99話 エリスの矜持、生徒会長の矜持
「うーん、見つからないなあ。どこにいるんだろう、岸川のお兄ちゃん」
「エリスお嬢様!」
「あ、怜奈お姉ちゃん。遅かったね。お店、混んでた?」
「それは大丈夫。はい、これ。お嬢様の分。ちょっとぬるくなったのは許して」
「ありがとう。けど、珍しいね。怜奈お姉ちゃんはこういうところ、結構気にするタイプだと思ったけど」
「ごめん、遅れて。実は」
怜奈は、与志郎と健二のことについて話した。
「用務員室で待ってるって。行こう、エリスお嬢様」
「わかった! それにしても、この人混みの中で見つけるなんて、さすがカグ兄様!」
上機嫌で歩き出したエリスの前に、別の人間が立ちはだかった。
「お嬢様、自由時間はここまでです」
「あなたたち……!?」
エリスの前に現れたのは、黒づくめにサングラス姿の使用人だった。
怜奈は眉をひそめる。
(今朝、お嬢様と一緒だった人たちと違う……?)
「宗厳様がお呼びです。さあ、こちらへ」
「待って。まだカグ兄様のお手伝いが」
「待ちません。あなたは次期当主様なのです。現当主の顔に泥を塗るような真似はおやめなさい」
そう言って、黒づくめの使用人はエリスを無理やり連れていこうとする。その拍子に、エリスの手から飲み物がこぼれ落ち、床を濡らした。
使用人の腕に、怜奈が取りついた。
「待ってください。まだ、エリスお嬢様にはやるべきことがあるんです」
「誰だお前は」
「……九鬼怜奈。エリスお嬢様の使用人であり、友達です」
エリスが目を大きく見開く。
だが、黒づくめの使用人は短く吐き捨てた。
「知らんな。部外者は去れ」
「エリスお嬢様は次期当主なのでしょう? あなたたちこそ、目上の人間を敬ったらどうなんですか?」
「宗厳様が呼んでいる。エリスお嬢様とて、その命令を無視してよいはずはない」
「命令って」
「待って。いいの、怜奈お姉ちゃん。ありがとう」
「エリスお嬢様!?」
怜奈の手をゆっくりと剥がし、エリスは使用人に向き直った。
「わかりました。案内なさい。ただし、こちらの女性は私の大切な友人。粗雑な真似はもちろん、侮辱も許しません」
「それは彼女の態度次第です。そして、彼女は我々に抵抗した。それがすべて」
黒づくめの使用人は動じない。
「所詮、学園祭を脳天気に楽しんでいるただの子ども。お嬢様には関係ありませんな」
エリスは一瞬だけ、唇を噛んだ。怜奈を振り返る。
「怜奈お姉ちゃん、先にカグ兄様のところへ行ってて。それと、エリは大丈夫だって伝えて」
「エリスお嬢様」
「お願い。この場での発言力は、彼らの方が上」
小声で告げたエリスを、怜奈は柔らかく抱きしめた。
「きっと、健二君が何とかしてくれる。あの人、自分のことをただの用務員だって言ってるけど、私たちのことを見捨てるような真似は絶対にしない」
「うん、怜奈お姉ちゃんの言うとおりだよ。カグ兄様なら、きっとエリたちのヒーローになってくれる」
「さあ、早く」
無慈悲に使用人が言う。
怜奈はエリスから離れると、後ろ髪を引かれながらその場を去っていった。
彼女の姿を見届けてから、エリスはわずかに緊張した顔で使用人に向き直った。
「行きましょう」
――エリスが向かったのは体育館だ。
使用人たちによって、更衣室代わりの控え室に連れていかれる。
「ここで着替えを」
「手伝ってはくださらないの?」
「あなたが逃げ出さないよう監視するのが、私の役目ですので」
「そう。冷たいのね」
刺々しく言い返し、エリスは机の上に置かれたドレスに着替えた。背中のチャックは、安全ピンと紐を使って引き上げる。
誰も手伝ってくれないときに身につけた技だった。
褒め言葉など一切なく、使用人はエリスが着替え終わるとさっさと会場に向かった。
「遅い」
「ごめんなさい、お父様」
ステージに出ると、すでに宗厳が待っていた。
相変わらずの威圧感。
エリスは心細さを全力で我慢した。
(怜奈お姉ちゃんに大丈夫って言った。カグ兄様に迷惑をかけるわけにはいかない。ここが、私の戦場なんだ)
宗厳の隣で人形のように佇みながら、エリスは体育館の中を見渡した。
いつの間にか、ダンスパーティ用のセットが運び込まれている。視界の端では、生徒たちの展示品と思われるボードが、まるで粗大ゴミのように会場端に押し込められ、黒いシートで隠されていた。
ここで行われるのは天翔学園の後夜祭ではない。
黒薔薇家の威信をかけた、ダンスパーティだ。
「やあやあ、どうもどうも」
そのとき、エリスたちの元へひとりの男子生徒がやってきた。
(あの人は……確か、生徒会長さん)
宗厳がぽん汰を一瞥する。
「ここはすでに、生徒の立ち入り禁止としたはずだが。那智君」
「いやあ、天下の黒薔薇家ご当主とそのご息女に、名前を覚えていただけるなんて光栄至極です」
小太りのぽん汰は、揉み手しそうな勢いでおべんちゃらを言った。
宗厳だけでなく、エリスも眉をひそめる。
「世辞ならいらない。さっさと出ていきたまえ」
「いえ、世辞でも何でも聞いていただきますよ。この体育館は、天翔学園のもの。我らの学び舎ですから」
ぽん汰の口調が変わる。
振り返った宗厳の顔を、ぽん汰は正面から見返した。
「宗厳さん、まったく素晴らしい手際です。あっという間に体育館がダンス会場だ。けれどね、否が応でも目に入ったはずですよ。あなたが会場の隅に追いやらざるを得なかった、うちの生徒たちの作品たち。あれは、天翔学園の生徒たちの声だと思っていただきたい」
「邪魔だからどけただけだ」
「完全排除はできなかった。けど、さすがにまとめて黒幕で覆うのは、黒薔薇家の外聞が悪いんじゃないですか?」
宗厳の視線に力がこもる。エリスははらはらした。
「何が言いたいんだい?」
「僕はこの学校の生徒会長だ。頑張ってきた生徒、そして関係者の声を伝える義務がある。あなたが排除したくても排除しきれなかったもの、それをしっかりと覚えていただくためにここに来ました」
睨み合いの時間が数秒。
「あまり、母校と僕たちを侮らないでいただきたい」
「ほお」
どこかすっとぼけた顔つきを一切変えず、ぽん汰は宗厳の威厳を受け止めきった。
宗厳がふっと苦笑する。
「那智君。ここを卒業したら、うちに来ないか?」
「謹んでお断りします。まずは、目の前の課題から解決したいので」
「ふん。さすが、あの神宮治が信を置く生徒だけある。生意気を言ってくれる」
「では、生意気ついでにもうひとつ。あなたが目の敵にされているうちの凄腕用務員さん。あの人こそ、侮らない方がいいですよ」
僕の見立ては結構当たるんです、と言って、ぽん汰は下がっていった。
その後ろ姿を、エリスは感嘆しながら見送った。
(私も、あんな風にお父様に進言することができたなら……カグ兄様が迫害されることもなかったのに)
ちらりと宗厳を見る。
黒薔薇家の当主は、会場をじっと見据えていた。
先ほどよりも、視線が柔らかいように見えるのは、気のせいだろうかと、エリスは思った。




