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青春はみだしカルテット  作者: たんそく
16/33

1話

 1年A組の教室は、水を打ったような静けさに包まれていた。


 今日の午後の授業は、我らが担任でもある神崎先生(日本史)の急用に伴う自習時間だった。

 教壇では、代理で監督に入った白髪交じりの数学教師(56歳・女子生徒からのあだ名は『妖怪ねっとりジジイ』)が、分厚い眼鏡の奥から生徒たちをねっとりと見回しつつ、小テストの丸つけをしている。常に女子のスカート丈をやたらと気にするため、俺たちと同等、いや、あるいは実害がある以上、俺たち以上に絶望的に不評を買っている変態ジジイである。


 クラスの女子たちは、そんなジジイと極力目を合わせないようにしながら、真面目にノートを開き、カリカリとシャーペンを走らせていた。

 そんな中、教室の一番後ろの席陣取る俺は、机の下でこっそりとスマホを弄っていた。


(あー、暇だ。複素数平面とか見てるだけで吐き気がする。……そうだ、昨日家で読んでた漫画の続きでもこっそり読も)


 俺は隠密行動のプロさながらの淀みない手つきでブラウザを開き、お気に入り登録していたサイトのブックマークをタップした。

 しかし、読み込みが遅かったせいで、画面に突如として現れた『いかがわしい海外サイトのバナー広告』を、運悪くど真ん中で誤タップしてしまったのだ。


 その瞬間である。

 俺のスマホが『マナーモード』になっていなかったことに気づいたのは。



 ドンチッ……♪ ドンチッ……♪

『Hey guys! We have a gift for you——』



 シンと静まり返った教室に。

 高音質なスマホのスピーカーから、世界中の青少年が(そして一部の大人たちも)夜な夜な大変お世話になっているであろう、『あの世界一有名な海外サイトの伝説のイントロ』が、鼓膜を揺らすほどの爆音で鳴り響いた。


「…………ッ!!?」


 1.2秒。

 俺の右手の指先は、人類の進化の限界を超える速度(光速)で音量DOWNボタンを連打し、音を完全に消し去った。

 俺は一切の表情を崩すことなく、光の速さで何食わぬ顔に戻り、机の上のシャーペンを握り直した。


 そして、真っ白なノートに向かって、まるでオイラーの公式という宇宙の真理を今まさに解き明かしているかのような、真剣かつ知的な眼差しを向けた。


(い、今の1.2秒……!! 頼む、誰にも俺のスマホから鳴ったとはバレていないはず……!!)


 俺は背中を滝のような冷や汗が流れ落ちるのを感じながらも、顔だけは「ふむ、この公式は……」という平然を装った表情を作り、視線だけを動かしてクラスの反応を窺った。


「……え? 今の何?」

「なんかの英語のリスニング? 誰かのスマホ鳴った?」

「なんかすごいノリノリの変な音楽だったねー」


 前の方の席に座る女子たちは、不思議そうにキョロキョロと周りを見渡しているだけだった。

 あの重低音のイントロが持つ『真の意味(いかがわしさの極み)』を理解している純真な女子など、この特進クラスには一人も存在しなかったのだ。


(た、助かった……!! 女子には全くバレてない……!!)


 俺が心の中で神に感謝の祈りを捧げた、その時。

 斜め前の席に座る真須。

 右隣の氷室。

 そして、俺の目の前の席に座る篠山。

 俺たち「はみだしカルテット」の3人のバカどもが、見事に机に突っ伏したまま、肩をガクガクと激しく震わせていた。


「P○rnohuvのっ……んぐっ……! ぶふっ……!」

「ひっ……! げほっ……!」

「ふびっ……! んほっ……!」


 奴らは顔を腕に埋め、耳まで真っ赤にして必死に笑いを堪えている。

 こいつらは100%、あのイントロの意味と、それが誰のスマホから鳴ったのかを完全に理解している。

 だが、この教室における地獄はそれだけではなかった。


「ンフッ、ブホォッ!?」


 教壇の方から、奇妙な破裂音が聞こえた。

 見ると、丸つけをしていたはずの『妖怪ねっとりジジイ(56歳)』が、赤ペンを握りしめたまま完全にフリーズしていた。


 ジジイは顔を茹でダコのように真っ赤に染め上げ、必死に笑い――いや、あからさまな動揺を堪えるために、唇から血が出るほど強く噛み締めている。


 そして、プルプルと震える手で、採点中の小テストの用紙に、ミミズが這いずり回ったような意味不明な波線を書きなぐっていた。

 数秒の沈黙の後、ジジイは耐えきれなくなったようにガタッと席を立った。


「……ちょ、ちょっと。先生は急用で、トイレに行ってくる。しっかり自習をしておくんだぞ」


 裏返った声でそう言い残し、ジジイは小走りで教室から逃げるように出て行った。


(お前ら全員、意味分かってんじゃねーか!! っていうかジジイ!! お前なんであのイントロでトイレに行ったんだよ!! トイレでナニする気だよ!! 絶対あのサイトのヘビーユーザーだろ!!)


 俺は机の下で、一人静かに社会的な死の淵から生還した余韻と、この教室に蔓延る男たちの業の深さに震え続けていた。



⭐︎



 キーンコーンカーンコーン――。


 自習の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。

 その直前、わずか5分ほどでトイレから教室に戻ってきた『妖怪ねっとりジジイ』は、なぜか憑き物が落ちたような、あるいは深い悟りを開いた直後のような、妙にスッキリとした顔をして教壇に立っていた。


 その、あまりにも分かりやすい『賢者モード』の表情を見て、隣の氷室が信じられないものを見るような目でボソッと呟いた。


「……いくらなんでも、早すぎんだろ。ウルトラマンより短いぞ。あのジジイ、早漏かよ」

「「「ブフォッ!!?」」」


 その身も蓋もない、エグすぎるストレートなツッコミに、俺たち『はみだしカルテット』の腹筋は完全に限界を迎えた。

 机に突っ伏したまま、息もできずに肩を震わせ、酸欠で視界がチカチカするほど爆笑を吹き出してしまった。


 チャイムが鳴り終わり、ジジイが逃げるようにそそくさと教室を去っていくと同時に、俺の机には3人のバカどもが一斉に群がってきた。


「ギャハハハハハ!! ヒィッ、お前、マジで死にたいのか悠馬!!」


 真須が大声で笑いながら、丸太のように太い腕でバンバンと俺の背中を容赦なく叩きまくる。


「自習中の静寂の中で、あの伝説のイントロを爆音で流すとか完全にテロリストかよ!! 威力がデカすぎて腹よじれるかと思ったぜ!!」

「笑い事じゃねぇよ!! 俺の高校生活がさっきガチで終わるかと思ったわ!!」


 俺が涙目で背中をさすりながら抗議すると、氷室と真須が腹を押さえ、涙を拭いながらヒィヒィと引き攣った笑いを漏らした。


「いや、マジであの絶妙な間の自爆テロ、神がかってやがった……! しかも先生の顔見たか!? 一瞬で顔真っ赤にして、その後トイレからあのスッキリした顔で戻ってくるって……絶対毎日あのサイト見てる反応だったぜアレ!」

「その後の氷室の『早漏』発言で、完全にトドメ刺されたわ!」

「頼むからその話はもうやめてくれ……! マジで氷室のツッコミのせいで、笑い堪えるのに心臓が止まるかと思ったんだからな……!」


 俺が机に突っ伏してげっそりしていると、目の前の篠山が、一人だけ真顔で前髪をフッと払い、ニヤリと口角を上げた。


「フッ……見事な自爆テロだったぞ、悠馬。あの張り詰めた空気、まさに戦場だった」

「だから自爆って言うな。ただの不慮の事故だ」

「だがな……お前一人が自爆して、カルテットの面白いところを全部持っていった(目立った)だけで終わってたまるかっ!」

「いや、これ『面白い』じゃなくて、ただの消し去りたい黒歴史の1ページだからな!? お前は何と張り合ってんだよ!」


 俺の正論ツッコミを華麗にスルーし、篠山はギラついた目でそう宣言すると、教室の後ろにある自分のロッカーへと一直線に向かった。

 そして、中から何かを取り出すと、自慢げにこちらへ戻ってきた。


「……おい。なんだよそのデカい段ボール箱」


 俺は目を疑った。

 篠山が抱えていたのは、人間が一人余裕で体育座りできそうなサイズの、不自然なほどデカい段ボール箱だった。


「フフフ……。次の時間のホームルーム、俺はとっておきのエンターテインメントを仕掛ける。名付けて『はみだせ! 動物の森大作戦』だ!」

「いや、作戦名からして嫌な予感しかしないんだけど! お前、それ使って何する気だよ!」

「細けぇことはいいんだよ! 優秀なスパイは常に最高の装備カモフラージュを携帯しているものだ! いつかやろうとは思ってたけど、この日のために頑張って作ってたんだから。というわけで、俺はちょっと作戦の準備をしてくるぜ。お前ら、震えて待ってろ!」


 篠山は俺たちの制止も聞かず、巨大な段ボール箱を大事そうに抱えながら、なぜか嬉しそうにルンルン気分で鼻歌を歌いながら教室の外へと飛び出していった。


 女子たちが「またあの4人がバカなことやってる……」「粗大ゴミかな?」「キモいから近づかないでおこ……」と氷点下の冷ややかな視線を送ってくる中。

 残された俺、真須、氷室の3人は、顔を見合わせてポカンと首を傾げた。


「……あいつ、何しやがるつもりだ?」

「さあな。あの中にヤバいもんでも隠してんのか?」


 俺たちが呆れ果てていると、ふと氷室が思い出したように口を開いた。


「そういえば今日、ホームルームちょっと長引くかもって神崎先生言ってなかったか?」

「えっ? そうだったか?」


 真須が首を傾げる。


「ほら、なんか、転校生が? 留学生が? 来るみたいな話なかった?」

「あー。そういえば今日だっけ? あ、そか。だから神崎先生居なくて自習になってたんか」


 俺もその噂を思い出し、ポンと手を打った。



「確か、ヨーロッパの方から来る超優秀な留学生が、うちのクラスに入るって話だったよな。今日からだっけ、か……?」

「「…………」」


 俺、氷室、真須の3人は、無言のまま、先ほどまで篠山が立っていた教室の入り口を見つめた。


(……待て。これから、ヨーロッパから来た優秀な留学生が、初めてこの教室に足を踏み入れる記念すべきホームルームで)

(篠山は、あの不審なデカい段ボール箱を使って、嬉しそうに『はみだせ! どうぶつの森大作戦』とかいう奇行を仕掛けようとしているのか……?)


 俺たち3人の顔に、先ほどの『動画サイト爆音テロ』とはまた違う種類の、嫌な汗がツーッと流れ落ちた。


「おい、まさかあいつ……」

「……嫌な予感しか、しねぇ」


 国際問題に発展しかねない最悪の事態の足音は、俺たちが気づかないうちに、すぐそこまで迫ってきていた。


二章。15話ぐらいを予定してます。

章設定がうまくいかないので、そのうちどうにかします。


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