84話 エリスにとっての怜奈
「あ、やっぱりここにいた! 輝夜!」
「よかったぁ、紫月さん!」
そのとき、プレハブ小屋に数人の女子生徒が駆け込んできた。ひとりは、輝夜の友人でクラスメイトの杵築だった。
彼女たちはそろって頭を下げた。
「ごめん! 少しだけでいいから、ウチのクラス手伝ってくれない!?」
「予想以上に忙しくて……他の子が休憩する間だけでいいから。お願い、紫月さん!」
どうやら、クラスの出し物が盛況なため、人手が足りなくなったらしい。
前もって自由行動を認めてもらっていたふたりは、困惑の表情を浮かべた。
「うーん。でも……」
「クロバラくんとエリスちゃんをふたりにしておくのは……」
「俺たちなら大丈夫だよ」
健二は言った。
「たかちゃん。普通の学校の文化祭に憧れてただろう? お客として回るだけじゃなくて、クラスの皆と一緒に出し物頑張るのもいいと思う」
「う……」
「千影さん。きっと千影さんを待ってるお客さんもいるんじゃないかな。千影さんの魅力をもっと気軽に知ってもらおうよ。その方が、俺も嬉しい」
「クロバラくん、なんて殺し文句を……」
純粋ゆえに容赦ない健二の言葉に、天翔学園のツートップは唸った。杵築たちは、まるで救世主を見るように、健二に手を合わせた。
結局、健二のアドバイスと杵築たちの熱意に押され、輝夜と千影はそれぞれのクラスへと戻っていった。
「ふたりきりだね、カグ兄様!」
「あとでたかちゃんたちを労いにいこう」
「はぁーい」
エリスが健二の腕に抱きついた。空いた手で、天翔祭のパンフレットを開いた。
「ねえ、カグ兄様。もうちょっとお店回っていい? 今度はカグ兄様が選んで」
「そうだなあ」
びっしりと書き込まれたパンフレットを、健二は眺める。
ふと、とあるクラスが目に留まった。喫茶店を開いているクラスだ。
九鬼怜奈がいるクラスである。
「ここが気になるの?」
「知り合いがいるクラスなんだ。前にいろいろあったから、今どうしているのかなと思って」
「それじゃあ、この喫茶店にしよう。エリ、ちょうど喉が渇いたところだし。……あ、飲食ブースだから、猫ちゃんはこっちね」
エリは用務員室から空のバッグを見つけ、ニコニコ顔でバッグの口を開いた。
「うー……」と不満そうに唸るネコマタ。しかし、この部屋に一匹取り残されるのは嫌だったようで、するりとバッグの中に収まった。仏頂面の顔だけがぴょこんとバッグの天辺からのぞいていた。
「かわいいー。やっぱり賢い子だね。さすがカグ兄様のペット」
「この子は俺のペットじゃないよ」
「そうなの?」
「ああ。俺にとって大事な友人さ」
まるで健二の台詞を完璧に理解しているように、ネコマタは「なぉん」と鳴いた。
その後、健二たちは怜奈がいるクラスへと向かった。
入口からちらりと中を窺う。
怜奈は接客係らしい。誰のチョイスか、クラシカルなメイド服に身を包み、所在なげに立っていた。
喫茶店はそれなりの客入りだ。暇なわけではないだろう。
どうやら、謹慎明けで間もない怜奈は、クラスから浮いているようだ。肩身の狭い思いをしているらしい。
健二から声をかけるのは躊躇われた。
輝夜に対して怜奈がしたことは、とても許されないことだ。
一方で、剣崎の件では、怜奈は被害者である。
今まさに、怜奈は立ち直っている最中なのだ。
「あ、用務員さんだ!」
別の接客係が声を上げた。
すると、客も含めていっせいに健二を見た。
「おお、あれが噂の」
「スーパー用務員さん!」
「あんたのおかげで、ウチのクラスも助かったよ!」
ここでも健二の名前は知れ渡っているらしい。
健二とエリスは、あっという間に生徒たちに囲まれた。
「むふふ。カグ兄様の人気は不動なんだね。実の妹として鼻が高いよ」
主に女子生徒から「かわいい!」と撫でられながら、エリスは胸を張った。
その光景に頬を緩めた健二は、ふと、怜奈と目が合った。
「あ……」
怜奈は小さく呟き、一瞬、嬉しそうに顔をほころばせた。
しかし、すぐに表情を曇らせてしまう。
驚きと喜びと気まずさが入り交じった顔であった。
健二たちを囲む輪の中に、怜奈はひとり入らずにいた。
声をかけるべきか健二が迷っていると、エリスが怜奈を指差した。
「そこのお方。注文をお願いできるかしら?」
「え? あ、はい……ただいま」
反射的にそう答え、怜奈が近づいてくる。
エリスは健二の手を引き、近くの席に着いた。
「ん? んむーっ」
教室の机と椅子をそのまま流用しているためか、エリスの体格に合わない。
それに気付いた怜奈が、バックヤードからクッションを持ってきて、エリスのお尻に敷いてあげる。
「これ、使って。私のだから。汚してもいいし」
「ありがとう! お姉ちゃん、気遣い上手だね!」
「……そんなの初めて言われた」
小声ながら、怜奈は嬉しそうに口元を緩める。
「ありがとう、九鬼怜奈さん」
「……フルネームで呼ばれると、ちょっと悲しい、かも。あの」
怜奈は口を開きかけて、やめた。
自ら一歩下がる。
「注文は、別の子がいいよね。兄妹水入らずだし、私より家族の時間を大事にして」
そう言って踵を返す怜奈。
そんな彼女を、エリスは呼び止めた。
「エリはまだ注文、してないよ?」
「でも」
「エリはお姉ちゃんを呼んだんだから、お姉ちゃんに注文聞いてほしい」
真っ直ぐ怜奈を見つめるエリス。怜奈は周りを気にしつつ、伝票代わりのメモを手に取った。
健二はブラックコーヒー。
エリスはホットケーキプレート。
それぞれ注文を聞き終わると、怜奈は静かに一礼してバックヤードへと向かった。
その後ろ姿を見つめながら、エリスはぽつりと呟いた。
「あのお姉ちゃん、まるで昔のエリみたい。強く言えないところがそっくり。罪悪感で消えちゃいそうなのも、そう」
「エリス……」
「エリ、あのお姉ちゃんほっとけないな。怜奈お姉ちゃん、か」
それからエリスは料理が来るまでじっと、怜奈の姿を目で追いかけていた。




