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77話 布団の中での睦言


「それじゃあ、寝ようか」

「う、うん」

「そ、そうね」


 健二の言葉に、緊張しながら頷く輝夜と千影。

 右側に輝夜、左側に千影、真ん中に健二(そのお腹の上にネコマタ)という並びで布団の中に入る。


「お母様も、適度な距離感が大事と言っていたし。そう、これでいいんだよ。これで。うん」


 輝夜が独り言を呟きながら、落ち着きなく手をもぞもぞさせる。

 健二を挟んで反対側では、千影がしきりに寝返りを打っていた。健二の方を向いて眠るか、背中を向けるか、迷っているのだ。


 ネコマタが健二の顔の近くまで近づいてきて、頬を前脚でぽんぽんと叩いた。まるで「彼女たちは気にせず寝ろ」と言っているようだ。


 健二は微笑んだ。


「たかちゃん、千影さん」

「ひゃい!?」

「な、何かな。クロバラくん」

「手、繋いでもいい?」


 完全な沈黙が訪れた。

 身動きどころか呼吸すら止めてしまったような少女ふたりに、健二は再度「いいかな?」と尋ねた。


「は、はい」

「どうぞ……」

「うん。ありがとう」


 左右からおずおずと差し出された手を、健二は柔らかく握った。輝夜と千影が、ぶるるっと身震いした。


「ひゃああ、やっくんの手、温かい……! 私、手汗大丈夫かな……!?」

「平常心、平常心……舞台の上を思い出すのよ……すー、はー……」


 輝夜と千影が小声で呟きながら、布団の中で悶える。ネコマタが不機嫌そうに尻尾を叩き付ける音が、たしん、たしんと小さく響く。


 しばらくして、ふたりの少女は揃って健二を見た。真ん中で横になる健二が、あまりにも落ち着き払っているように思えたからだ。


「……やっくん?」

「もしかして、もう寝ちゃった?」

「ううん。起きてるよ」


 健二は答えた。輝夜たちは気まずそうに言った。


「あの、さっきの独り言は忘れてもらえると助かるなあ……なんて」

「決して、クロバラくんと手を繋ぐのが嫌だってわけじゃないからね。ただちょっと、不意打ちにやられちゃったというか」

「ふふっ」


 赤くなりながら弁解する輝夜と千影に、健二は微笑んだ。

 それから、ふたりの少女が思いもよらなかった行動に出る。


 握ったふたりの手を、自分の頬に引き寄せたのだ。


「たかちゃんの手も、千影さんの手も、温かい。いい匂い。こうしていると、本当に心から思うんだ。『ああ、幸せだな』って」


 綿を撫でるように、優しく柔らかな口調だった。

 寝室には、外からの灯りがうっすらと差し込んでいる。暗闇に慣れてきた少女たちの目に、赤子のように満ち足りた様子の健二の横顔が飛び込んできた。


 輝夜も、千影も、無意識に健二へと身体を寄せていた。


「やっくん。その顔はずるいよ」

「そんな可愛い顔を見せられたら、我慢できなくなる」


 潤んだ目をしたふたりの美少女が、唇を健二の頬に近づける――。


「にゃご」

「むぎゅ!?」

「ちょっと、ネコマタちゃん!?」


 健二の胸の上で丸くなっていたネコマタが、前脚で輝夜と千影の頬を踏んづけたのだ。「やめろ、雌猫ども」と言っているような、冷たい視線で見下ろしてくる。


 しかし、一度心に火が付いたふたりは止まらない。


「こんな可愛いやっくんを見て、大人しく眠ってるなんてできないよ!」

「女優としてこれから活躍していくには、ベッドシーンも練習しておかないとね。クロバラくんなら、私は全然構わないから」

「あ! 千影さん、その言い訳はズルい!」

「ふふふ。私も輝夜ちゃんと同じで我慢できないのよね……!」


 自分の布団をはね除けると、千影は健二の腰の上に馬乗りになった。

 負けじと輝夜も、健二の胸板に顔を付ける。

 ネコマタが「しゃー、ふー!」と威嚇する。


「やっくん……」

「クロバラくん……」

「しゃーっ!」

「……ふふ。はははっ」


 再び、健二が笑った。


「こんな気持ちになって、こんな風に笑うのは何年ぶりだろう。気持ちいいな。本当に、笑うってこんなに気持ちいいことなんだな」


 邪念のまったくない、爽やかな微笑み。

 輝夜と千影は互いに顔を見合わせた。


「何だか私たち」

「勝手に盛り上がって恥ずかしいわね……」

「にゃ」


 ようやくわかったか、と言いたげにネコマタが鳴いた。

 いそいそと自分たちの布団に戻ろうとした美少女たちを、健二は呼び止めた。


「たかちゃん、千影さん。よかったら、一緒の布団に入らないか?」

「ファッ!?」

「俺の腕枕で良かったら。ふたりの体温を感じて眠りたい」

「クロバラくん……何て破壊力のある口説き文句を」


 誘うように手を差し伸べられて、断れる輝夜と千影ではなかった。

 ひとつの布団の中に、3人で潜り込む。健二の両肩に輝夜たちが頭を載せると、健二はふたりの肩を抱いてきた。


 シャンプーの香り、甘い汗の匂い、柔らかく伝わる体温。

 艶を増す空気にのぼせるほど熱くなっているのは、男の健二ではなく美少女ふたりの方だった。


「や、やっくんの息づかい……! 匂い……! ふおおお……!」

「ちょっと目眩がしてきたわ。幸せすぎて」


 興奮が収まらない美少女たちをあやすように、健二はぽんぽんと優しく肩を叩いた。

 途端に睡魔が襲ってきた輝夜は、「この幸せな時間に寝落ちしたらもったいない」とばかり、健二に話しかけた。


「ねえ、やっくん。やっくんとエリスちゃんのお母様って、どんな方だったの?」

「そうだな。優しく、強い人だったよ。身体はあまり強くなかったけど、芯がしっかりしてるっていうのかな。こうと決めたことは、揺るがない人だったと思う。夕陽ノ万津神社でエリスを生んだときも、苦しいとかつらいとか、そういうことは一切言わなかった」

「さすが、クロバラくんのお母様ね。そういうところは、クロバラくんにしっかり受け継がれていると思うわ」

「そうだったら嬉しい」


 健二は遠い目をした。


「俺も、母さんみたいに芯の強い人間になれたら、黒薔薇家のトラウマも克服できるのだろうか」

「大丈夫。やっくんはもうじゅうぶん強いよ」

「そうね。だって、私と輝夜ちゃん、ふたりの人生を救ったんだから。心の弱い人に、そんなことはできないわよ。天国のお母様も、きっとクロバラくんのことを誇りに思ってるわ」

「ありがとう、たかちゃん、千影さん」


 目を閉じる健二。今日は黒薔薇家を思い出すことが多かったせいか、脳裏に過去の記憶がちらついた。

 幸せそうだった横顔が、ほんの少しだけ歪む。


 その様子を、輝夜と千影は目にした。ふたりは静かに決意を固める。


「ねえ、千影さん。私、考えました」

「奇遇ね。私も、きっと輝夜ちゃんと同じことを考えてるわ」

「絶対にやっくんと離れないようにしましょう」

「ええ。クロバラくんがまた苦しい思いをしないように。黒薔薇家には戻させない」


 互いに誓い合う。

 健二は静かに寝息を立てていた。ふたりの声は聞こえなかったらしい。


 人差し指を唇に当て、輝夜と千影は健二の胸元に顔を寄せた。


「ネコマタちゃんも協力してね」

「にゃー……」


 仕方ない、とばかりネコマタは丸くなった。




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