14
俺はCBR250RRのアクセルを捻り、市民ホールから一直線に学校へと向かった。
正門前に到着すると、そこには見慣れたむさ苦しい男3人が、なぜか横一列に並んで待ち構えていた。
「おっせーぞ悠馬! 楽譜なら俺たちが確保したぜ!」
真須が分厚い大胸筋を張りながら、一冊の楽譜を天高く掲げている。
「お、お前ら……! 休日なのになんでここに!?」
俺が驚いてバイクを停めると、篠山がドヤ顔で前髪を払った。
「フッ、困った時はお互い様だろ? 俺たちのネットワークを甘く見るなよ」
「へっ、俺たちカルテットの連携を舐めんなよ! 教室から速攻で回収してきたぜ! 休日でも親友の為なら地獄だって駆けつけるぜ」
「マジで助かった! 今は1分1秒が惜しかったから、最悪このままバイクで特別棟の音楽室まで乗り込もうかと思ってたわ! 結衣が機転を利かせて電話してくれたんだな。あいつに感謝のLINEでもしといてくれよ!」
俺が言うと、真須がキョトンと首を傾げた。
「え? いや、俺にSOSの連絡来たの、委員長からだけど」
「そもそも高梨さんの連絡先持ってねぇし……」
「右に同じく」
「……およ?」
俺は思わずスロットルにかけた手をピタリと止めた。
(……えっ。こいつら、結衣の連絡先知らないの?)
ちなみにクラスのグループLINEはあるが、俺たちはたまに招待されてもすぐ理不尽にキック(追放)されるため、そこから個別に連絡を取ることは不可能に近い。
「ってことは篠山……お前、連絡先すら知らないからこそ、わざわざボウリング場で遠くから結衣の姿を盗撮して、隣にいるように見える『匂わせトリミング画像』をトプ画にしてたのか……!?」
「ギクうぅ!」
あまりの哀れさに、俺の目からスッと涙がこぼれそうになった。
「お前……あんなにボウリングでペア組んで『姫〜!』とか言って、ジュースの割合でキレられながら奴隷プレイで仲良くしてた感あったのに……結衣とLINE交換してないのかよ……」
「う、うるせぇ! 俺たちはピュアな付き合いしてんだよ!!」
「文通でもしてるんでちゅかねぇ〜」
「黙れこのクソやろう!!!」
篠山が顔を真っ赤にして吠える。相変わらず哀れな男だ。
すると、真須がニヤニヤと笑いながら横槍を入れた。
「あー。というか、むしろ連絡先知らないから高梨さん移ってる画像使ったんじゃない? バレることないしって思って」
「まあ、俺たちにすぐバレてフルボッコにされたけどねwww」と氷室が肩を揺らす。
「まあ気にするな」
氷室が自分のスマホを見つめながら、フッと遠い目をした。
「俺なんて、先週望月さんに俺の魂の叫び(自作のポエム歌詞)を送ったんだけど、一向に返信がないから、それに自作のアンビエント・デスメタルを乗せた音声ファイルを追加で作成中なんだが、反応が楽しみだぜ」
「……それ、絶対ブロックされてるだけだろ」
「いや、安心してくれ。彼女はおそらく照れてるだけだろう。この曲を送ったらどんな反応が来るか楽しみだぜ。プロ意識が高いからな」
「ブッ……!! お、おう……。完成したら、あとで俺たちにも聞かせてくれよwww」
「プククッ……最高傑作になりそうだなwww」
真須と篠山が腹を抱え、必死に吹き出すのを堪えながら引き攣った笑いでフォローを入れる。
こいつら、相変わらず脳内がお花畑すぎる。
(ていうか氷室、お前アコギすらまともに弾けないのにどうやって曲作るんだよ……)
「とにかく、これが欲しいんだろ!! 受け取れ!」
真須が陸上のリレーさながらの熱い連携プレイで、俺に楽譜をバトンパスしてきた。
「サンキュ! マジで助かった!」
「駅に向かうなら、駅前の大通りより一本裏の県道抜けろ! 今日は日曜日だから、そっちの道のが絶対空いてるぜ!」
「了解!!」
俺はすぐさまバイクを反転させ、白雪が立ち往生している駅へと爆音を響かせて急行した。
――バイクの排気音が遠ざかっていくのを見送りながら。
残された青春カルテットの3人は、ニヤリと悪巧みをするような笑みを浮かべていた。
「……へっ。こんだけ俺たちがファインプレーで協力してやったんだ」
「あぁ。悠馬のやつには、またあのメンバーで新しく合コン組んでもらわなきゃ割に合わねえな?」
「違いない。断ろうもんなら、あいつの女装写真や、魔法少女プルルン(6歳用)のコスプレを着せようとしてる写真はいくらでも焼き増しできるからな……」
「次は絶対に俺のイマジナリー・プリンセスを現実に……フフフ」
数分後。
駅のロータリーの端。行き交う人々の喧騒の中で、一人ポツンと座り込み、絶望に顔を伏せている小柄な少女の姿を見つけた。
俺はシフトダウンしてエンジンブレーキをかけ、彼女の目の前に漆黒のCBR250RRを滑り込ませた。
「――乗れよ。俺のタンデムシート、お姫様のために空けて待ってたぜ!」
俺がヘルメットのシールドを上げてドヤ顔で声をかけると、白雪は弾かれたように顔を上げた。
「結城くん……っ!」
涙目で俺を見つめる白雪。だが、すぐにその表情が再び絶望に染まる。
「でも、楽譜が……私、学校に忘れて……」
「持ってきたよ。ほら」
俺はジャケットの内側から、さっき真須たちから受け取った楽譜を取り出して見せた。
「俺たちのバカな親友からの、最高のパスだ」
「あっ……!!」
白雪の瞳に、一気に光が戻る。
「出番まで時間ねぇぞ! 早く乗れ!」
俺は急かしながら、先ほどまで結衣が被っていた予備のヘルメットを白雪に渡し、強引に後ろのシートへと乗せた。
「しっかり掴まってろよ!」
彼女の小さな両手が俺の腰にギュッとしがみつくのを確認し、俺はクラッチを繋いで一気にアクセルを開けた。
(……おっふ。絶壁の結衣と違って、背中に柔らかくて嬉しい感覚が……!!)
俺は内心でこっそりとガッツポーズをキメた。
風を切り裂き、大通りを走り出してしばらくした時のことだ。
俺の背中にしがみついていた白雪が、ヘルメットの中でふと息を吸い込み、訝しげな声を上げた。
「……ちょっと待って。このヘルメット、なんか甘いシャンプーの匂いがするし……内側のパッドに、うっすらファンデーションのお化粧ついてない……?」
「えっ」
「結城くん、もしかして……私を迎えに来る前に、女の人乗せた? これ、結衣さんのファンデーション? ふぅん……?」
(鋭い!! さすが氷の女王、絶望の淵から救い出された直後でも女の勘は健在かよ!!)
「ち、違う! それはさっきまで妹を乗せてて……!」
結衣と一緒にいたとは口が裂けても言えないため、俺は咄嗟に「妹」という嘘をついた。
「ふーん……? 妹、ねぇ。結衣さんは妹みたいな存在って感じ?」
「探るな! いいから今はしっかり掴まってろ!! マジで間に合わなくなるぞ!!」
「わ、分かったわよ!」
少し不機嫌そうにしながらも、白雪は俺の腰に回す手の力を少しだけ強めた。
俺たちは一路、コンクール会場の市民ホールへ向けて猛スピードで駆け抜けていった。
初夏の生ぬるい風を切り裂き、漆黒のCBR250RRは大通りを抜け、比較的車通りの少ない県道へと入った。
エンジンの低い振動と、風切り音だけが耳を支配する空間。
俺の背中には、白雪がギュッと小さな両手を回してしがみついている。その柔らかい感触と温もりが背中越しに伝わってきて、俺は密かに平常心を保つための戦いを強いられていた。
「……緊張、するか?」
俺がヘルメット越しに声をかけると、背中の白雪が小さく頷く気配がした。
そんな中、コンクールへの不安を紛らわせるためか、あるいは沈黙が怖かったのか。
風の音に負けないよう、白雪がヘルメット越しに大きな声を張り上げてきた。
「ねぇ、結城くん!」
「んっ!? な、なんだよ!」
「私ね、ピアノを本格的に始めたのが中学生の時だって言ったでしょ!? なんで始めたか、話したことなかったわよね!」
バイクの背中という非日常的な空間が、彼女の口を滑らかにしているようだった。
白雪は、俺の背中に顔を押し付けるようにして、ポツリポツリと自分の『原点』を語り出した。
「うち、代々病院を経営してる家系でね。親戚もみんな理系の医者ばかりなの。だから私も、将来は絶対に医学部に進んで医者になるものだって、小さい頃から厳しく育てられてきたわ」
「へぇ……(冗談で氷の女王とか言ってるけどマジのお嬢様じゃねーか)」
流れる景色の中、彼女の声だけがまっすぐに届く。
「両親が病院の経営で忙しかったから、私、おばあちゃんの家で育ったの。おばあちゃん、昔、国連で通訳の仕事をしてて、世界中を飛び回る凄くかっこいい人だった。私、おばあちゃんに憧れてて、ずっと英語を使うような難しい仕事……国連の職員や、国際会議の通訳みたいな、文系の道に進みたいって思ってたの。だから将来はそういうことが学べる文系の大学に行きたくて、そのためにうちの学校(英文学科)に来たのよ」
白雪の腕の力が、少しだけ強くなった気がした。
「でも、親は大反対。医者以外の道なんて絶対に許さないって。中学に入ったばっかりの頃、親の期待とプレッシャーに押しつぶされそうで、すごく息苦しくて……毎日が真っ暗だったの」
「……」
「そんな中学1年の時。親の病院がスポンサーをやってる関係で、お母さんの付き添いとして、隣の県のジュニアコンクールを見に行かされたの。規模もそんなに大きくはないし……私、クラシックなんて本当に興味なくて、早く帰りたくて仕方なかったんだけど」
そこで白雪は言葉を区切り、ふふっ、と熱を帯びた声で笑った。
「そこでね、有名なピアニストの息子さんらしい、同い年ぐらいの男の子が出てたの。そのあと予定があって途中で帰ったから結果も見れてないし、名前も忘れちゃったんだけど……その人のピアノ、本当に凄かったの!」
「ゆ、有名なピアニストの息子さん……? な、なんか聞いたことある設定だな?」
俺の顔からサァッと血の気が引いた。
「そのコンクール、課題曲がいくつかある中から選ぶ形式だったんだけどね。他の参加者がみんな無難にまとまる綺麗な曲を選ぶ中で、その人だけ唯一、全く違った課題曲を選んできたの。……リストの『マゼッパ』。一番難易度が高くて、誰も手を出さないような難しい方を選んだらしいわ。けど、誰よりも一番凄かった!」
背中越しに熱く語られる、その「息子」のプレイスタイルと選曲。
俺はヘルメットの中で、滝のような冷や汗をかいていた。
(マゼッパ……? いや、待て。それ100%俺やん!!)
有名なピアニスト(うちの母親)の息子で、同年代。
そもそも、俺があの時隣の県まで遠征してコンクールを受けたのは、単に母親が同じ県での申請を忘れて「っべーわ!! 応募忘れてた。マジメンゴ! ってもお前どうせ本戦行くからどこの県でも変わらんやろ?」って言いながら隣の県のコンクールに」申し込んだからだ。だからこそ、白雪もまさか同じ県内に住む俺のことだとは微塵も思っていないのだろう。
おまけに『マゼッパ』を選んだのも、単に親から「私が好きだからこれを選べ」と命じられて、言われるがまま弾いたら他の参加者が誰もその曲を弾いていなかっただけだ。
「圧倒的で、自分の道を力ずくで切り開くような力強い音で……ガチガチに凍りついてた私の心を、一瞬で溶かしてくれたの。その人の音に勇気をもらって、私は親を説得して文系の道に進むことを決めたし、自分でもピアノを弾いてみたいって思ったの!」
あまりにも真っ直ぐに、俺の過去の演奏が彼女の人生を変えたのだと語られ、俺の顔はヘルメットの中で爆発しそうなほど熱くなっていた。
「……し、白雪はそいつの……ファンみたいな感じなのかよ?」
照れ隠しと気恥ずかしさから、俺はあえて少しぶっきらぼうに尋ねてみた。
すると、白雪はヘルメット越しに首を横に振った。
「ファン……? そうね〜。まあ、その人の出していた音の意図を、私が一番理解してる自信はあるわ」
(な、なんだその強火の同担拒否みたいな謎の自信は!!)
逆に恥ずかしすぎて、今さら「あ、それ俺だよ。俺がマゼッパ弾いたんだよ」なんて絶対に言えない空気が、強固なコンクリートのように完成してしまっていた。
「結城くん、もしかしてその人のこと知ってる!?」
「し、シッテルヨ!!」
極度の恥ずかしさから、俺の声は見事に裏返った。
「やっぱり! 隣の県とはいえ、あんなに上手だったんだもんね! 有名な人なの? もしかして、結城くんもあの人の演奏、すごいと思うよね!?」
「お、おーん……。まあ、有名ですごい、とはおもうけど……?」
俺は全身から変な汗を吹き出しながら、必死に曖昧な返事をした。
すると、背中の白雪は「ふふっ」と少しだけ得意げに笑った。
「そうよね! 結城くんだって、同じくらいの歳で世界レベルの才能を持ってるんだから……同年代で自分とは違うタイプの才能を見せつけられて、ライバルとして嫉妬しちゃうのも分かるわ!」
(違う!! 死ぬほど恥ずかしくて中途半端な返事になっただけだ!! ここまでストレートに褒められたとなんてないんだよ俺! ってか、俺が俺自身に嫉妬してどうすんだよ!!)
心の中で全力のツッコミを入れる俺だったが、白雪の中では完全に『結城くんも才能を認めて嫉妬する、永遠のライバル』という謎の熱い構図が出来上がってしまっていた。
(頼むからこれ以上、俺の過去の演奏を神格化して語らないでくれ……! 居心地が悪すぎて走行中のバイクから飛び降りたくなる!!)
俺のそんな悲鳴など知る由もなく、白雪はヘルメットの中で「ああ、いつかもう一度あの人のピアノが聴きたいな……。私が一番理解者なんだから」と、夢見る乙女のような、それでいて少し誇らしげな声でうっとりと呟くのだった。
俺が過去の自分の美化されすぎた武勇伝にヘルメットの中で悶絶していると、ふと、背中に回された白雪の腕の力が弱まった。
「……でも」
風の音に紛れて、ぽつりとこぼれ落ちた声。
それは先ほどまでの熱を帯びた「自称一番の理解者」の声ではなく、これから初めてのコンクールに挑む、等身大の不安を抱えた少女の声だった。
「私じゃ、あの人みたいに圧倒的で完璧になんて、絶対に弾けないし……。自分が一番だ、ってオーラも出せない。あの人みたいに最高難易度の曲で、自ら難しい道を進む実力もない……。今日だって、楽譜を忘れて電車に閉じ込められるなんてドジな失敗しちゃって……正直、すごく自信がないわ」
白雪のヘルメットが、俺の背中にコツンと力なく寄りかかった。
本番が近づくにつれて再び彼女の心を侵食し始めているのが分かる。
(……くそっ、このままじゃメンタルがやられて、せっかくの演奏が台無しになっちまう)
落ち込む彼女をなんとか励ますため、俺はバイクのアクセルを一定に保ちながら、とっさに口を開いた。
「だ、大丈夫だって! 気負う必要ねぇよ!」
「……でも」
「う、噂によるとだな! お前のその憧れの天才息子も、初めてのコンクールの時は、親が有名すぎるせいで周りからの期待が大きすぎて、そのプレッシャーで途中で暗譜が飛んで失敗して、ステージの上で大泣きしたっていう最悪な黒歴史があるらしいぞ! だから気楽に行け!」
俺は、決して他人には知られたくない幼少期の自分のガチの黒歴史を、自らの手で大声で暴露した。(ちなみに結衣はたまにネタにしてくる)
(あぁぁぁ!! 自分で言ってて死ぬほど恥ずかしい!! 過去の俺を力いっぱい殴りたい!!)
「……えっ?」
背中で、白雪が息を呑む気配がした。
「えっ、あ、あの人が!? ステージで大泣き!? なんで結城くんがそんなこと知ってるの?」
「い、いやー!? そりゃあ、同じ業界の風の噂っていうか!? 流される側というか、アハハハ!」
「……あっ、そっか」
俺の苦しい誤魔化しに、白雪は一人で勝手に納得したようにポンと手を打った(危ないからちゃんと掴まっててほしい)
「結城くんも昔からピアノ界隈で最前線にいたんだもんね。ジュニア時代から一緒だったなら、そういう裏話とか知っててもおかしくないわよね。すごい……!」
「お、おう……(俺の裏話だからな)」
(……それより!! あの時その大会で優勝したのはこの俺だからな!? ……まぁ、要するに同一人物である『そいつ』も優勝してるってことなんだけど。なんで俺は、自分の背中で、俺じゃない誰かみたいに語られる『俺』に嫉妬してんだよ!!)
俺が内心で不毛すぎる一人相撲を取っていると、白雪が身を乗り出すようにして尋ねてきた。
「ねぇ、もしかして結城くん、その人と知り合いだったりする? もし連絡先……せめて名前だけでも知ってたら、いつか私に紹介してくれない!?」
(ブフォッ!?)
俺は思わずバイクごとバランスを崩しそうになった。
「う、うーん……!? そ、そいつの連絡先も名前も、今は全然知らないからなー」
「ええっ、そうなの? 残念……」
(紹介できるか!! 今まさにその本人の背中にお前はしがみついてるんだよ!!)
裏返った声で必死にごまかす俺。背中の白雪は「そっかぁ」と少し残念そうに黙り込んだ。
しかし、やがてその沈黙はふっと解け、ヘルメット越しに「ふふっ」と、小さく軽やかな笑い声がこぼれた。
連絡先が聞けなかったことよりも、俺がさっき暴露した「噂話」の方が、彼女の心に深く響いたらしい。
「……あんなに完璧で圧倒的に見えた人でも、期待に押しつぶされて失敗して、泣いたりするんだ」
「あ、ああ。誰だって最初はそんなもんだよ。だから、今日のドジなんて気にするな。……ま、まあ、俺はそんなダサい失敗しないけどな! HAHAHA」
俺がここぞとばかりにドヤ顔で強がってみせると、白雪はヘルメット越しに俺の背中をツンと突いてきた。
「ふふっ、何言ってるの。結城くんは泣きわめくどころか、もっと常識外れな大きい失敗をやらかしてそうだけどね!」
「う、うるせぇ! 大丈夫だ、さすがに泣き喚いた以上の失敗はない! せいぜい入学式の挨拶でやらかしたぐらいだ! あとは幼女の服装着せられた事とか、女装させられたこともか……」
「多い」
俺がぼやきながら反論すると、白雪は楽しそうに声を上げて笑った。
彼女を縛り付けていたガチガチの緊張が、すっかりほぐれているのが背中越しに伝わってくる。
「……うん。結城くんのおかげで、なんだかすごく勇気が出たわ。ありがとう」
ミラー越しにチラリと後ろを確認すると、白雪はヘルメットのシールドの奥で、ようやくいつもの彼女らしい、自信に満ちた明るい笑顔を取り戻していた。
(……まあ、俺の尊厳と引き換えに『氷の女王』のメンタルが復活したなら、安いもんか)
「よし、会場まであと少しだ! 飛ばすぞ! 手を離さないように、指あっためとけよ!」
「うんっ! お願い!」
俺は小さく息を吐き出し、迫り来る本番に向けて、再び力強くアクセルを捻った。
コンクール会場である市民ホールの入り口に、ギリギリのタイミングで漆黒のCBR250RRが滑り込んだ。
エントランスの前では、先回りしていた幼馴染の結衣、委員長、葵の3人が、今か今かとハラハラしながら時計を見つめて待っていた。
「あっ! 来た!!」
結衣の声に、栞と葵もパッと顔を輝かせる。
俺はバイクを停め、背中から降りた白雪に予備のヘルメットを受け取りつつ、ジャケットから取り出した楽譜を手渡した。
「ほら、お前のお守りだ。時間ピッタリ。行ってこい!」
「……ありがとう、結城くん!」
白雪は楽譜を胸にギュッと抱きしめると、これまでで一番綺麗で、自信に満ちた最高の笑顔を見せた。
「私、行ってくる!」
迷いのない足取りで、白雪はエントランスへと駆け込んでいく。その小さな背中は、もうプレッシャーに押しつぶされそうになっていた先ほどの彼女ではなく、気高く美しい『氷の女王』の姿を取り戻していた。
彼女の背中を見送った後、残された俺の元に女子3人が駆け寄ってきた。
「今日はほんとにかっこいいよ。あんたにしては、やるじゃん」
冗談なしの真面目なトーンで、結衣が腕を組みながらどこか誇らしげにふっと笑う。
「本当にギリギリでしたけれど、ちょっと見直しましたわ。結城さんたちの席もちゃんと取っておいたから、バイク停めたら早く入りましょ?」
栞も上品に微笑みながら、労うように言葉をかけてくれる。
「結城くん、すっごくかっこよかったです〜! まるで白馬の王子様みたいでしたぁ〜!」
葵に至っては、両手を胸の前で組んで目をキラキラさせている。
(……キタ!! これ完全にキタだろ!!)
俺はヘルメットの中で、密かにガッツポーズを決めた。
普段は変態だのモヤシだのと言われている俺だが、今度こそ完璧に、女子たちからの好感度が天元突破するレベルで爆上がりしたのを肌で感じていた。
「ふっ、まあな。これくらい、俺の『大人の余裕』にかかればどうってことねぇよ」
俺は前髪をかき上げ、大人の余裕たっぷりにドヤ顔で歩き出そうとした。
完璧だ。今日の俺は、誰がどう見ても最高にクールでハードボイルドな男である。
――だが、俺はすっかり忘れていたのだ。
このコンクール会場となる市民ホールの立地が、『最悪の場所』であるということを。
「そこの君、ちょっといいかね」
俺がクールに歩き出そうとした瞬間。
背後から、肩をポンと叩かれた。
振り返ると、そこには見事な制服を着こなした、恰幅の良い警察官が立っていた。
そう、この市民ホールの真横は、警察署だったのだ。
「えっ……あ、はい?」
「君、今あそこのロータリーから二人乗りで入ってきたよね。高校生? ちょっと免許証、確認させてもらってもいいかな?」
「ああ、はいはい。免許ならちゃんとありますよ?」
俺は焦るどころか、「フッ、俺が未成年の無免許ヤンキーだとでも思ったか? 俺は合法的かつ安全に姫を救出したジェントルマンだぜ」とばかりに、ドヤ顔で財布から二輪免許証を取り出して提示した。
しかし。
警察官は俺の免許証の交付年月日をじっと見た後、恐ろしく冷酷な事実を告げた。
「うん、免許はちゃんとあるね。……でも君、免許取ってまだ2か月とちょいしか経ってないよね?」
「ええ、まあ」
「あのね、自動二輪車の免許取得後1年未満の二人乗りは、道路交通法違反なんだよ」
「………………え?」
時が、止まった。
「初心者マークの期間中は、二人乗りしちゃダメなの。教習所で習わなかったかな?」
「あ……えっと……」
「はい、じゃあこっち来てね。切符切るから」
【普通自動二輪車等乗車方法違反】
【違反点数:2点】
【反則金:12,000円】
青い紙切れ(青切符)を渡された俺は、市民ホールの前の硬いアスファルトの上に、ガチで両膝をついて崩れ落ちた。
⭐︎
――数時間後。
コンクール終了後の、駅前のファミリーレストラン。
俺たちのテーブルは、凄まじい爆笑の渦に包まれていた。
「あははははっ! ひぃっ、お腹痛いっ……!!」
「まさか、あんなかっこよく送り出した直後に、警察に捕まって崩れ落ちてるなんて……ふふっ、あははははっ!」
「結城くん、どんまいです〜! あははっ!」
先ほどまでステージで、課題曲を見事に、誰よりも美しく弾ききって拍手喝采を浴びていた白雪を含め、女子全員がお腹を抱えて大爆笑していた。
結衣に至っては、目から涙を流しながらハンカチで拭い、俺のマヌケすぎる結末を嬉々として語り継いでいる。
「笑うなーー!! せっかくカッコよく白雪を助けた代償がこれかよ!! 俺の2点と1万二千円返せぇぇぇーー!!」
俺がテーブルに突っ伏して泣き叫ぶと、女子たちの笑い声はさらに大きくなった。
俺は自分の財布の中身を見て、さらに絶望の底へと叩き落とされた。
つい数時間前。俺は結衣たちに「大人の余裕」を気取って、自販機でジュースを3本(計300円)奢ってしまった。
そのせいで、今朝、俺の財布に入っていた全財産『12,300円』は……見事なまでに、反則金ちょうどの『12,000円』ポッキリになっていた。
これからファミレスの代金を払うどころか、俺の全財産は完全に、美しくスッカラカンである。ファミレスのドリンクバー代すら払えない。
「くそぉぉぉ……俺の大人の余裕が……ハードボイルドな青春が……!」
俺がこの世の終わりのような顔をしていると、結衣がジュースのストローを咥えながら、トドメの一撃を放った。
「あ、悠馬。さっきバイクの駐車場代、私が立て替えといたから、あとでちゃんと払ってね?」
「……ひぃっ!?」
情けない悲鳴を上げる俺を見て、テーブルは今日一番の爆笑に包まれた。
最高のラブコメの余韻は、冷酷無比な道路交通法によって綺麗に粉砕された。
俺たちの愛すべき残念な日常は、これからも、一筋縄ではいかないまま続いていくのだろう。




