第59話 心と心
ひかりが学校に来ていないことを知ったのは、10月29日、火曜日だった。
ドゥ・アメールで真央を含めて5人で会った次の日だ。
昼休みに彩芽が知らせに来てくれた。昨日からひかりが登校していないと。
先週の土曜日のひかりの言動を思い出す。
ひかりは、この世界のことを知っている。
それだけではない。
ひかりは、ループしていない?
それが最初からなのかわからない。今まで、オレの目には、ひかりがループしているように映っていた。でも、ループしていたら知るはずのないことを、ひかりは知っていた。
ひかりには、日曜日からメッセージを送ったり電話をかけたりしている。
だが、電話には出ないし、メッセージに既読も付かなかった。
ひかりは、それから全く登校しなくなった。
11月に入り、オレはひかりの家に行った。
ひかりの母親は、憔悴した様子だった。
ひかりは部屋に閉じ籠り、出てこないとのことだった。
部屋の前に置いた食べ物を、夜中に少しかじっていることがあるだけらしい。
ひかりの母親から、何か事情を知らないか聞かれたが、答えられなかった。
11月15日、金曜日。
放課後、真央以外の4人でドゥ・アメールに集まった。
彩芽はクラスメイトとして、凛は元クラスメイトとして、ひかりのことを心配していた。
ひかりの行動を目の当たりにした優花さんは、ひかりの精神状態を心配していた。
そして、大きな不安に話は進む。
「奏多が、ひかりちゃんを攻略しないと、この世界は、なくなるの、かな?」
「うん、オレが『知っている』限りでは、5人全員を来年の3月31日までに親愛度100にしないと、この世界は無かったことになる」
「かなたん、それはどういうこと?記憶がなくなるのはわかるけど。4月からやり直しになるの?それとも、別の未来が待ってるの?」
「うーん、それはわからない」
「ひかりさんが、この世界のことを知っていて、奏多くんが、攻略しようとするのを邪魔した……それって、とても怖いことだと思う」
「私は嫌、だよ。奏多との出会いが無かったことになるの」
凛が不安そうにする。
「あたしも嫌だよ。かなたんはもちろん、みんなと仲良くなれたこともめっちゃ大事だし」
「時間は、まだ4ヶ月以上あるわ。今は落ち着きましょうね」
「うん、そうだね。オレはひかりの家に通ったり、できる限りのことはしようと思う」
「そうね、私たちは私たちの日常を過ごしていくしかないわね。未来は、奏多くんに託すわ」
「うっ、プレッシャー」
「うふ、頑張って。奏多くん」
この状況で冗談を言えるのは、優花さんだけだった。
ーーーーーーーーーーー
11月23日、土曜日。
この日は、朝から凛と図書館に来ていた。
午前中は自習室で勉強し、お昼は飲食スペースで、凛が作ってくれたお弁当を広げていた。
ご飯の上には、てりやきチキンが豪快にのっかっていた。
オレは、まず、そのチキンに箸を付ける。
「奏多、てりやきチキン、おいしい、かな?」
凛が顔を覗き込んで尋ねてくる。
オレは、思ったままを言葉にする。
「うん、めちゃくちゃおいしい!香ばしさの中に、甘辛さがちゃんとあって、ご飯との相性抜群!」
「よかった、嬉しい。でも、奏多、少し評論家みたい、だよ」
二人でくすくすと笑い合う。
「ちゃんとデザートもある、よ」
凛は付け加えるのを忘れなかった。
凛を攻略中の時のサンドウィッチのことを思い出す。
凛が不安そうな顔をしていたのはあの時も今日も同じだった。何度、お弁当を作ってくれても、凛は最初の一口をオレが食べるまで、とても不安そうな顔をする。そこは変わらない。
でも、明確に変わったことがある。
凛は、きちんと言葉で聞いてくるようになった。
不安なことは不安、嫌なことは嫌、そして、嬉しいことは嬉しいと言えるようになった。
攻略中の凛。初めて作ってきたサンドウィッチ。
オレが容器を開き、何を言うか、凛は不安そうに見つめるだけだった。
最初の時、オレは、攻略することしか考えていなかった。
そして、ただ凛の親愛度を上げようと思い、不揃いのサンドウィッチをよく見もせず、「めっちゃ美味しそう」と言った。
その後、凛は心を閉ざし、攻略は失敗に終わった。
次の周、オレは心を伝えた。
「一生懸命作ってくれたんだね。ありがとう、凛ちゃん」
オレは、飾らなかった。嘘を付かなかった。正直に心を伝えた。
それを聞いた凛は、
「……お、美味しそうじゃないよね。無理に食べなくても、いい、よ」
と答えた。
凛は、心の声を恐る恐る言葉にした。
そして、
「そんなことないよ。凛ちゃんが作ってくれたんでしょ?それだけで十分だよ」
と言ったオレへの、凛の返しは衝撃的だった。
「……嘘だ。また話を合わせてる。奏多は、話を合わせる天才だから」
凛の心からの声。それは、核心を突いていた。
『正解』を探し、ただ相手が喜びそうな言葉を選ぶことが間違いだったと突き付けられた。
それからは、心と心で会話した。凛は涙を流した。不安を口にした。また会いたい、と言ってくれた。
凛から教わったことは、人を好きになるということは、ただゲームのように攻略することではないということ。心と心で向き合うことが必要不可欠だということだ。
今、目の前の凛に言葉をかける。
「毎週のようにお弁当作ってくれて、本当に上手になったよね。旦那さんになる人は幸せ者だねー」
「それ、奏多、だよ」
「ん?」
「おかわりはない、よ」
「言わせようとしたのバレバレか」
「奏多のバカ」
凛は頬を赤くして顔を逸らした。
午後は、読書タイムにした。
静寂に包まれた図書館で、それぞれ本を探す。
オレはミステリー小説を探していた。ふと、凛のことが気になり、凛を探す。凛は純文学コーナーで高いところを見上げながら本を探していた。
オレはそっと凛の横に行き、本を探す素振りをした。
オレに気づかず、高いところの本を見つめる凛。
その横顔は、どこか儚げで、美しかった。
「凛……」
オレは静かに凛の名前を呼ぶ。
「奏多……」
凛は一度振り向いたあと、また本棚の方を向いた。
オレの方は見ずに、言葉を続ける。
「奏多、怖いよ……このままだと、奏多と過ごした時間も思い出も、無くなってしまう、よ」
今の凛は不安を言葉にすることができる。
以前のオレなら、とりあえず凛を安心させる言葉を選んだだろう。
でも、今は……
「オレも……オレも、怖いよ」
「えっ?」
凛は驚いた顔でオレを見る。
「オレも怖い。この世界がどうなってしまうのか、凛との思い出が消えてしまうかと思うと、怖い」
正直に、心と心で会話する。
凛は、しばらくオレを見つめていた。
そして、口を開いた。
「奏多……」
「ん?」
「奏多……」
「何?」
「……キスしたい」
今度はオレが驚いた。
凛の目はまっすぐとオレを見つめていた。
オレは、周りに人がいないことを確認する。
凛の方を向き、一歩近づく。
凛は、何も言わず、目を閉じる。
そして、顎を少しだけ上げた。
オレは、身を屈め、顔を傾ける。
唇と唇が重なる。
不安を消すためのキスじゃない。
不安を分かち合うためのキスだった。
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