブルマを穿いた男(氷室)、それを見ながらカメラを構える無表情の男(篠山)。
そして何より――真顔でカッコつけながらスポーツバイクに寄りかかる、『ピチピチの魔法少女の服を着た男』(俺)であった。
「……え、なに今の……。キモっ」
「ねえ、今の見た? 一斉にこっち向いたよ……しかもピンクのフリフリ着てたよね……怖……」
「やばい、面白そうだと思ったけどあれは関わっちゃダメなヤバい奴らだ。早く行こ」
女子大生たちは、俺たちの「魂の共鳴」を1秒で理解したのか、目を見開いてゾッとした表情を浮かべると、小走りでその場を去っていった。
「…………」
「…………」
「…………」
「こっち見んな!!!」
静寂が戻った河原で、真須がポツリと呟く。
「……なぁ、俺たちの魅力、なんか間違って伝わってないか?」
「いや、あいつらの感性が腐ってるだけだ……」
「そ、そうだよ。俺たち別に、悪くはないよな? お、俺たちのカッコよさが、あいつらには早すぎたんだ……」
「いやぁ。1人やべーカッコつしてるやついるからしょうがないよ。俺だけならいつもみたいにナンパされてただろうけど!!」
必死に傷を舐め合う親友たちを前に、俺はピチピチのプルルン衣装の裾を引っ張りながら、虚ろな目で突っ込んだ。
「この服の持ち主でもあるバカの戯言は置いといて、どう見ても俺たちのこのヤバい格好のせいだろ……」
気まずすぎる空気が河原を包む。
その空気を誤魔化すように、氷室が無言で黒いケースからアコギを取り出した。
「……お前ら、安い言葉で慰め合うのはやめにしようぜ」
氷室は、スマホで爆音のデスメタルを流しながら、逆向きに構えたアコギをかき鳴らした。
ボロン……ッ。ビターン……。
全くチューニングの合っていない、絶望的に下手くそな不協和音が、夕暮れの河原に虚しく響き渡った。
氷室が逆向きに構えたアコギから放たれる、絶望的に下手くそな不協和音。
少し離れた場所では、真須が組んだ薪から虚しく白い煙だけが上がり、篠山が撮った写真は手ブレで心霊写真のようになっていた。
沈黙が落ちる河原。
俺はピチピチの『魔法少女プルルン』の衣装のまま、ポツリと核心を突いた。
「……なぁ。お前ら……。もしかしてだけど、モテたくて最近その趣味始めただけで、実はめちゃくちゃ初心者なんじゃねぇの?」
「うっ……」
「そ、そんなことは……」
「ま、まっ、ま、まさか、この中学時代はモテモテで有名だった俺がそんな俗な考えしてるわけないじゃないかっ!」
図星だった。
キャンプ好き(火起こし不可)、カメラ好き(ロリコン)、バンドマン(弾けない)。
女子にモテるための「カッコいいステータス」だけを表面上なぞった結果、俺たちは誰一人として中身の伴っていないハリボテの集団だったのだ。(……いや、よく考えたらロリコンに関してはフェイクの趣味じゃなくて、ただの悪口とガチの性癖だよな)
「いや、とはいうけど優馬だってエンストしまくってんじゃん。お世辞にもバイク乗り! って雰囲気出しといて運転上手くないだろ」
「正直俺のがうまいぞ、あ、いや。運転したことないけど……」
「う、うるせぇやい!! そ、それよりどうすんだよこれ……。火もつかねぇし、飯も食えねぇぞ」
せっかく真須が肉を持ってきたのに、これじゃ生肉をかじる野生動物だ。
「……てか真須。念のため聞くけど、それ、ガチの鳩じゃねぇよな?」
「…………」
「な、なぁ!! なんか言えよ!! 目を逸らすな!!」
俺たちが絶望で肩を落としていると、無表情の篠山がスッとスマホを取り出した。
「しょうがないな。地元の友達に聞いてみるよ」
「えっ?」
篠山は慣れた手つきでフリック入力し、誰かとLINE通話を繋ぎ始めた。
「あ、もしもし? 急に悪いな。うん、今キャンプしてんだけどさ、薪が湿っててさ……ああ、なるほど。空気の通り道ね。うん、わかった。サンキュー」
電話を切った篠山は、手際よく薪を組み直し、あっという間に綺麗な火種を作り上げた。
「お前……友達いんのかよ!?」
俺と真須が驚愕の声を上げると、篠山はきょとんとした顔をした。
「いるよー。中学の時だけは結構顔広かったからな。顔だけは。……それに、女子にも結構モテたし」
「いや、それは絶対に嘘だろ」
「う、嘘じゃないもん!!」
このロリコン盗撮魔。知り合って1ヶ月だが、実は空気を読むのがめちゃくちゃ上手く、普通にコミュニケーション能力が高い「陽キャ寄り」の人間だったのだ。(なぜそのコミュ力をあの自己紹介で活かせなかったのかは謎である)
「……なんか、お前だけまともな人間関係築いててムカつくな」
俺がジト目で睨むと、篠山は自嘲気味に笑って肩をすくめた。
「俺なんて広く浅くだよ。何にも本気で頑張れないし……だからさ、悠馬みたいにピアノとか、一つのことに熱中できるのって、素直にすげーと思うよ」
俺は複雑な気持ちでため息をつき、氷室が抱えていたアコギをひったくった。
ズシッと手に伝わる、木の温もりと弦の感触。
俺は慣れた手つきでペグを回し、数秒でチューニングを合わせた。
「俺、ずっと親に言われてピアノばっか弾いてて……友達とか全然いなかったからさ。こんなことしかできねーけど」
俺は、篠山が起こしてくれた焚き火の炎を見つめながら、アコギの弦を弾いた。
激しいデスメタルではない。夕暮れの河原に合う、どこか切なくて、それでいて力強いアコースティックギターのメロディ。
ピアノで鍛え上げられた指先がネックの上を滑り、素人目にも分かる超絶技巧のアルペジオが夕暮れの空に響き渡った。
「す、すげぇ……!!」
氷室が目をひん剥いて俺の手元を凝視している。
「お前、なんでそんなに弾けんだよ!? マジで魂鳴ってんじゃねぇか……!!」
「……いろんな楽器がうちに置いてあったからな。有名なコンクールで賞取ったり、海外の演奏会にも行ったけどさ。その代わり、外でスポーツもさせてもらえなかったし、指を怪我するからって料理もしたことないし、調理実習で包丁も握ったことないんだよ。だから俺から見たら、真須の筋肉とか、アウトドアできるのとか、マジでカッケーと思うぜ」
先ほどまで俺を「偽物」扱いしていた元ヤン(?)中二病が、完全に俺をリスペクトする目を向けていた。
俺の演奏で場が温まってきた頃、河原の茂みをガサゴソと漁っていた真須が戻ってきた。
その両手には、何種類もの青々とした葉っぱや茎が抱えられていた。
「へへっ、見てくれよ。たんぽぽにセリにノビル、それにヨモギだ」
「お前……それ、その辺の雑草じゃねぇか。食えんのか?」
俺が疑いの目を向けると、真須は屈強な体を少し縮こまらせて、照れくさそうに頭を掻いた。
「たんぽぽはヨーロッパじゃ普通に食用で使われてるんだぞ! 根っこはコーヒーにもなるし……。漢方にもなるんだぞ。……俺、昔はヒョロヒョロでいじめられっ子だったんだよ。ずっと机に向かって勉強ばっかしてたんだけど、ある人に助けられて、筋トレにハマってさ。キャンプとかはしたことなかったけど、息抜きにこういう地味な植物の図鑑とかずっと読んでて、いつか自然の中でやってみたいって思ってたんだ」
筋肉ゴリラだと思っていた真須は、実は地道な努力と勉強を愛する、真面目な男だった。
「……なるほどな。歩く植物図鑑が食えるって言うなら、餓死するよりはマシか」
俺たちがその野草をどう調理したものかと悩んでいると、無言で立ち上がった男がいた。氷室だ。
彼は「……しゃーねーな」と呟きながら、真須がサバイバル用に持ってきていたナイフと、最初に自慢していた『野生のハト肉』を手に取った。
トトトトトトッ!!
目にも留まらぬ見事な包丁さばき。
氷室はハト肉を細かく刻んで炒め、野草を手際よく下茹でしてナムル風に味付けしていく。
そして、持っていたコチュジャンやごま油などの調味料を絶妙な分量で合わせると、焚き火で熱した『平らで大きな自然の石』の上に、飯盒〈はんごう〉で炊き上がった米と具材を一気に乗せた。
ジュワァァァァァッ!!
ガチの石焼である。米が焦げる最高の音と共に、あっという間に食欲をそそる香ばしい匂いが河原に広がった。
「完成だ。特製・野草とハト肉の石焼ビビンバ風」
「……お、お前、めちゃくちゃ料理美味いじゃねぇか。手際プロかよ」
俺が唖然として言うと、氷室は前髪の奥の目を少し伏せた。
「……しゃーねーだろ。俺、親父がいなくてさ。ママンが女手一つで毎日働きづめだったから、昔からずっと俺が自分で飯作ってたんだよ。……まぁ、昔はちょっと荒れちゃった時期もあったけどな」
「「ちょっと……?」」
(なるほど……あの初日の『ママンが大絶賛してくれた』ってのは、ただの痛いマザコン発言じゃなくて、苦労して育ててくれた母親への純粋なリスペクトだったのか……)
氷室は、石の上で出来上がった熱々のビビンバをかき混ぜ、おこげと一緒に小さな紙皿に取り分けて、俺たちに差し出した。
「……でも、こうやって誰かに自分の飯を振る舞うのは初めてだ。今は、お前らがいるしな」
氷室は、顔を真っ赤にして、少しだけ嬉しそうに、照れくさそうに笑った。
「…………」
俺たちは無言でその紙皿を受け取り、一口食べた。
「……う、うめぇ」
真須がボロボロと大粒の涙をこぼした。
「なんだこれ、バカ美味えじゃねぇか……!鳩のくせに!!」
「おい真須! お前ガッツキすぎだろ! 俺の分も残せ!」
「やばい、これ写真に撮って……いや、撮る前に食う!!」
俺たちはピチピチの幼女服を着たまま、びしょ濡れになって、美味すぎる氷室の料理を泣きながら奪い合った。
夕陽が沈みかける河原。
女子からは完全に孤立し、モテるための虚勢はすべて剥がれ落ちたけれど。
「いや、なんやこれ……エモ……」
篠山が泣き笑いのような顔で呟く。
「最高だぜお前ら!! 俺たち一生友達、いや、親友だぜ!!」
真須が夕陽に向かって叫ぶと、氷室が力強く頷いた。
「当たり前だ。俺たちの魂の絆は、永遠に切れることはねぇよ」
篠山も満面の笑みでカメラを構える。
「一生親友、間違いないね。この最高の瞬間を、俺のレンズに永遠に刻んでおくよ」
俺も、腹の底から笑いながら拳を突き出した。
「女なんていらねぇ! お前らがいれば、俺たちの青春は最高だぜ!!」
「「「おう!!!」」」
バカで熱くて、最高にダサい俺たちの青春。
ラブコメみたいなキラキラした女子はいなくても、俺たちにはこれがあれば十分だ。
そう、虚勢100%の誓いを立てて、俺たちは笑い合った。
――だが。
この時の俺たちはまだ知らなかった。
その日の帰り道、俺のスマホに1件の通知が届き、それが後日起こる『裏切りの火種(氷の女王との密会写真)』への前触れとなることなど。
そして、この『一生の親友の誓い』が、あんなにもあっけなく崩れ去ることなど、知る由もなかったのだ。




