第19話「ミラル、堕天使と女神へのざまぁ」
「リタあああああ!!」
「……」
俺のもとに、ミラルが走り寄ってくる。
……一瞬、幻かと思ってしまった。水魔法しか使えない非力な少女が、どうにか天界までやってきて、俺の名前を叫んでいる事実が。
「ミラル……」
……いや。
きっと俺は罵倒される。
奴隷のくせして、勝手にどこへ行ったんだと。俺だって、嫌われる覚悟でやったことだ。それがミラルの、未来の幸せに繋がるならば、良かれと思ってしまった。
最初にかけるべき言葉は、「すまない」か「来たのか」か。
いやむしろ、何も言わない方がいいのか? 俺はそういう言葉を器用に使い分けられないんだ。
「……」
何も言えず、床に座ったまま呆然としていると――
――ミラルが、俺に抱き着いてきた。
「なんで勝手にどっか行っちゃうのおおおおおお!!」
俺の首元を、彼女の腕が必死に掴んでいる。
肩が濡れた。泣いて、いるのか?
「酷い!! わかってるけど……あなたがやろうとしてたことは……でもあなた、私と一緒にいたいって言ってくれてたじゃん! 私は嬉しかったんだよぉ!!」
「……!」
「なのに黙ってどこかへ行かないで……。あなたが勝手に消えて残る日常なんて、私にとっては幸せでもなんでもない。でも」
ミラルが取り出したのは――黒い羽根。
間違いなく、俺の翼から抜けたものだ。
「これが教えてくれたの」
「……?」
「私、あなたが好き。だから助けたかったし、まだ一緒にいたい。それでも、あなたには幸せになってほしい。好きの一言で説明がつくの」
好きの一言で、説明がつく……。
そうか。俺もすべて、ミラルが好きで選んだことだったのか。
しかし、俺の選択はかえって彼女を、深い絶望に突き落としていた……
それでも、ミラルは俺を罵らなかった。
「……ミラル。俺は……」
「謝らないでよ。謝らなくていいから……お願い、もう勝手に私から離れないで。一緒に神を倒そうって……言ったじゃん」
「……すまなかった。俺だって、ミラルのことを考えていたつもりだったんだ……」
ミラルの頭には、白い冠がズレた位置に乗っている。
俺はその冠を、そっと付け直してやった。
「……あー、良い感じのところを挟んで悪いのじゃが」
突然、背後から声が聞こえた。
「……」
「わらわのことを忘れ、想いの語り合いをしているとはどういうことじゃ。わらわは不愉快じゃぞ」
後ろを振り返ると、険悪な表情を浮かべているレナスがいた。
目がつりあがっている。だが、その視線を向けられているのは俺ではなくミラルだった。
「なぜ人間が天界におる。誰じゃ、ここまで連れてきおった異端者は」
「あなたがレナス? 思ったよりちんちくりんなのね。理不尽だらけの嫌われ女神?」
……ミラルが突然、神に対してとんでもない言葉を発した。
「お主……自分で何を言ってるかわかっておるのか?」
「わかってるわよ。だってあなたを倒しにきたのよ。 ねっ、リタ!」
ついにミラルも宣戦布告しちまったか。
――まぁいい、俺もさっき女神に喧嘩を売ったばかりだ。だがミラル、すまない……今の俺は……
「……さっき魔力の放出を失敗して、逆にダメージを負ってしまった。しばらくまともに動けそうにない」
「……えっ!?」
ミラルが目を丸くしてきた。
わかってる……。悪気はない。さっき女神を倒そうと思って、最大魔力を出しすぎた。
……ミラルが傍らにいないと、戦えぬという。しかし彼女がやってきても、戦力が湧くような感覚はなかった。
「リッ……リタが戦えないのはまずいってぇぇ!」
ミラルは嘆くような口調で叫び、身を起こす。
ふと顔を上げると、翼を濡らした天使の兵たちが大勢来ていた。
「人間ごときが神聖なる天の国に足を踏み入れるなど、断じて許せん。天使よ、そやつらを消せ」
レナスが氷のような冷たい口調でそう言い放つ。
まずいな。この数の天使相手に、対抗できるのだろうか。堕天使として生き延びることで俺は強大な力を得たのだが、天使だって、人間とは程遠い魔力を持っているのだ。
「どうしよう。私、もう魔力の残量少ないよ……」
ミラルが焦った表情をしている。万事休すなのか?
――だが、天使たちの口から出た言葉は、意外なものだった。
「おい、見たかよ。あいつら女神を倒すって言ったぜ」
「マジだわ……。驚いた。そんなこという天使、今まで一人もいなかったのに」
「……な、なぁ。僕らも協力しないか? 全員で行けば、もしかしたらあの神に勝てるかもしれないだろ」
周囲がざわめき出す。
この状況で、一番困惑しているのはレナスだった。
「天使たち、何故に戯けたことを申しておる」
「……調子に乗りすぎないでくださいよ、女神様……」
「なんじゃと? わらわに反旗を翻すというのか!?」
「そうだよ、アホ女神!!」
「あああああああ!! わらわを馬鹿にしおって!!」
レナスが地団太している。あれじゃただのガキだ。
「どいつもこいつも思い通りにならぬ奴らめ! わらわへの忠誠は偽りじゃったというのか。ならよい……よいわ!」
「!!」
「お主ら出来の悪い天使は排除してやる。その前に、小娘からじゃ!」
レナスが指を弾けるように鳴らす。
――すると突然、空中に巨大な穴が出現し、魔のエネルギーの塊が降り注いだ。
「うわああああっ!!」
「逃げろ!!」
天使たちは逃げ惑う。
ミラルも必死だ。あんなものが直撃したら、人間なんてひとたまりもない!
「何よこの攻撃!! やめてよっ!!」
「……まずい、ミラルが……」
このままでは、ミラルが攻撃されてしまう。
怒り狂ったレナスを止めるには、遠距離の攻撃を放つか、あの爆弾の雨を突っ込んでいくしかない。
だが、天使たちはミラルや俺に危害が加わることを恐れ、遠方からの魔法を放とうとしていない。ミラルはすでに魔力が限界だ。
……この状況で、誰があのレナスを倒せるんだ……
しかし。
「いやああああああああっ!!」
ミラルが悲鳴を上げた。足元に攻撃が当たり、壁へ吹き飛ばされたのだ。
この瞬間、俺の中で何かが切れる気がした。
俺はふと、初めてミラルと会った日のことを思い出した。
『堕天使君、あの兵士たちを追い払って!』
俺は彼女に命令されるがままに動いていた。
ミラルを守るのが俺の仕事だ。ミラルを守ることが、俺にとって最も重要なことだった。
……彼女を傷つける奴は、誰であろうが許さない。絶対にだ。
「……それ以上攻撃を加えるな、レナス」
「まだ立ち上がれたのか」
俺は身を起き上がらせた。
……もとある力が眠りから覚めるように、俺の体に魔力と体力が一気に流れ込んでくる。
「もうお主はくたばったも同然かと」
「……ミラル、俺に命令をくれないか」
「……え?」
俺が振り返ると、ちょうど壁にぶつかったミラルが身を起こしていた。
「な、なんで命令? 急に何を?」
「最初の頃みたいにだ。お前が言えば、俺も全力でやる気が起こる気がする」
「……そんな夢みたいな話あるぅ? で、でも、あなたが本気出すってなら……」
ミラルが片足を前に出す。
俺も静かに、真っ黒な翼を左右に広げた。
「リタ! あの女神をぶっ倒して!!」
次の瞬間、俺は床を蹴って飛び上がった。
この神玉の間で、神より高い場所から見下ろしたのは初めてだ。
俺は全身に魔力を込める。
今ならいける。最大限の力を突破して、地上で使った力の何倍も出せる。
「なっ……! お主、復活したのか! やめるんじゃ!」
レナスが両手を広げて魔法を出そうとしてくる。俺の魔力溜めを妨害するつもりだ。
……しかし、群がってきた大勢の天使たちが、その行為を邪魔した。
「お、お主ら邪魔じゃ!!」
「全員でこいつを止めるんだあああ!!」
思い通りにならず、女神の奴も荒くなっている。
――そろそろだ。魔力が溜まる。女神が放った攻撃の何倍も大きいエネルギー球を飛ばしてやる。
「リタ! なにその魔法!? 私知らないんだけど!」
「天界の者にしか扱えない」
「……とにかく、やっちゃって!!」
ふと下を見ると、女神が天使たちを振り払ったところだった。
「ええい。邪魔者だらけでムカつくのじゃ!」
……ちょうどいいな。今魔力を放てば、他の者に危害を加えず、直接女神だけを狙える。
「レナス!」
「……なっ、お主、それは――!!」
俺の頭上には、人間ひとりは丸々と呑みこんでしまうような、紫の火球ができていた。
「お主、まさかわらわにそれを放つのか? いくらなんでも――」
「……やめねぇよ。俺は絶対に躊躇はしない」
出せる最大の魔力を込めたんだ。
可愛さの欠片もない暴君め。これでも喰らって頭を冷やしやがれ!
「あああああああああああああああああああ!!」
絶叫する神に向かって、俺は魔力の塊を、力強く放った。
そして――




