89話 美少女たちの空騒ぎ
用務員室の外で、小走りに駆け寄ってくる足音がした。
「やっくん! 戻ったよ!」
「ようやくクラスの皆から解放されたわ。クロバラくん、大丈夫だった?」
手伝いを終えた輝夜と千影が、揃って用務員室へやってきた。ふたりとも、ぱんぱんに膨れたビニール袋を持っている。
どうやら、健二たちが用務員室に入る様子を、教室から見ていたらしい。
健二はにこやかにふたりを出迎えた。
「お疲れ様、たかちゃん、千影さん」
「……えっと。やっくん、これはいったい」
輝夜が、仲良く寄り添って座る健二とエリスを指差した。エリスが悪戯っぽく口元を緩め、ツインテールの頭をこてんと健二の胸に当てる。
輝夜と千影は、羨ましそうに唇を噛んだ。
「……ん? あれ!? 九鬼さん!?」
「えと。こんにちは。お邪魔してます……」
部屋の隅に怜奈が立っていることに気付いた輝夜が、目を丸くした。怜奈は遠慮がちに挨拶をする。
「高嶺、さん。クラスの手伝い、お疲れ」
「あ、はい……その、ありがとうございます」
勇気を出して声をかけた怜奈からは、輝夜と和解しようという気持ちが伝わってきた。それに対し、輝夜は少しだけ顔を強ばらせた。
さすがに、歩み寄ろうとする相手に「なぜここにいるのか?」と強く言えないようだ。
気まずい空気がふたりの少女の間に流れる。輝夜と怜奈は、揃って救いを求めるように健二を見た。
ふたりの視線を遮るように、エリスが身を乗り出した。
「カグ兄様と怜奈お姉ちゃんが、エリを助けてくれたの。今、たーっぷり慰めてもらっているところ」
「たーっぷり、慰め。むぐぐ」
胸を張る小学生に、輝夜が唇を噛む。
だが、安堵したような健二の表情を見て、輝夜は肩の力を抜いた。
「もう……。困っている人を放っておけないなんて、やっくんらしいね」
「私たちもそれで救われたわ」
千影も続いた。輝夜ほど確執のない彼女は、大人びた仕草で怜奈に目礼する。
「どうも」と頭を下げた怜奈は、ぽつりとつぶやく。
「そういう思い出があるの、いいよね」
どうやら彼女は、自分と健二との間に、輝夜たちほどの繋がりがないと思っているようだ。
健二は言った。
「怜奈さんも、これから思い出を作っていけばいい」
「私は……そこまでされるような人間じゃないよ。皆の邪魔しちゃ悪いし、私はこれで」
怜奈は自分から一歩引いて、立ち去ろうとした。
すると、エリスがベッドから立ち上がり、怜奈を追いかけた。裾を引き、室内に引き留める。
輝夜と千影は、その様子を驚いた顔で見ていた。エリスが、健二以外の人物に執着するとは思っていなかったのだ。
「行っちゃ駄目。怜奈お姉ちゃんは、一緒にここにいるの」
「エリスお嬢様……」
「お嬢様!?」
再び輝夜が目を剥く。
「えっと、九鬼さん。いつの間にエリスちゃんとそんな関係になったの?」
「エリがそう呼んでってお願いしたの。怜奈お姉ちゃんは特別だから」
エリスが『特別』の単語に力を込める。
輝夜と千影の視線を受け、怜奈は気まずそうにした。ただ、エリスの求めに応じてしっかりと手は握っていた。
輝夜と千影が身を寄せ合う。
「これは……思わぬところから強敵が」
「そうね」
「ふ、ふたりとも! 私はそんなつもりじゃ」
「怜奈お姉ちゃんには、エリのお世話係になってもらうから。必然的に、カグ兄様とも近しくなるよね!」
「エリスお嬢様! このふたりの前でそんなこと言わないで」
狼狽える怜奈を見ていられなくなり、健二は仲裁に入った。
「ちょっとトラブルがあってさ。俺が席を外している間、怜奈さんがエリスを守ってくれていたんだ。エリスはそのお礼がしたくて、一緒にいようと怜奈さんを誘ったんだよ」
「そういうことだったんだね。それにしても」
「怜奈さん、か。クロバラくんともずいぶん打ち解けた様子ね」
少しだけ頬を膨らませる輝夜と千影。
健二は苦笑し、それから声を潜めた。
「それより、たかちゃん、千影さん。ふたりに注意喚起しておきたい。今回の天翔祭には、どうやら裏がありそうなんだ」
「え?」
「黒薔薇家を、何者かが告発しようとしている。俺のもとへ、それを報せる手紙が届いた」
今は楓華さんに預けてある謎の手紙の存在を告げる。
健二が楓華に助力を求めるなら、よほどのことだ――そう考えた輝夜たちは、表情を引き締めてうなずいた。
「それじゃあ、今日はずっとここにいよう。ちょうど、お友達からたくさんもらってきたんだ」
輝夜が、手にしたビニール袋を掲げる。粉もののいい匂いが漂ってきた。
たこ焼きに、焼きそば、からあげ。学園祭定番メニューの他にも、学生らしい遊び心にあふれた食べ物や飲み物もある。
千影も同じように袋を示した。彼女もまた、屋台からいろいろ仕入れてきたのだ。
「それじゃ、一足早い打ち上げといこうか」
折りたたみテーブルを出し、健二、エリス、輝夜、千影、そして怜奈で、山盛りの食べ物を囲んだ。
「おお、ソースの味がしっかり効いてる」
「わあ、なにこれ。変なかたちー」
「やっくん、こっちもおいしいよ。はい、あーん」
「食べ過ぎは美容によくないけど……まあ、今日はチートデーということで」
「……緊張で味があんまわかんないけど、いいね。この空気」
そうしているうちに、天翔祭の1日目終了を報せるアナウンスが流れた。窓から差し込む陽光は、夕暮れの色に染まっていた。
空の容器を片付けながら、輝夜がさりげなく言った。
「じゃあ、やっくん。一緒に帰ろうか。今日もうちに泊まるでしょ?」
「待って、輝夜お姉ちゃん。そうは問屋が卸さないんだよ。カグ兄様はエリがホテルまで連れていく。黒薔薇家所有のホテルだから、カグ兄様も大満足なんだよ」
すかさずエリスが対抗する。
ふたりの美少女は、どちらが自分のテリトリーに健二を招くかで静かにぶつかり合った。
そんな中、千影がするりと健二に腕を絡める。
「ふたりとも、ずるいわよ。順番でいったら、私の家でしょう。ねえ、いいわよね。クロバラくん?」
「あーっ!」
「千影お姉ちゃん、ずるい!」
輝夜、エリス、千影が健二に詰め寄った。
「やっくん、どうするの!?」
「カグ兄様は、エリと一緒に帰るよね!? エリ、まだ不安なんだよ!」
「クロバラくん、今日はずっと子守で疲れてるんじゃない? 私の部屋でゆっくりしていってね」
「……なんでここの人たちは、こんなに積極的なんだろう。私には無理、絶対」
アグレッシブな美少女たちを見て、二の足を踏む怜奈。
それぞれの誘いを受けた健二は、小さく息を吐いた。
「皆、ありがたい申し出だけど、やめておくよ。俺は今日、ここに泊まる」
「えーっ!?」
「さっきも言ったとおり、天翔祭では何かが起こっているんだ。皆のためにも、天翔祭をつつがなく成功させるためにも、今日は泊まり込みで学校を見張ろうと思う」
「そういうところ、やっくんらしいね。よし! じゃあ、私も泊まる!」
「エリも!」
「私も」
「エリスお嬢様が泊まるなら……私も」
「みんな……」
困った健二が眉を下げる。
「輝夜お嬢様」
「エリスお嬢様、お迎えにあがりました」
そのとき、高嶺家と黒薔薇家の使用人たちが同時に用務員室にやってきた。
「お話が聞こえてきましたよ。皆様、今日は大人しく帰りましょう」
「えぇー……」
「ほら、エリスお嬢様も」
「えぇー……」
使用人たちの説得により、輝夜たちはしぶしぶその場を後にする。千影と怜奈も、使用人からやんわりと、しかし強く送迎を勧められ、うなずいた。
「じゃあ、またね。やっくん」
「カグ兄様、どうかお気をつけて」
「ああ。皆も、気をつけて帰って」
去っていく輝夜たちを見送る。
静かになった用務員室で、健二は大きく息を吐く。
物陰に潜んでいたネコマタが「やっと静かになった」とばかり、「んーにゃ」と背伸びした。
健二はネコマタを抱き上げ、再び表情を引き締めた。
「よし。行こう」




