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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第一章
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14話

 しっかりと結い上げられた髪を見て、イスティファは感心したように笑った。初めて会った時は真っすぐ立って背筋を伸ばしていたが、最近は窓枠に座り込んで話すようになった。本人が言うには、薬はもう意味をなさないらしい。随分くたびれているように見える。

「サグエルの領地の一番北の聖堂で結婚式をするらしいよ。その後、アンタの旦那の大伯父の屋敷で三日三晩宴会の予定だって。サグエルまでは馬車で十日ってところだから、余裕を見てその二、三日前に出発だと思う。出る時には奴隷にしては盛大に送り出すみたいだよ。山を越えればすぐ鳥人族の保護区だから、なるべく近くなったところで馬車を襲撃する。アンタはとにかく山に向かって飛べばいい。鳥人族はいいね、木とか街とか関係なく真っすぐ進めるもんね」

 言外に簡単だろう、と言われてソラは一瞬申し出が遅れた。

 鳥人族に生まれたからには大人も子供も飛べるはずだからだ。

「あの、飛べるか分かりません」

「馬鹿なこと言ってないで練習でもしたらどう? 山向こうでは仕事だって言って子供でも飛んでるよ」

 故郷の記憶がほとんどなくても、ソラだってそのくらいは覚えていた。保護区の中で飛ぶ練習をしていた。ただ、捕まって以来一度も翼を広げてこなかったので、飛び方をすっかり忘れてしまったのだ。

「私、馬には乗れるんですが」

「それ、アンタの旦那より早く乗れる?」

 ソラはちょっとだけラヒムの顔を思い浮かべて首を左右に振った。流石に王太子の副官として遠征先で馬に乗っている彼に勝てるほどではない。自分は暑くも寒くもない晴れの日に、ユルクの付き添いでゆっくり景色を楽しむ程度しか乗ったことがない。全力で追ってくる者から逃げながら乗るのは現実的ではない。

「じゃあ練習して。それなりに高く飛べば、投石器さえ持ち出されなければ逃げ切れる。外国まで飛べそうならそうしな」

「でも私『呼歌よびうた』の文言が曖昧です」

 そもそもそんな呼び方だったか、と不安になりながらソラは言った。もう十年近く飛んでいないのだ。『呼歌』を歌って翼をはためかせれば、ちょっと宙に浮けたという遠い昔の記憶しかない。たしかそれなりにコツが必要で、女の子は軽いから飛びすぎるので気を付けて、と近所のお姉さんに言われていたことだけはしっかりと覚えている。

「間違えていいからやってみて」

 今日はやけにせかされる。確かにそろそろ乾季も終わりそうで、結婚式が年内という通達なので、雨季に入ってすぐに式が執り行われるはずだ。時間がないことは確かだが、それ以上にイスティファが焦っているように見受けられる。

「でもアンタがやっぱり嫁ぎたくて、王太子にこれからずっとおぶさっていくつもりなら、襲撃はやめておくよ」

 こんなの私のわがままだからさ、とイスティファは弱弱しい声で言った。

 一体何が彼女をそんなにも奮い立たせているのだろう。ソラには想像もできなかった。アサドにあげた棗か、それとも文字を教えたことか。死ぬ前に何かを成し得たいという我欲のためだけというのならば、あまりにも労力が見合わない。

「イスティファ、あなたは自分のわがままだというけれど、あなたのためになることなんて一つもありませんよ。この計画、本当に自分と私のためだけなんですか?」

 美しく赤い唇が弧を描く。

 ソラは文字でしかその言葉を見たことがなかったが、すぐに思い出せるくらいにイスティファの微笑みはまさしくそれだった。

 妖艶。

 確かに調べたままの意味だ。ソラの心を惑わせて、ぎくりとさせる力がある。

「どんなにかたちが綺麗でも、どんなに踊りが上手くても、どんなに頭が良くなったって、アタシたちじゃ出来ないことってあるんだよ」

「それは何ですか」

「世の中をひっくり返すこと」

 ゆらりと白い手が柵を越えてソラの方へ伸びてくる。灯りに照らされた爪先は白くがたつくのを隠すために真っ赤に塗られていた。

「アンタもアタシも底の人間だよ。踏みつけにされて、何にもできないと思われて、憐れまれて縋り付いて生きるしかできない女。それが自分で立って生き方の一つでも選んでみなよ」

 とん、と弱弱しく指先がソラの胸に触れた。鼓動の一つを縫い付けられた気がして、ソラは息をするのも忘れてイスティファを見下ろした。

「お偉方が法を変えるより万倍の力になって、ときの声になる。それを生んだのがアタシなんて、最高の贅沢だろ?」

 イスティファは浮かれたように笑った。低く唸るような、苦しそうな笑い声だ。

 もうすぐ彼女は地面に伏して死んでいくのだろう。死に目に鳥が飛ぶのが見たいのかもしれない。籠の鳥が空に逃げ出していく様子が。

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