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90話 深夜の語らい


 ――深夜。

 懐中電灯の光と寂寥感のある月明かりが、無人の露店を照らす。


「この時間も特に異常なし、と」


 見張りのため、校内をぐるりと一周した健二は、用務員室まで戻ってきた。一緒に見回りをしていたネコマタが、「暖を取れ」とばかりに健二の胸元に飛び込んでくる。

 健二は遠慮なく、柔らかで温かな彼女の毛並みを撫でた。


 天翔祭1日目が終了してから、数時間が経過していた。健二は時間を置いて複数回、校内の見回りを繰り返しているが、これまで異常らしい異常は見つからなかった。


 スマホを見ると、すでに日付が変わっていた。

 画面を見つめた健二の頬が、少し緩む。


『やっくん、もう寝た?』

『焚き火の映像は心を落ち着かせるというわ。これで少しでも息抜きしてね、クロバラくん』

『カグ兄様! エリのとっておきのアイテムその15です!』


 メッセージアプリには、日付が変わる直前まで輝夜たちから送られてきたメッセージで溢れていた。

 どれも健二を心配し、また少しでも長く繋がっていたいという思いが伝わってくるものだった。


 ただ、さすがにもう彼女たちは寝静まったらしい。メッセージは途絶えている。


 スッ、と周囲が暗くなった。厚い雲が流れてきて、月明かりが隠れてしまったのだ。


「……30分だけ仮眠を取るか」


 身体をほぐし、簡易ベッドに向かう。

 ネコマタも、あくびをしてベッドに飛び乗る。


 そのとき、ネコマタが耳と尻尾を立てた。何かに気づいたように、棚の上を見上げる。

 健二もまた、同じ場所を見る。


 そこには、エリスの供えたリボン付きお守りが、昼間と変わらず静かに置かれていた。


(何だろう。お守りから、不思議な気配を感じる)


 喩えるなら、夕陽ノ万津神社でお祈りしているときのような、温かく厳かな雰囲気を感じたのだ。


 エリスは、守護霊がいると言っていた。黒薔薇家はそうした存在を大切にしていると。


 健二は、お守りに向かって手を合わせた。


「エリスを守る神様。あの子はこれまでずっと、実家の重圧を俺の代わりに背負い続けてくれました。俺は、エリスに恩返しをしていきます。だから、力を貸してください。エリスのことを、これからも守れるように」


 静かに、真剣に願う。


 ネコマタが小さな鳴き声を上げた。

 先ほどまで感じていた不思議な気配が、さらに強くなった。


 直後、こつん、と窓ガラスに何かがぶつかる音がした。

 懐中電灯を手にプレハブ小屋を出て辺りを見渡す。すると、地面にきらりと光を反射するものが見つかった。


「……雹だ」


 指先でようやくつまめるほどの、小さな小さな氷の塊だった。

 指先に感じる微かな冷たさ。それを引き金に、かつて黒薔薇家を追い出されたときの光景がフラッシュバックする。


(感情を取り戻しても、俺はまだあのころに囚われているのか)


 体温であっという間に溶けていく雹を見つめ、健二は目を据えた。居ても立ってもいられず、仮眠を後回しにして、もう一度見回りに出ようと踵を返した。


 そのとき、夜の校舎を車のヘッドライトが照らした。

 屋台のテントの間を縫うように進みながら、健二は慎重に校内駐車場へと向かった。


 セダンタイプの車が一台、ちょうど駐車場に停まるところだった。

 健二が懐中電灯を向けると、運転席から人が降りてきた。


「お疲れ様、健二君」

「楓華さん?」

「差し入れ、持ってきたわよ」


 やってきたのは学園長の楓華だった。

 彼女は後部座席から、コンビニの袋を取り出した。夜の闇に、わずかに湯気が見える。


「雇用主として、そして叔母として、あなたを放っておけなくてね。様子を見に来たわ」

「こんな夜遅くにわざわざ……ありがとうございます、楓華さん」

「いいのよ。輝夜や周りの可愛い子たちのことだから、あなたのことを気にしてメッセージでも送ってるんでしょうけど、さすがにこの時間なら大人しくなってるでしょ」

「お見通しでしたか」

「ええ。……健二君、本当に大丈夫?」


 ふと、楓華の表情が真剣なものになった。

 健二の身を、心から案じてくれているのだ。健二は感謝を込めて頷いた。


 それから健二は、楓華の希望で、用務員室まで彼女を案内した。学園長室だとどうしても仕事を思い出してしまうらしい。


「うー、さすがにこの時間は冷えるわね……」

「カップスープ、作りましょうか」

「それじゃあ、御言葉に甘えようかしら」


 用務員室には、楓華のはからいでエアコンが設置されている。部屋が程よく暖まったころ、健二が作った温かいスープと差し入れを囲んで、ふたりは椅子に座った。


 とりとめのない雑談を交わしてから、おもむろに楓華が切り出した。


「ここだけの話だけど、学園に黒薔薇家から圧力がかかったわ。『騒ぐな』って。次期当主のエリスさんじゃなくて、現当主の方から」

「昼間の件が、本家に伝わったのでしょうか」

「おそらくね。けど、それにしては動きが速い。きっと、水面下でのゴタゴタは続いていたのよ」


 楓華は天井を見上げ、息を吐いた。


「騒動については、すでにエリスの護衛さんから事情説明と謝罪を受けてる。それでだいたいの背景は察したつもり。エリスさん、だいぶまずい立場に追い込まれているみたいね」

「まずい立場?」

「今日を含めて、エリスさんの行動は本家の意図しているものじゃなかったってこと。さすがに、次期当主候補をいきなり謹慎処分にはしないと思うけど……これまでのように自由にはやらせてもらえないかもしれないわね、エリスさん」

「父が、エリスを縛ると」

「……。昔ならともかく、今は、ね」

「楓華さん。父のことを教えてもらえませんか?」


 不意の質問に、楓華は瞠目した。

 健二は、ぐっと眉間に力を入れる。


「俺は、たかちゃんたちのおかげで感情を取り戻せました。けど、本当の意味でトラウマを克服したとはいえないんです。エリスを守り、恩返しするためには、俺は父と対峙しなければなりません。『怖ろしい父』のイメージに縛られている間は、俺はきっと、父を超えることができない」

「あくまでエリスさんに恩返しするため、か」


 楓華は微笑んだ。


「いいわ。これまで、あなたのメンタルに配慮して黙ってきたけど、私の知っているあの人のことを教えてあげる。あなたはもう、自分を卑下して黒子に甘んじる人間じゃなくなったものね」


 そう口にして、楓華は語り出した。



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