第5話 失われていく大切なもの
なんだ今の音は。城からは黒煙が立ち上っている。もしかして襲撃? まさか?
広場はパニックになっている。屋台は倒され、道に投げ出された商品は、逃げ惑う町民に踏み荒らされてぐちゃぐちゃだ。僕は不安で落ち着かない気持ちを鎮めるため、深呼吸した。落ち着け、まずは何をするべきだ。城の様子を見に行く? いいや、もしも何者かによって攻撃を受けていた場合、僕が行ったところでどうにもならない。それならば……。
僕は朝に歩いてきた道を全力で引き返すことにした。何よりも家族の安全確認。僕の家はここから距離があるから無事だとは思うが。なんとなく嫌な予感がする。
たった数時間前に通ってきた道なのに、朝とはまるで違う不安感がつきまとう。行きの半分程の時間で家に戻ってきた。良かった、何も変わったところはなさそうだ。息を切らしながら扉を開ける。しかし、家の中に入った時、僕は激しく動揺した。朝いたはずのシズクがいない。
テーブルの上には書き置きがある。
『ラックへ 行き違いになると困るから一応伝言。やっぱり私も街に行くよ。お昼ごはんは鍋の中に入っています。遅くなるようなら先に食べておいて』
なんてこった。確かに朝、シズクは一緒に行こうかなとは言っていたが。こんなことなら始めから一緒に行けばよかった。くそっ、無事でいてくれよ。僕は再びシュタムに向かった。
疲れで明らかに走るスピードが落ちながら、頭の中はフル回転していた。もしも襲撃があったのなら、いったいどこから侵入したのか。
木の国は名前の通り、広大な森林に囲まれている。軍隊ほどの人数で進行するのはちょっと考えにくい。森の中は整備されていないところがほとんどで、防具を身に着けて歩いてくるのは骨が折れる。それに大人数で攻めてくるなら、警備の人間がもっと早くに気づいたはずだ。
しかし、城で爆発があるまで町の人間は誰も気づかなかった。考えられるのは、侵入するのに不自然でない経路。例えば、交易の車に少数精鋭が潜んでいたということはないだろうか。
交易品のいくつかは城に直接届けられる。荷台のチェックはあるだろうが、まさか潜伏している者がいるとは考えていないだろうから、念入りに行っていないかもしれない。
それにしても不思議なのは、いくら奇襲とはいえ城に直接乗り込んだということだ。城には最強の守護者であるオリバーがいる。警備の精霊使いも数は少ないが、つわものたちだ。並大抵の兵士なんかじゃ太刀打ちできない。何か勝てる見込みがあるっていうのか?
森を抜け街にたどり着くと、先ほどより状況は混沌としていた。住居の扉や窓は破壊され、道中には何人もけがをして動けない人たちが横たわっている。なにより素性を隠すためなのか、目元以外を黒装束で覆った連中が何の罪もない人たちをあちこちで襲っていた。おそらく城に戦力を集中させないための陽動が目的なのだろう。対処するために、数人の兵士と精霊使いの姿が確認できる。
こんなこと許されるのか。昨日まで平和に暮らしていたのに。
被害がひどい大通りを見渡しても、シズクの姿が見えない。黒装束に襲われないよう物陰に隠れていると、後ろから肩をつかまれた。心臓が止まるかと思ったが、振り返ると見知った顔があった。
「ラックか! 早く逃げろ!」
午前中のぼんやりした様子はみじんも感じさせない声で、門番の老人は言った。
「シズクを探しているんです! 入れ違いになったみたいで」
「なんだって! ……城に行ったのかもしれない。あの子も精霊使いだ。オリバーを助けに行ってもおかしくない」
「まさか! いや、シズクならそうするかも。わかりました。僕も行ってみます」
「……止めても無駄だな。気をつけろよ」そう言うと、老兵は戦地に向かうかのように無法地帯と化している大通りに走り出した。
城に向かうには大通りを直進するのが最短だが、こんな状態じゃ騒動に巻き込まれかねない。はやる気持ちを抑えつつ、一本入った裏道を抜けていくことにした。建物と建物の間の道は生活用の道らしく、幅が狭くてあちこちに家に入らない荷物が置いてある。荷物をよけながら何とか抜け出し、城壁前までやってきた。
壁の外からでも内側の衝突の音が聞こえる。門を抜け中に入ると、想像以上に争いは過熱していた。城の守りについていた兵士や精霊使いが、黒装束たちといたるところで戦っている。刃物がぶつかる甲高い音や精霊たちの雄たけびの様な声が響き、非常事態であることを再認識する。「絶対に守り抜け!」「意地を見せろ!」と怒号を響かせながら、兵士たちが剣を振るっている隙間を抜け、とうとう城の目前まで来た。途中の道ではたくさんの負傷者が倒れていた。シズク、オリバーさん、どうか無事でいてくれ。
城内への両開きの扉は無残に破壊されており、周囲には城の一部だったであろうがれきが散乱していた。戦闘がここでも起きたのだ。
「ひどい。城の中は無事なのか?」
急いで扉を抜けようとしたその瞬間、視界の中に倒れている人影を見つけた。僕は衝撃のあまり目を疑った。体中血まみれで、今にも命が尽きそうになっているその人物こそが、この国の守護者オリバーだったからだ。
「オリバーさん! 返事をしてください!」
体を抱きかかえて声をかけるが、返事がない。
「オリバーさん! オリバーさん!」
明らかに致命傷で、助からないのは明らかだ。それでも声をかけ続ける。すると、うめき声をあげながら、オリバーの目だけがかすかに動き、僕の方を見た。
「……ラック。無事だったか」
「オリバーさん、いったい何があったんですか?」
今にも消え入りそうな声で彼は答える。
「……精霊使いたちによる襲撃だ。私も応戦したが、敵わなかった」
精霊使いが襲撃? なぜそんなことを?
「理由はわからん。それより……、ゴフッ」
オリバーは口から、血を吐きながらも話そうとする。
「もう話さないでください。助けを呼んできますから」
走り出そうとする僕の手を取り、こちらの目をじっと見つめてオリバーは言う。
「自分のことだ。もう助からないのはわかる。だからラック、おまえに頼みがある。シズクを連れて一緒に逃げてくれ。あいつは私の敵討ちのために、城内へ襲撃者を追いかけていった」
やはりシズクはここに来ていた。だが、いくら彼女が強くてもオリバーを倒すほどの敵に敵うとは思えない。
「……わかりました。必ずシズクを連れ戻します」
オリバーは口元をわずかに緩め、微笑むように言った。
「……全く困った娘だよ。こうだと決めると、すぐに走り出してしまう。だから、シズクを頼む」
そう僕に託すと、オリバーは安心したように息を引き取った。
オリバーの体をゆっくりと横たえて、僕はシズクを追って一目散に城内へ駆け出した。そうしなかったら、彼を失った喪失感でその場から動けなくなってしまっただろう。
血がつながらない僕を、実の息子のように育ててくれた彼には感謝のしようがない。いつも優しく頼りになり、僕の誇りだった。だからこそ、ここで僕が立ち止まることなんてできない。最期に頼まれたのだ。必ず彼女だけは守り切る。
城に入ってすぐのエントランスホールは奥行きがあり、正面には大階段が見えた。左右に分かれ、二階につながっているようだ。襲撃者が王を狙っているとしたら、おそらく二階に向かっている。一階には食堂や兵士の控室、それと歴史書が収められている書庫があるくらいだと以前オリバーが言っていた。
ホールには兵士や精霊使いが数多く倒れていた。血の臭いが立ち込めていて、身動き一つしない様子を見ると彼らはもう……。
上階から何やら物音が聞こえる。誰かが応戦しているのか。血が染みついた絨毯を踏みしめて、急いで階段を駆け上がる。不安から、悪い想像で頭がいっぱいになり落ち着かない。上で戦っている人が最後の希望だ。しかし、オリバーでも勝てない相手では……。
二階にたどり着くと、静寂に包まれている広間に顔が見えない黒装束が数人、背を向けて立っていた。
静かになっている。戦っていた人は……。諦め混じりで視線を先に向けると、血まみれでぼろぼろになった少女が倒れていた。
「えっ?」
思考が停止した。その少女がシズクだと理解するのを、僕の頭が拒絶したように。
だが、次の瞬間には自分でも驚くような叫び声を挙げながら、黒装束にぶつかることも気にせずシズクの方に突っ込んだ。
「なんだこいつは?」
「……放っておけ。それよりも、俺たちのやるべきことを忘れるな」
黒装束たちの声が聞こえたが、それどころではない。
「シズク、返事しろ!」
体を抱きかかえながら問いかけるが、返事はない。かろうじて息はしているようだが、このままでは……。
その時、ぐちゃぐちゃになっている頭の中で、なぜか悪魔の命乞いの言葉を思い出した。
『何でも願いを叶える』
ありえない。いくら強大な力を持っていたとしても、そんなことは不可能だ。何よりそんな力があるなら、封印を解いたらどうなるか。しかし他に方法は……。
自分の腕の中で命が尽きようとしている彼女にできる唯一の方法。迷っている時間はない。
覚悟を決め周囲を見回すと、すでに黒装束たちの姿は消えていた。精霊使いのシズクはともかく、僕なんかは眼中になかったのだろう。それとも目的達成を優先したのか。どちらにせよ幸運だった。彼らなら僕を一瞬で始末できたはずだ。
「……封印場所は森の大樹だっけ。シズク、がんばれ。必ず助けるから」
傷だらけのシズクを背負い、僕は大樹へと向かう。
僕が悪魔の封印を解くまでの出来事は、おおよそこのようなものだった。




