第21話 昔の話
「どうだった今日の練習は?」
家に帰ると、作業を続けながらハントが話しかけてきた。最近の彼はずっとドレス作りにかかりっきりだ。
「ぼちぼちといったところですかね」
本当はちっとも上達していなかった。しかし、僕らのために寝る間も惜しんで作業をしてくれている彼にはそんなことは言えなかった。
「彼女は教えるのがうまいからね。きっと、すぐに上達するよ」
ハントには頭が上がらない。トトさんに僕らを紹介してくれたのも彼だ。本来なら、人気講師の彼女のレッスンは、予定がいっぱいで受けられないところだったが、ハントの知人ということで特別に時間を作ってもらっている。
「すみません、お二人にはわがままばかり言ってしまって……」
「何度も言ってるけど気にしなくていいんだって。トトだって、二人を教えてたら楽しいって話していたよ」
「そう言ってもらえればありがたいんですが……」
駄目だ。練習がうまくいっていないから、ネガティブになっている。彼も僕に気を遣っているのか、突然話を変えた。
「ところでラック君とダリアさんは兄妹だけど、昔から仲はいいの?」
「えっ、ダリアとですか?」
思わぬ方向から話題が飛んできたので、とっさには返事ができなかった。僕とダリアは出会ってからまだ数カ月と経っていない。しかし、間違いなく言えるのは……。
「良くはないですね」
するとハントは首をかしげて、ううんと唸ると予想外の言葉を放った。
「自分たちではわからないものなのかもね。少なくとも僕が今まで見てきた限りでは、とても仲良しに見える」
僕と彼女が仲良しだって? どう考えてもそうは見えないと思うけど。彼の言葉を疑問に思いながらも、夕飯の準備をしなくてはならなかったので、あいまいに返事をして台所に向かった。
三人でご飯を食べ終えて片づけも終わったので、まだ作業を続けるというハントに声をかけてから、僕は自分用の部屋に戻った。
食事中もなんとなくハントが言った言葉が気になっていた。やっぱりあり得ない。人間と悪魔が仲良しだなんて。ダリアは力が戻ったら、暴力の限りをつくして世界を壊すだろう。そんな存在と仲良くできるはずがない。
そういえば、シズクとはどうやって仲良くなったんだっけ。あの時の僕は、独りぼっちになって孤独だった。しかし、そんな僕にも彼女は優しくしてくれた。……今日はダンスの練習で疲れたな。体の疲れを取るためにベッドに寝転がると、いつのまにか眠ってしまった。
僕が天涯孤独になったのは、六歳の時だった。
両親は行方知れずで、生きているのか死んでいるのかもわからない。唯一の家族である母方の祖母に赤ん坊の頃預けられたらしいが、その祖母も病気のせいで死んでしまった。
祖母の死後は村の人たちが時々様子を見に来てくれたり、食べ物を持ってきてくれたりしたが、ほとんどの時間、僕は一人で過ごした。
今になって思うと、村は貧しくて、他人の子ども一人食わせる余裕はどこの家にもなかったのだと理解できる。それでも村の人たちは、僕のことを気にかけてくれていた。しかし当時の僕は自分には助けてくれる人間なんていないのだと思い込み、誰にも心を開くことができなかった。
窓から入ってくる光で目が覚める。今日も一日が始まるのだ。水を飲み、自分以外にだれもいない家で一言も発しないまま朝食をとる。昨日、近所の人が持ってきてくれた果物を一つだけ食べ、腹に入れた。
食べなければ死んでしまう。それを回避するためだけの最低限の行動をとり、今日が終わるまでの時間をつぶす。それが今の僕の毎日だ。このままの生活ではいけないことは頭ではわかっていた。でも、何をどうしたらいいのかわからず、気づいたら一日が終わっている。
食事が済んでしまうと、もうすることがない。今日は何をしよう? 窓を開けてみると、心地よい風が部屋に流れ込んできた。最近家にいることが多いから、あまり外の風に当たっていない。
たまには森の中を歩いてみるか。着替えを済ませ、昼食用のパンをかばんに入れて外に出た。
森の中は木々の間から光が差し込んでおり、少しだけ気持ちも晴れる気がした。鳥のさえずりも気持ちを穏やかにしてくれる。そういえば、ばあちゃんともよく森の中を歩いたっけ。
彼女との思い出を思い出すと涙が溢れそうになる。泣くな、もうばあちゃんはいない。これからは僕一人で生きていくんだ。
その時ふと彼女が言っていた言葉を思い出した。
「ラック、この森には悪い悪魔が封じられている大きな木があるんだ。今は封印されていて、悪魔も目を覚ますことはないから危険はない。でもね、万が一ということもある。だから絶対に大樹に近づいてはいけないよ」
そう話す彼女は真剣な顔をしていた。正直、悪魔が封印された木に興味はあった。昔話でしか聞いたことがない存在がそこにいる。子ども心としてはぜひ近くで見てみたかった。
それでも大好きなばあちゃんを困らせたくはない。だから、僕は大樹には行かないと決め、ずっと約束を守っていた。だが、そのばあちゃんももういないのだ。
「……遠くから見てみるだけだ」
久しぶりに何かをやってみようという気になり、自分に言い訳をして、大樹に向かうことにした。
しばらく歩き続け、やっと見えた大樹の姿はどこか神秘的に見えた。
「大きい。それに千年以上昔からあるらしいけど、まだ生きてる感じがする」
大樹を見上げて、あちらこちらに伸びている枝を見ると、空を覆いつくすように青々とした葉が生えている。その様子からは生命の活動が感じられた。
「なんだろう、あれ」
木の傍らに石の玉が供えられていた。明らかに人の手で作られている。気になったので触ってみようと手を伸ばしたその時、急に後ろから声をかけられた。
「それ、触らない方がいいかも」
突然のことで僕は「ひぃっ」と小さく声を上げた。
「そんなに驚かなくったっていいじゃない」
振り返ると銀髪の女の子が笑みを浮かべていた。
「君、誰?」
「私はシズク。お父さんと一緒にシュタムまで来たんだけど飽きちゃって。散歩でもしようとここまで来たの。あなたは? 見ない顔だけど?」
どうやら彼女は父親に黙ってここに来たらしい。
「僕はラック。君が知らないのも無理ないよ。僕が住んでいるのはここから離れた村だから」
村の場所を説明すると、シズクは目を丸くして言った。
「ずいぶん遠いところから来たのね。お母さんやお父さんが心配してるんじゃない?」
「その心配はないよ。どっちもいないから。唯一の家族だったばあちゃんも死んじゃったし」
そうだ、僕には心配してくれる人間はいない。自分でも卑屈になっていることはわかっている。それでもすぐには立ち直ることなんてできない。
彼女は僕の言葉を聞くと、さっきまでの笑顔を消し、申し訳なさそうにした。
「……ごめんなさい」
「気にしないでいいよ。ところでさっきこれに触らない方がいいって言ってたけど、どうして?」
石の玉を指さして聞くと、シズクは気を取り直すように答えた。
「その石の玉は、悪魔が封印されている大樹の中に入らせないようにするための結界なの。私のお父さんがこの国の精霊使いだから教えてくれて……」
精霊使いか。確か動物の精霊を呼び出して、国を守っているんだっけ。
「へぇ、君のお父さん精霊使いなんだ。……すごいね」
目線を落とし、呟くように言う。自分を捨てた両親と比べて、立派な父親がいる彼女に対して劣等感を抱いたせいか、嫌な口調になってしまう。
僕の後ろ暗い気持ちを知ってか知らずか、彼女は言葉を続けた。
「自慢のお父さんです! ……なんてね。本当はちょっとプレッシャーなの。私はまだ精霊を呼ぶことができないから」
笑顔で話している彼女だったが、その時は少しだけ悲しそうに見えた。
「シズクは何歳なの?」
「六歳」
僕と同い年だった。それなのに、父親と同じようになるために努力をしている。家族がいなくなって、卑屈になっている僕とは大違いだ。
「僕にはよくわからないけど、君なら大丈夫だと思うよ」
すると、一瞬シズクは固まって、すぐにまた笑顔を取り戻した。
「えへへ、ありがとう。いけない、勝手に抜け出してきたからお父さん心配してるかも。そろそろ戻らなくっちゃ。」
「それなら僕がシュタムまで送るよ」
森の中は野生動物もいる。彼女一人だと危ないかもしれない。
「ラック、行き方わかるの?」
「わかんない」
「じゃあ駄目じゃない。それなら私が先に行くから、ついてきてくれる?」
首を縦に振り、彼女と共に街まで行くことにした。とはいえここから距離はそんなにないらしい。でこぼことした道に気をつけながら進んでいくと、側面の木々の間から黒っぽい塊のようなものが視界に入った。
「あれ、なんだろう?」




