91話 健二の父、黒薔薇宗厳
――黒薔薇家現当主、黒薔薇宗厳。
健二の実の父親。
健二を、追放した張本人。
その人となりを、健二は表面的にしか知らない。親子らしい交流が、ほとんどなかったからだ。
父は、ただただ畏怖の象徴であった。
だが、黒薔薇家を外から見てきた楓華には、違う姿に映ったらしい。
「私の知る宗厳さんは、がむしゃらな人という印象だった。婿養子でね、何とか自分も黒薔薇家の一員であろうと努力された方よ」
「がむしゃら……」
「宗厳さんは、もともと貧しい家の生まれだったからね。当時、紗々詠さんと結婚して婿に入ったと聞いて、業界がざわついたものよ。特に、ライバルだった高嶺家はね」
楓華は高嶺家の遠戚である。その辺りの話は耳に入ってきたのだそうだ。
「結婚した直後の宗厳さんは、顔を売るのに必死だったみたいね。私も、若いころの彼から挨拶されたことがあるわ。無愛想だけど、目的のために必死になっている目が、少し健二君に似ているわね」
「そういうところは、やっぱり親子なんですね」
「意外と冷静ね、健二君」
「……」
健二は親指で、落ち着きなくカップの縁をなぞった。
「もし、宗厳さんが結婚してから変わらなかったなら、健二君とも今頃、いい関係でいられたかもしれないわ。……ごめんなさい、あなたにとっては、不愉快な言い方になってしまったかしら」
健二は首を横に振り、静かに続きを促した。
「宗厳さんは、出自のハンデを乗り越えようと、黒薔薇家の利益になることは何でもこなした。外にも内にもアピールする必要があったから、私もよく彼の姿と名前を見たわ。この学園にも出資してくれたしね。けど」
「けど?」
「それもこれも、妻である紗々詠さんの支えがあったからこそ、成し遂げられたものだった。逆に言えば、宗厳さんが背負ったものは、常人の業務量とプレッシャーじゃなかったのよ」
それだけ、黒薔薇の名は大きい――と楓華は付け足した。
「紗々詠さんを亡くしたことが、やはり大きな転換点になったのでしょうね。がむしゃらさは、頑なまでの冷徹さに変わったわ。昔から彼を知る私でも、怖いと思ったくらい。そうして宗厳さんは、名実ともに黒薔薇の当主となったのね」
「母さんの死が、父さんを変えた……」
「ええ。黒薔薇家の名に相応しい人間に、心身とも自らを作り替えたのよ。それが……宗厳さんにとって過去を乗り越える方法だったのね」
こうして、黒薔薇家の冷徹な当主が出来上がった。
これが、父の真実。健二が知らなかった、教えてもらえなかった、父のトラウマ。
「まあ、それで実の息子を追放していたら世話はないわ。大人として、それはしちゃ駄目なことだったと、私は今でも思ってる」
少しぬるくなったコーヒーを飲んで、はぁ、と息を吐く。
空調が効いているとはいえ、プレハブ小屋の中は夜は冷える。健二はエアコンに加えてストーブもつけようとしたが、楓華がやんわりと断った。
数分ほどの沈黙ののち、楓華が話題を変えた。
「そういえば、黒薔薇家に関する不思議な噂を聞いたことがあるわ。黒薔薇家が霊的なものをとても大切にしているのは、健二君も知っているわよね」
「はい」
「どうやら、それは『本当の意味で』真実らしいの。黒薔薇家の当主となる人間には、代々伝わる『守護霊』が憑くんだそうよ。信仰的な偶像じゃなくて、本物の霊。それが、黒薔薇家の繁栄を支えているって」
健二はその話を聞き、思い出した。
万津池公園で、消えゆく神様を目にしたときのこと。
(あれは、俺が黒薔薇家にいたころからずっと守ってくれていた守護霊だったのだろうか)
最後の瞬間、神様が浮かべていた微笑みが、鮮明に脳裏に蘇る。
「エリスさんがあの年齢で黒薔薇家の中枢で働いているのは、彼女にもすでに守護霊が憑いているからかもしれないわね。あの子は、何か言ってなかった?」
「『エリはずっと運がいいんだ』と」
「なるほどね。それは守護霊の御力だったのかもしれないわ」
「けれど、天翔祭でのエリスは、ずっと運の良さに悩まされていました。こんなはずじゃないって。確かに、普通じゃ考えられないような不運に見舞われていました」
「不運……? おかしいわね、どういうことかしら」
楓華は顎に手を当て、考え込む。
「古い家柄だから、物理法則を超越した相応の守護霊がいても、私は驚かない。私自身、常識では説明のできない体験をしてきたからね。けれど……何も知らない一般人がその事実を知り、そして信じたら、どうなるでしょうね」
「まさか、告発文の狙いは」
「黒薔薇家のオカルトぶりを世間に公表すること」
健二と楓華は顔を見合わせる。
「確証はないけど……もし推測通りなら、この告発文は黒薔薇家の内部、もしくはそれに近い者の『反乱』ということになりそうね。ますますエリスさんが心配だわ」
「エリス……」
「明日もエリスさんは来るのでしょう? 最後まで彼女の味方でいてあげてね、健二君」
「はい。もちろんです」
「でも、無理はしちゃだめよ。健二君は、他人のことになると簡単に自分を犠牲にしてしまうから。それは美徳と言うには少々危険よ」
「美徳なんて思っていません。俺にとって、大事な人のために行動するのは当然のことなんです」
そうすることで、自分は感情を取り戻せたのだから――と心の中で付け加える。
肩をすくめた楓華が、荷物をまとめて立ち上がる。
「さて、健二君とお話もできたし、黒薔薇家への対応も考えなきゃいけないからね。今日はもう帰るわ」
「お疲れ様です。楓華さんも、どうか気をつけてくださいね」
「ありがとう。健二君も気をつけてね」
真剣な顔で楓華は言い、用務員室を後にした。
(もう少し見回りを続けよう)
楓華を見送った健二は、懐中電灯を手にした。




