94話 大人たちの火花
淀みのない歩調で歩いてくる楓華に、宗厳の眉がわずかに動いた。
「神宮治学園長か」
「こうして対面でお話するのは久しぶりですね。黒薔薇さん」
宗厳の視線を真正面から受け止め、楓華は言った。健二たちの真横で彼女が立ち止まったので、宗厳の眉間の皺がさらに深くなった。
「生徒の側に立つのが学園長として当然、とでも言いたげですな」
「ええ、当然じゃないですか」
「なら、私がここに立つ理由もご理解いただけるだろう。必要なコミュニケーションは重ねてきた。あなたは、私がこの場に現れた意味をよく噛みしめるべきです」
宗厳の台詞に、今度は楓華が眉を動かした。
毅然と接する楓華、動じない宗厳。
ふたりの睨み合いがしばらく続いた。
健二たちは固唾を呑んで成り行きを見守る。
(楓華さん、いつになく張り詰めているな……)
日常的に彼女と接する健二には、楓華の緊張感と警戒感の強さがわかる。
「黒薔薇さん。ここは黒薔薇家の屋敷ではありません。天翔学園の敷地内です。そして、その長は私。そのような物言いは、学園と私に対して失礼では」
自身も名家との繋がりがあり、大規模校を管理運営する楓華には、相応の権力と説得力がある。
それでも、宗厳は強硬な姿勢を崩さなかった。
「今日、そちらの体育館で、我が黒薔薇家主催のダンスパーティを開催する。我々が屈しないことを、犯人に対して堂々と主張させてもらいます」
「……いくらあなたでも、直前に、しかも一方的に通知をしてくるのは不義理ではないですか」
「私はそう思わない。学園祭に相応しい余興でしょう」
「認めないと言ったら?」
「相応のやり方を取る。いずれにしろ、私が直接ここに来た以上、あなたに拒否権は認めない。私を失礼と断じるのであれば、もっと早く私を納得させるべきでしたな」
輝夜が健二にこっそりとささやく。
「お母様から聞いたことがある。黒薔薇家は、天翔学園に多額の出資をしているって。だとすれば、その気になれば天翔学園の理事会も動かせるのかも」
楓華はそのことを誰よりもよく知っているのだろう。
理不尽とも言える宣告に、険しい顔はしても、狼狽え動揺する姿は見せなかった。
「天翔祭はあくまで生徒たちによる、生徒たちのためのイベントです。その邪魔をしないように」
「無論です。私もそこまで無理解ではない。無知な子どもたちまで巻き込むつもりはありません。だが、準備にはそれなりの時間と空間的余裕が必要です。あなたから声をかけてもらえれば、すべてはよりスムーズにいくでしょう。設営準備は黒薔薇家に任せてください。確か、全体イベント終了は18時でしたな」
これは決定事項だと言わんばかりの態度。
楓華は一度瞑目し、「わかりました」と告げた。
「条件については、くれぐれも遵守していただきます。以前から何度もお伝えしているように、最も重視されるべきは生徒たちですから」
「あなたは、いち学校の長などに収まっている器でもないでしょうに。細かい女だ」
「ここが私の居場所であり、天職ですので」
火花が散った。
その後、宗厳はスマホでどこかに連絡を取りながら、黒塗りの車に引っ込んだ。スモークガラスで、中の様子はうかがい知ることができなかった。
宗厳の姿が見えなくなったことで、生徒たちの硬直が解ける。代わりに、不安によるざわめきが広がった。
楓華は小さくため息をつくと、一転して表情を明るく変えた。
「さあ、皆。大人のことは放っておいて、自分のことに集中集中! もうすぐ開場よ!」
よく通る声で楓華が呼びかけると、生徒たちが我に返った。
慌てたように、自分たちの出店テントや教室へと走っていく。
健二は長く息を吐いた。腹の底に鉛を飲んだような重さを感じる。ただ父親と睨み合っただけで、この疲労度だった。
ふと、数人の男女の生徒が健二たちのもとに駆け寄ってくる。
その先頭にいたのは、いつぞや健二につっかかってきた三之下だった。
三之下は真っ先に健二の手を掴むと、強い口調で言った。
「俺はあんたの味方だぞ!」
「そうだそうだ!」
周りの生徒たちもうなずく。
健二は目を瞬かせる。それから表情を緩め、「ありがとう」と応えた。
三之下は満足そうに頷くと、健二の隣に立つ輝夜にも声をかけた。
「輝夜さん。何かあればこの俺を頼ってほしい。全力で、君のために働こう」
「ありがとうございます。まさかこのタイミングで、先輩が来てくださるとは思いませんでした」
輝夜が小さく言う。
小さくガッツポーズする三之下を、取り巻きの男女が「よかったなあ」と励ました。文武両道のカリスマイケメンは、今や不器用さが愛されるキャラになっていた。
「よぉし。外部からの不当な圧力に負けることなく、天翔祭を完遂するぞ!」
「おーっ!」
三之下の声かけに、雄々しく同調する生徒たち。
彼らが自分の持ち場へと去っていく姿を見送りながら、エリスがつぶやいた。
「カグ兄様のお友達には、個性的な人がいるのね」
「ああ。俺にとって、大事な場所だよ」
だから、守りたい。
守って、自分に変われる機会をくれた学校と生徒たちに恩返ししたい。
個性的な子がたくさんいるこの学校を、名家の都合で踏みにじられるわけにはいかない。
それができるのは、それをすべきなのは、自分なのではないか。
かつて黒薔薇の名を背負い、今はその重圧を妹に背負わせてしまっている、そんな自分の役割ではないかと健二は思った。
「健二君」
「楓華さ――学園長」
そんな健二のもとへ、楓華がやってくる。
「ついさっき、黒薔薇家からの通知が届いてね。急いで出てきたのだけれど、もっと早く来てあげられればよかったわ。あなたたちに、いらぬ心労をかけてしまった」
「いえ……」
「まあでも、うちの生徒たちのたくましさを肌で感じられたのは収穫かしら」
生徒向けににこやかな笑みを浮かべたまま、彼女は健二に耳打ちしてきた。
「話がしたいの。皆で学園長室に来てくれる?」
健二はうなずいた。




