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76話 夜の寝床の美少女たち


 その夜。

 澄玲の強い勧めに押し切られ、健二は高嶺本家に泊まることになった。

 案内された客人用の離れは、まるで高級旅館のような雰囲気の座敷部屋だった。露天風呂まで備えているという。


(黒薔薇家で暮らしていたころとは全然違うな)


 一時期、高嶺家にお世話になっていたころも、これだけの待遇を受けたことはなかった。この離れのことは、いつも遠目に見ていただけだ。


 日本庭園を望む立派な檜風呂に浸かりながら、健二は昔を思い出していた。

 黒薔薇本家の自室。狭く、暗く、寒々しい畳部屋の光景は、当時の記憶を象徴するものだ。

 同時に、今に続く『恩返し』の出発点でもある。


 流れ込む外気のおかげで、風呂の心地よさが身に沁みた。リラックスしてくると、トラウマとは別の記憶も蘇ってくる。


「エリス、大きくなったな。本当に良かった。あの子が生まれたときは、もう駄目かもしれないと子供心に思ったものな」


 両手で湯をすくう。揺れる水面に、過去の景色が浮かんだ。


 ――12年前。

 父方の実家を襲った大火事から逃れるため、当時まだ6歳だった健二を連れ、母親は池の中州にたどり着いた。


 あのとき、中州の方に逃げようと訴えたのは健二だった。中州にいる誰かから呼ばれたような気がしたのだ。

 おかげで火の手と煙からは逃れられた。


 しかし、身重だった母は、強いストレスからか、夕陽ノ万津神社の前で突然産気づいた。

 そして、火の熱がうっすらと伝わってくる中、その場でエリスを出産したのだ。

 赤子のエリスを最初に抱き上げたのは、健二である。


 あのとき、健二は強い不安を覚えた。

 このまま、妹は命を失ってしまうのではないかと。


 しかし同時に、何か大きな存在に見守られているような安堵感も抱いたのだ。


 今思えば、あれがすべての始まりだった。健二が霊感商法を信じるようになったのも、エリスに自分のすべてを与えようと思ったのも。

 そして、健二の実家での立場が大きく変わったのも、あの日が境だった。


 エリスが無事だったのは奇跡だった。すぐに救助されたのも運が良かった。

 しかし、奇跡は三度起きなかった。

 

 翌年、母親が亡くなったのである。あの日の急な出産が遠因であった。


 それ以降、黒薔薇本家が健二を見る目は変わった。やり場のない怒りが、健二に向けられたのだ。

 特に、中州への避難を訴えたのは健二だったと本家の人間が知ってからは、「お前のせいで母は死んだ」とはっきり言われた。


 健二は、近親者から厳しい教育を課されるようになった。

 しかし、なかなか思うように成果が出なかった。

 特に、黒薔薇家直系に特徴的な『神がかり的な才能』が見られないのは致命的だった。

『黒薔薇家の守護霊とその加護』の存在を信じて重んじる黒薔薇家にとって、健二は一族の守護からこぼれ落ちた存在となってしまったのだ。


 落ちこぼれ。

 加護なし。

 儀式の無駄。


 健二の知らないところでレッテル貼りは加速度的に進行した。そして祖父母や、伴侶を失って人が変わった父によって、『しつけ』はエスカレートした。

 いつの間にか健二は、どんなに成果を出してもまったく褒められなくなった。


「母が死んだのは自分のせいかもしれない」という負い目も手伝い、健二はすっかり萎縮してしまった。結果、さらに何もできなくなるという負のスパイラルに陥った。


 健二の強烈な劣等感と自己肯定感の低さは、このときに醸成されたのだ。


 自分に価値がないのなら、せめて妹のためにすべてを捧げよう。


 その思いが、黒薔薇家にいたころの健二を支えていた。エリスは健二との時間を大切に思ってくれていたが、健二にとってもそれは同じだったのだ。


 ――両手にすくった湯で、顔を洗う。


「俺は、エリスにも恩があるんだよな」


 受けた恩は、返す。

 それが佐藤健二の信念だ。


 風呂から上がった健二のもとへ、ネコマタが待ちわびたように近づいてきた。何やら「気をつけろ」と言わんばかりににゃーにゃーと鳴く彼女を引き連れて、寝室へと向かう。


「……あれ?」

「おかえりなさい、やっくん」

「湯加減、どうだった? 気分転換できた?」

「たかちゃんに、千影さん? どうしてここに」


 健二は目を瞬かせる。

 寝室には、浴衣風の寝間着姿の輝夜と千影が待っていたのだ。


 畳の上には、布団が三組並んでいた。輝夜が右、千影が左の布団の上で正座していた。

 空いているのは真ん中。

 どうやら、ふたりの少女の間で寝ろということらしい。


 輝夜と千影もまた、風呂から上がった直後のようだ。わずかに上気した顔が、抑え気味の灯りに照らされ妖しく浮かび上がる。


 輝夜が右手を差し伸べた。


「さあ、やっくん。一緒に、寝よ?」

「据え膳食わねば、という言葉もあるわよね? クロバラくん」


 千影も、寝間着の(えり)に手を添えながら艶のある声で告げる。


 シチュエーション、表情、声、態度。

 完全な誘惑であった。


「しゃーっ!」


 ほら見たことか、とばかりネコマタが威嚇の声を上げる。輝夜が慌てた。


「ネコマタちゃん! 今いいところなんだから、雰囲気壊さないで!」

「しゃー、ふーっ! ……うにゃ!?」


 ふいに、健二がネコマタを抱え上げた。そのまま、すたすたと真ん中の布団に歩み寄る。

 不意のことで息を呑む輝夜と千影が見たのは、健二の穏やかな笑みだった。


「うん。一緒に寝よう。ふたりと夜を過ごせて嬉しい」

「……く、はっ!」

「輝夜ちゃん。気をしっかり」


 純粋そのものな目に射貫かれ、輝夜がその場に突っ伏す。千影が年下のライバルを介抱しながら、健二を畏怖の目で見つめた。


「クロバラくん……それ天然? 天然よね。おそろしい子」

「ふたりが迷惑なら、廊下で寝る」

「いい! いいの、そうじゃないから。私も、その。嬉しいから」

「よかった」

「……くっ」


 胸元を押さえる千影。年上女優の珍しい仕草に、健二は少し心配そうに眉を下げた。


 輝夜がむくりと上体を起こす。


「ねえ、やっくん。こんな色仕掛けをしかけておいて何だけど、どうしてそんな平然としていられるの?」

「これ、色仕掛けだったのかい?」

「色仕掛けだったの! ……どうしましょう、千影さん。やっくんに全然通じてない!」

「薄々予感はあったけどね……。まさか、輝夜ちゃんのお母様の策が、こんな裏目に出るなんて」

「悔しいような、ほっとしたような。さすがやっくん。でも、そこがいい」


 輝夜と千影が盛り上がる。

 健二は目を瞬かせていたが、やがて口元を緩めて目を閉じた。


「平然となんてしてないよ。嬉しくて涙が出そうだ。俺はずっと、特に『嬉しい』『楽しい』って感情が欠けていたからさ。感動に震えてる。全然、落ち着いてなんていられないよ」

「やっくん」

「それにさ。今までずっとひとりだったから、誰かの体温を感じながら眠るなんて、本当に久しぶりなんだ」

「クロバラくん。そうだったのね……」


 感じ入った輝夜と千影は、ふいにふたりで顔を突き合わせた。


「どうしましょう、千影さん。嬉しさと罪悪感で胸が潰れそう」

「自分たちの欲深さが恥ずかしくなるわ……」


 ずん、と肩を落とす美少女ふたりに、健二は首を傾げた。ネコマタは健二の膝の上で丸くなり、「勝負あり」とばかりに尻尾を振った。




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