86話 謎の紙片
「カグ兄様?」
「健二君、どうしたの?」
教室の出入り口で立ち止まった健二を、エリスと怜奈が不思議そうに振り返る。
健二はさりげなく紙片を隠した。
「何でもないよ。それより、すまないエリス。仕事があるのを思い出した」
「えーっ!?」
「本当にすまない。すぐ終わらせて戻るから、それまで怜奈さんと回っていてくれないか」
怜奈に視線を向ける。
「エリスのこと、頼むよ。今の君なら、妹を任せられる」
「……そんな。あんなことがあったのに、私のこと信じちゃっていいの?」
「信じるよ」
そう言って、健二は微笑む。
怜奈は赤面し、唇をきゅっと引き締めた。胸に手を当て、心を落ち着かせるように深呼吸をしてから、「うん。わかった」と頷いた。
対して、エリスは不満そうだった。
「これから目一杯楽しめると思ったのに」
「ごめん。ただ、さっきも俺目当てで知らない人たちが集まってきたからさ。少しほとぼりを冷ましたほうがいいと思うんだ」
「まあ……カグ兄様がそう言うなら」
渋々、エリスが頷いた。
仲良く手を繋ぎいで廊下を歩いていくエリスたちに、手を振って見送る。
そして、姿が見えなくなったところで健二は踵を返した。
ポケットから例の紙片を取り出す。
表面にはパソコンで打ち込まれた無機質な文字で、こう書かれていた。
『天翔祭の終わりに黒薔薇家の闇を告発する』
脅迫とも取れる怪文書である。
(どうしてこんなものが、俺のポケットに)
健二が困惑したのは、これだけが理由ではない。
紙片の隅が一部、無造作に破り取られていた。破り取られたほうの紙片も、一緒にポケットに入れられていたのだ。
その破れた紙片には、歪な手書き文字でこう記されていた。
『すまない』
たったひと言の謝罪文。
これらの紙片を健二のポケットに入れた人物は、脅迫をしながら謝罪もしているということになる。
健二は廊下を歩きながら、さりげなく辺りを観察した。
校内は祭りの最中で、多くの人が行き交っている。数人の生徒が健二に向けて手を振ってくるものの、紙片を忍ばせたと思われる人物は見当たらなかった。
(もし誰かが俺を狙いうちしたのなら、エリスを巻き込むわけにはいかない)
後ろで生徒たちのざわめきがした。
「なぉん」
「ネコマタ」
健二を追いかけ、ネコマタが廊下を走ってきたのだ。足元を巧みに駆け抜けていくネコマタを、来場客が目を丸くして見つめていた。
ネコマタを収めたリュックはエリスが背負っていたが、抜け出してきたのだ。
彼女は軽々と健二の肩に乗ってきた。
「ネコマタ、君は気づいたかい? この紙を入れた人物に」
「なお……」
「そうか」
どうやら見逃してしまったらしい。まさに一瞬の隙だった。
ただのいたずらとは思えない。黒薔薇家の次期当主、エリスが天翔学園に来ていることを知っての行動だろう。
だが、それならばなぜ、健二に脅迫文を押しつけたのかがわからない。
それに、脅迫文に添えられた謝罪の言葉の意味も。
「……俺がひとりで考えても、埒が明かない。信頼できる人に相談しよう」
学園内で相談相手に最も相応しいのは、天翔学園の学園長、楓華だ。
健二は小走りで、学園長室に向かった。
学園長室があるフロアは、天翔祭中も関係者以外立ち入り禁止になっている。ざわめきが遠くなり、人通りのない廊下を進み、健二は学園長室の扉をノックした。
少し疲れた声で返事がある。
「はい。どちら様かしら」
「健二です。楓華さん、今よろしいですか」
「どうぞ」
失礼します、と前置きして部屋の中へ入る。
ちょうど一仕事終えたところなのか、執務机の椅子にもたれて、楓華がくつろいでいた。
「どうしたの、健二君。輝夜たちとのデートで、何かトラブルでもあった?」
気安くからかってきた楓華だが、健二の表情を見て笑みを引っ込めた。手にしたコーヒーカップを机の上に置く。
「何かトラブルがあったのね?」
「これを見てください。誰かが、俺のポケットに忍ばせたものです」
健二はふたつの紙片を取り出して、楓華の前に広げた。眉間に皺を寄せる楓華。
「まさか、こんなときに黒薔薇家の名前が出てくるとは」
「すみません、楓華さん。今、妹のエリスが天翔祭に来ているんです」
「知ってるわ。あれだけ物々しく校門前を賑わせていたから」
楓華は言った。
「今、黒薔薇エリスさんは?」
「九鬼怜奈さんと一緒です。エリスが彼女をとても気に入っていたので、任せました」
すぐ戻るつもりです、と健二は言い添える。エリスから預かった専用の携帯端末は手元にある。何かあれば連絡が来るはずだ。
「事情が事情なので、まず楓華さんに相談しようと」
「なるほどね」
楓華は紙片を睨みながら、顎に手を当てた。
「正直、黒薔薇家を疎ましく思う者はたくさんいるわ。そのうちの誰かの仕業でしょうね。おそらく、健二君の出自も知っている人物よ。ただ、それにしては謝罪の言葉も一緒なのは奇妙ね」
「はい」
「それに……衆人環視の中、健二君に気づかれずにポケットに忍ばせるなんて。まるで昔のあなたみたい」
健二は目を見開いた。
(まさか、天翔祭の観客の中に、俺と同じステルス能力を持った人間が紛れ込んでいる?)
「あなたはどう思う、健二君?」
楓華から見解を聞かれた健二は少し考えた。
真っ先に思い浮かんだのは、謝罪の言葉だ。
「この紙片をポケットに入れた人物は、告発が本意ではなかったと思います。わざわざ紙を千切り取り、手書きで謝罪の言葉を添えているんですから」
「そうよね……」
楓華は頷いた。
「もし健二君の考えが正しければ、この告発者は、健二君に協力してほしくて、敢えて2枚の紙片を託したのかもしれないわ。あなたに対する脅迫ではなく、助けを求めるSOSとして」
「誰かが、俺に助けを……だからこんなにも字が震えているのか」
「健二君、エリスのそばから離れないでいてあげて。私のほうでも、対策を考えておくから」
学園長の言葉に、健二は頷いた。
(俺だけのことなら無視できる。けど、せっかく天翔祭を楽しんでいるエリスを困らせるようなことは、放っておけない)
楓華に礼を言って踵を返す。
自分でもそれとなく調査してみようと、健二は思った。
(ステルス能力が失われた今でも、できることはあるはずだ)
「健二君」
「はい?」
「あまり無理をするんじゃないわよ。あなたにはもう、あなたを大事に思うたくさんの人がいるんだから」
頼りにしている大人からの忠告に、健二は深く頭を下げて応えた。




