92話 来訪を告げる電話
――翌日の早朝。
朝の見回りを終えた健二は、用務員室の前で睨み合っている輝夜とエリスを見つけた。
エリスの隣には怜奈の姿もあった。
黒いフリルをあしらった膝丈ワンピースに、白いエプロン姿だ。昨日のメイド服姿を彷彿とさせる。
ただ、エリスが手配したのか、学園祭で使う市販品ではなく、いかにも高級そうな仕立てだった。
落ち着かないのか、怜奈はもじもじしていた。
「あ……健二君」
その怜奈が真っ先に健二に気づく。
輝夜とエリスも、睨み合いをやめて、すぐさま駆け寄ってきた。
「おはよう、やっくん!」
「昨日はお楽しみじゃなかったですよね、カグ兄様!?」
「お楽しみ?」
首を傾げる健二に、「誰かと一緒にいなかったかってこと」と輝夜が言う。
「楓華さんと一緒にいたよ」
「えっ!!?」
「楓華さんって、天翔学園の学園長さん!?」
「差し入れを届けに来てくれたんだよ。少し話をして、帰っていった」
正直に告げる。
何もおかしなことはないはずだったが、輝夜とエリスはひどくショックを受けていた。
「密室でふたりきり! 大人の魅力に負けた……!」
「成人女性には敵わないのですか……! 早く大人になりたい……!」
膝をついた輝夜とエリスは、がばっと顔を上げる。
「楓華さんには負けられない!」
「そうです、諦めたらそこで試合終了です。では輝夜お姉ちゃん、今日はどちらが『大人っぽい姿』をカグ兄様に見せられるか、勝負です!」
「望むところだよ、エリスちゃん。今のところ、一番大人っぽくて強敵の千影さんがいないから、一騎打ちだね!」
火花を散らすふたり。健二はやんわりと「昨日のこともあるから、あまり羽目を外さないように」とたしなめた。
「あの、健二君」
怜奈は手にしたランチバッグを、遠慮がちに差し出してきた。
「これ、差し入れ。朝ご飯、まだだったら食べて」
「いいのかい?」
受け取るとほんのり温かい。中身は食品保存容器に入ったおかずとおにぎりだった。保温瓶には味噌汁が入っているという。
「ありがとう。これ、怜奈さんが作ったの?」
「えっと、うん。エリスお嬢様にせがまれたから、一緒に。私、上流の暮らしなんてしてこなかったから、こんなのしかできないけど。嫌だったら、返してくれていいから」
「とんでもない。ちょうど見回りでお腹がすいたところなんだ。ありがたくいただくよ。先に少し食べていいかな?」
「ど、どうぞ。あ、これ手拭き」
すかさず手提げ鞄からウエットティッシュを取り出す怜奈。さすがの準備の良さと手際の良さだった。
おにぎりをひとつ手に取る健二。絶妙な塩加減で絶品だった。
こういうシンプルでごまかしがきかない料理だからこそ、腕の良さが際立つ。
「おいしいよ。怜奈さんは料理上手だね」
「そんな、別にこれくらい普通……。私の場合、母の世話をしている中でできるようになっただけだし」
謙遜しながらも、嬉しそうに髪を耳にかけた。
輝夜がぼやく。
「……まさか、目の前に巨大なライバルがいるとは」
「怜奈お姉ちゃん、さすが! その調子でカグ兄様をメロメロにしちゃって!」
一方のエリスは、歓声を上げた。
あっという間におにぎりをひとつ平らげ、健二は尋ねた。
「怜奈さんは、昨日はエリスとずっと一緒だったのかい?」
「うん。エリスお嬢様の厚意でね。臨時の付き人として家に入らせてもらったの」
滅茶苦茶緊張した、と怜奈はこぼした。
それから、声を潜めて報告する。
「いちおう、エリスお嬢様から目を離さないようにしていたけど、おかしな動きはなさそうだったよ。とりあえず、家の中は安全みたい」
「そうか、よかった。怜奈さんがいてくれて心強いよ。ありがとう」
健二は小さく胸をなで下ろす。
もし、黒薔薇家内部の人間が今回の騒動に絡んでいたとしたら、家の中でも安全とはいえなかった。
いくらエリスが気に入った相手だからとはいえ、本来、部外者である怜奈は本家に入れなかったはず。それがこうして臨時の付き人がこなせているということは、少なくとも、黒薔薇本家には警戒されていないということだ。
エリスが怜奈を気に入ったのは偶然のはずだが、こうなると神様が導いた運命のような気がしてきた。
「私は、別に何もしてない。エリスお嬢様に認めてもらえて嬉しかったから、少しでも恩返しできれば、それでよかったの。もちろん、健二君にも」
怜奈ははにかんだ。
微笑みながら頷いた健二は、辺りを見回す。まだ健二を巡って言い合っている輝夜とエリスの他は、特に怪しい人影もなければ、気になる視線も感じない。
そこでふと、あることを思い出した。
「そういえば怜奈さん。ここしばらくは『彼』と一緒じゃないんだね」
「彼……? ああ、与志郎のこと」
怜奈は腕を組んだ。
「彼は昔なじみだからよく一緒にいたけど、そういえば少し前から顔を見せなくなってるね。理由はわからない」
「そっか」
「与志郎に何か?」
「いや、別に用があるわけじゃないんだ。ただ、単純に気になっただけ」
「そう。あいつに会ったら、声だけかけとく。健二君が気にしてたよって」
「ありがとう」
そのとき、怜奈のポケットで着信音がした。聞くだけで背筋が伸びるような、無機質な電子音。彼女は少し無骨な黒いスマホを取り出した。
エリスの臨時付き人になっていた彼女は、エリスへの連絡係も任されていたのだ。
電話に出た怜奈は、途端に表情を強ばらせた。
健二と輝夜たちは顔を見合わせる。
しばらくやり取りをしたのち、怜奈は電話を切った。
「エリスお嬢様、ご実家から連絡です。本日の天翔祭にお父上――宗厳様がお越しになるそうです」
「お父様が?」
怜奈の言葉に、眉を寄せるエリス。
それ以上に動揺を見せたのは、健二だった。
がしゃん、とランチバッグが手からこぼれ落ちる。
「やっくん!?」
「健二君、大丈夫?」
輝夜と怜奈が駆け寄り、気遣う。
健二は手を挙げてアピールしたが、大丈夫だと言葉にはできなかった。
落としたランチバッグを拾う手が、細かく震えていた。
(父さんが……来る? 今から、ここに?)
それは健二にとって、青天の霹靂だった。




