85話 エリスお嬢様とともに
「ねえ、カグ兄様。怜奈お姉ちゃんとは、どうやって知り合ったの?」
「もともとはたかちゃんと同じ生徒会役員だったからだけど……ごめん、エリス。これ以上は本人の名誉のために言えない」
「そっか。カグ兄様がそこまで言うってことは、きっと芸能事務所のマネージャーの件が関係してるんだね」
「エリス、どこでそれを」
「カグ兄様のことなら、事前にたくさん調べたもん」
エリスは目を伏せた。
「でも、そっか。怜奈お姉ちゃんも、大人に振り回されて辛い思いをしてきたんだね」
そうつぶやいたエリスは、椅子から下りた。
怜奈の元に歩み寄る。
「お料理は怜奈お姉ちゃんと一緒に運びたいな」
「え? でも」
「いいから、いいから。ついでに一緒に食べようよ。ね? いいでしょ、怜奈お姉ちゃん」
黒薔薇家の次期当主として磨き上げた満面の笑みで、怜奈だけでなく他の生徒たちをも虜にするエリス。
怜奈のために紅茶をわざわざ追加で注文し、エリスはテーブルに戻ってきた。メイド姿の怜奈も隣に座らせる。
「はい、どうぞ。怜奈お姉ちゃん」
「あ、ありがとう。えっと、あなたは」
「エリスだよ。黒薔薇エリス。カグ兄様の実妹です。義理じゃないよ?」
「はぁ……。あ、ちょっと待って」
怜奈は立ち上がると、エリスの傍にひざまずいた。クッションの位置を直し、さらにハンカチでエリスの服を拭う。
「さっき配膳したときかな。少しだけコーヒーが散ってる。……よし、たぶんこれで大丈夫」
「ありがとう、怜奈お姉ちゃん」
「エリスちゃん、だっけ。クッションの高さは問題ない?」
「エリのことはエリスでいいよ。あ、できればエリスお嬢様って呼んでほしいな」
エリスが冗談めかしてそんなことを言い出すので、健二は慌てた。
しかし、当の怜奈は気を悪くした様子もなく、「わかった。エリスお嬢様」と応じた。落ち着いたクラシカルメイド姿と相まって、まったく違和感がない。
怜奈は剣崎の事件に巻き込まれるまで、母親の機嫌を過度にうかがう生活を続けてきた。献身的な振る舞いは、そのときに身についたのだろう。
「ふふ。やっぱりだ。怜奈お姉ちゃんからお嬢様って言われると、何だかすごくしっくりくる。これは運命だね。黒薔薇の血がそう囁いているんだよ!」
「エリス、あまり年上をからかっては」
「からかってないよ。本気だもん」
どうやら、エリスは怜奈のことをとても気に入ったらしい。
輝夜や千影には見せなかった裏表のない笑みで、今日のことをずっと話している。怜奈用の紅茶をクラスメイトが運んできても、喋りは止まらない。
一方の怜奈も、エリスの話にずっと耳を傾けていた。そして時折、エリスの口元についた汚れをハンカチで拭いてあげていた。
健二はふたりの様子を見つめながら、コーヒーに口を付けた。
(たかちゃんと怜奈さんの間に起こったことは黙っていよう)
ふと、怜奈が遠慮がちに言った。
「健二君、私と一緒にいるのは気まずいよね。さっきから黙ってるし……」
「いや、そんなことないよ」
健二は小さく笑って、首を横に振った。感情を取り戻していてよかったと彼は思った。無表情のままだったら、誤解させていただろう。怜奈に対する穏やかな気持ちは、伝わらなかったはずだ。
健二の優しげな表情を見て、怜奈は耳まで赤くなった。俯きながら、ティースプーンで紅茶の中身を意味もなくかき混ぜる。
「どうかした?」
「う、ううん。何でもない、何でも」
慌てる怜奈。
メイド服の少女を見つめたエリスは、頬に指を当てて考え込んだ。
まるで「おかわりいる?」と尋ねるような気安さで、黒薔薇家次期当主の少女は言った。
「怜奈お姉ちゃん。黒薔薇家の使用人にならない? 卒業したらでいいから」
「へ?」
「より正確に言えば、エリのお世話係になってほしいの。どうかな?」
「お、お世話係!? 私が!?」
「うん。ぴったりだと思うの。気遣いできるし、カグ兄様を大事にしてくれそうだし、何よりエリが怜奈お姉ちゃんと一緒にいたい」
「エリスお嬢様……」
瞳を潤ませた怜奈は、慌てて目をこすった。それから、困惑顔で健二を見る。
「怜奈さん。エリスが自分からこんなことを言うのは、とても珍しいよ。本気で君のことを認めて、そばにいて欲しいと思ってるんだよ」
「こ、こんな落ちこぼれの私でも、いいの?」
「自分で自分を落ちこぼれなんて言っちゃダメだ。本当にダメだよ、怜奈さん」
健二は、自らの経験を踏まえて言った。
脳裏には、幼いころの自分があった。父親を前にして、自分は無価値だと言い聞かせているだけだった、かつて黒薔薇耶倶矢だったころの自分だ。
視線を彷徨わせ、さらに顔を真っ赤にした怜奈は、「前向きに、考えさせていただきます……」と消え入るような声でつぶやいた。
まるでプロポーズの返事みたいだ。
健二とエリスは顔を見合わせ、満足そうに微笑み合った。
そのとき、複数の足音が聞こえる。
「例の用務員さんが来てるって?」
「どこどこ? あ、いた!」
「一緒に写真撮ってくださーい!」
健二たちの噂を聞きつけた他の生徒たちが、教室に押しかけてきたのだ。その数は10人ほどに膨れ上がっていた。
「ちょっと! 他のお客さんの迷惑になるでしょ!? 邪魔しないでよ!」と、接客係の女子生徒が苦言を言う。
このままでは、いらぬ諍いを起こしてしまいそうだ。
健二は立ち上がり、押し問答をする輪の中に自ら入った。
「お店の人の言うとおりだ。このままじゃ迷惑になるから、ここは解散してくれないか」
「えー。せっかく見つけたのに」
「他人に迷惑をかけちゃ、駄目だ」
静かだが有無を言わさない口調で、健二は告げた。
健二のことをイケメン優男と聞いていた野次馬たちは、健二の意外な気迫に気圧されていた。
それでも、祭りの雰囲気に浮かれているのか、なかなか散ろうとしない。
健二はため息をついた。
「このままここにいたら、迷惑になりそうだね。俺たちが出ていくよ。エリス、行こう」
「はーい。あ、接客のお姉ちゃん! これ、お代ね」
「は、はあ……って、なに、この大金!?」
「エリの身も心もお世話してくれた正当な報酬かな」
万札を2枚机に置いて、エリスは立ち上がった。そして、困惑する怜奈の手を握る。
「さ、行こ」
「エ、エリスお嬢様!?」
「怜奈お姉ちゃんとも一緒に見て回りたい。誰にも邪魔されず、楽しくね。いいでしょ?」
可愛らしい笑顔の中に、名家の次期当主たる威厳と威圧を滲ませるエリス。その様子は、怜奈よりもむしろ、野次馬たちをたじろかせるのに効果があった。
野次馬たちが引き潮のように退散していく。エリスは胸を張り、怜奈を引っ張って教室を出る。
(本当に気に入ったんだな)
微笑ましく妹たちを眺めていた健二は、エリスに呼ばれて後を追う。
校内パンフレットを取り出そうとして、ふと、違和感に気付いた。
(ポケットに、何か入っている? いつの間に)
ポケットを探る。見覚えのない紙片が一枚、入っていた。
折りたたまれたそれを開き、中を見た健二は――大きく目を見開いた。




