31話 トップオブトップがやってきた
予想外の事態に、輝夜は返事ができない。
しばらくして、生徒会室の扉が開かれた。
静かに入ってきた人物を見て、輝夜は大きく目を見開いた。
すらりとした高身長のモデル体型。肩甲骨まで伸びた滑らかな髪。白磁のような肌に、優しそうな微笑み。
3年生であることを示すタイの色。
今朝、輝夜が前方不注意でぶつかってしまった、いわゆる「お姉様」タイプの女子生徒だったのだ。
生徒会室に、用もない生徒が入ってくることはない。
それに彼女はこう言っていた。「お手伝いに来たわよ」と。
スマホが何度も振動した。杵築たちがグループメッセージで「どういうこと!?」「なにこれ!?」と困惑のやり取りをしている。
杵築が衝立から顔を出し、スマホを指差す。輝夜が自分のスマホ画面を見ると、「やっくんって年上のお姉さんだったの!?」とメッセージが届いていた。クラスメイトもスタンプで「それな」「マジで?」などと送ってきた。
大混乱である。
「ち、違うよ……!」
「違う?」
「あ、いえ。こちらのことで」
輝夜は笑って誤魔化した。
目の前の女子生徒は、やっくんではない。プレイベント後の控え室で、輝夜がちらっとだけ見かけたやっくんは、想像通りの格好いい男の子だった。
(やっくんが女装したら、もしかして……いや、そんなはずは……でも、やっくんは凜々しいタイプだから、本気でメイクしたら、もしかすると……)
輝夜も輝夜でかなり混乱し始めていた。
そのときである。
スマホに、クラスメイトからメッセージが届く。
:思い出した!
:あの人、紫月千影先輩だよ
:芸能事務所に所属してるバリバリの芸能人!
:ほら、『星街』に出てたじゃん
輝夜は目を見開く。
「星街」とは、ドラマ『星降る街で君と』の略称だ。あまりテレビを見ない輝夜でも名前を知っているほどの大人気ドラマである。
初めて見る顔だなんて思った自分が恥ずかしいと、輝夜は思った。
(やっぱり、本物の芸能人だったんだ)
:ウチら2年の間でも超有名人
:けど、仕事でなかなか学校に来ないんだって
:この前のプレイベントも休んでた
:高嶺ちゃんが転校する前は、間違いなくウチの学校のトップオブトップ!
:それがどうしてここに
:しかも高嶺ちゃんを手伝うって言ってたよね
:あーマジでわかんない!
:どういうこと!?
クラスメイトのメッセージは止まらない。
すると、女子生徒――千影の方から声をかけてきた。
「驚かせてしまったわね。ごめんなさい。まずは自己紹介をするわね。私は3年生の紫月千影。よろしくね、高嶺輝夜さん」
「あの、私の名前」
「知ってるわよ。あなた有名人だもの」
千影はゆったりと微笑む。その様子を見て、杵築が「いや、パイセンも十分有名人ですけど!?」とメッセージで呟いた。
「高嶺さん。おでこは大丈夫だった?」
「え?」
「今朝。ぶつかっちゃったでしょ? ぼんやり歩いてると危ないぞ」
千影の細い指先が輝夜の額を優しく撫でる。輝夜は思わずどきりとした。
杵築が「おい輝夜! パイセンと会ってるなんて聞いてねーぞ!」と送り、クラスメイトが「なんか尊い! これはこれで!」と送ってきた。
輝夜や杵築たちが動揺しているのをよそに、千影は作業テーブルに歩み寄る。積み上げられた書類を手に取りながら、彼女は言った。
「スケジュールが空いたタイミングで良かったわ。出席日数も確保しなきゃいけないし、定期試験もおろそかにできないからね。大事な用事は、まとめて済ませた方が効率的だもの」
「大事な用事?」
輝夜の問いに、千影はどこか意味ありげに微笑む。
「私の大事な友人からの願い事のこと」
そう言って、千影は自分のスマホを取り出した。メッセージアプリの画面を輝夜に見せる。
そこには「人手が足りなくて、たかちゃんが大変そうなんだ。助けてあげたい」と書かれたメッセージが残っていた。
衝立の向こうのクラスメイトたちが「なに!? 見えないんだけど!」とメッセージで騒ぐ中、千影は輝夜にだけ聞こえる声で言った。
「あなたも、『クロバラくん』と縁があるのね」
「え」
輝夜は千影の顔を見つめた。
千影もまた、輝夜の顔をじっと見つめてくる。
「その様子だと、まだまだ悩み中って感じかな」
「あの、紫月……先輩。さっきクロバラくんって。もしかして、やっくんのこと」
「ん? ――あ、そっか。高嶺さんはそう呼んでるんだね。ニックネームみたいで、ちょっと羨ましいね」
あくまでも穏やかな表情を崩さない千影に、輝夜は別の意味で心臓が早鐘を打った。
『クロバラ』とは、やっくんの実家である『黒薔薇家』のことを指す。やっくんが実家から追放されて以降、彼が黒薔薇家の関係者だったことを知る人は少ない。
――自分以外にも、やっくんと繋がりを持っている人が居た。
その事実を見せつけられ、輝夜は動揺する。
(私、この人とどう接すればいいのだろう)
『やっくん捕獲大作戦』の目的のひとつは、やっくんをこれ以上ひとりぼっちにしないことだ。
ならば、やっくんを知る千影にも協力してもらう方がいい。
頭ではそう理解している。
しかし、輝夜は「一緒にやっくんを捕まえましょう」と口にできなかった。
(紫月先輩はやっくんと知り合いかもしれないけれど……先に告白したのはきっと私だもん)
もやもやした感情が邪魔をする。
輝夜は頬を膨らませて、黙ってしまった。
(それに、やっくんはクロバラという名前にトラウマがあるはずだし。それなら、下の名前を知ってる私の方が……あ、でもぽん汰会長への手紙にはクロバラって)
「あ、まだ悩んでるな?」
「う……」
ひとつ年上の美人先輩に悪戯っぽく指摘され、輝夜はたじろいだ。
千影は、輝夜の眉間を指先で軽く突く。
「そんなに難しく考えなくて大丈夫だよ。お節介な先輩が、可愛い後輩の手伝いに来たってだけだから。ね?」
額を押さえながら、輝夜は思った。
――どうしよう。嫌いになれないタイプかもしれない。
 




