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宵闇に灯火の唄を  作者: 野木 千里
第一章
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15話

 結婚式のために王都を離れる前日となった。イスティファは計画のためか病気のためか、あの日以来金糸雀の籠へ来ていない。打って変わって、ラヒムが日に一度は顔を出すようになった。王太子とお茶をする日は、その後ほんの少しでも部屋に来る。忙しいだろうに、寸暇を惜しんで話に来る。

 話はこれといって重要なことではなかった。街に行ったと言って布と糸を買ってきてくれたり、お茶を飲みに遊びに来るくらいだ。しばらく王都で過ごすから、庭に杏が生えている小さな家を借りようと思っているがいいか、とか、視察するのに外国にも行きたいか、といった具合だ。

 ソラはラヒムが来ない時間を見計らって何度も飛び上がる練習をした。翼をこっそり広げてみたりも何度かした。誰もいないのを確認して夜中飛んでみたところ、天井にお尻が付くほど飛べた。外で練習できなかったことだけが気がかりだが、木に紛れてそれなりに遠くにいけるだろうことは明らかだ。イスティファが依頼したという盗賊の襲撃場所が草原ではなく森であることを祈りながらソラは毎日過ごしている。

 明日の朝、ソラは王都を発つ。出発すれば馬車に乗っている時間以外に休む時間はほとんどない。そのためだろうか、最後に三人でゆっくりしようよ、とユルクが最後のお茶会を提案してくれた。

 三人は思い出話に花を咲かせていたが、昼過ぎが夕暮れ時に差し掛かる頃、そろそろお開きにしなくてはいけなくなった頃、王太子がぽつりと漏らした。

「なんだか寂しいな。二人とも王宮を出ちゃうんだもんね」

 茶器の内側を覗きながらユルクが二人を惜しむ。この先ラヒムが副官を続ける間は二人とも王都で暮らす予定だが、王宮を出ることに変わりはない。ラヒムは官舎を出るし、ソラも言わずもがな。金糸雀の籠は取り壊しになるだろう。庭がよく見えるので、柵と壁を取り払って長椅子でも置けば誰かが休憩に使うことができる。それはそれで良いようにソラは思う。

 でも、王太子は寂しがるだろう。ソラも幸せな日々を捨て去るのは不安だ。決めたのは自分なので、寂しがる権利はないように思われるが。

「……私も寂しいです」

 嘘は吐けずに、ソラはユルクに同意した。

「お二人はずっと一緒でしたから、仕方ないですよ。俺としては殿下のお心を癒す姫が嫁いできてくれるのが少しでも早ければ良いと思いますが」

 ユルクにお茶のお替りを注ぎながらラヒムが言う。ユルクにとってはラヒムが初めての同年代の副官あるため、寂しさはひとしおだろう。ラヒムが副官として任命された日、今度の副官は自分たちと同年代の男の子だよ、大人たちとは違うんだ、と落ち込んでいたソラにユルクは声をかけてくれた。

 思えば、ユルクはソラにずっと心を砕いてくれた。部屋の灯りも、髪飾りも、知識も。何もかも彼はソラに与えてくれた。金糸雀として飼い殺すことだって出来ただろうに、結婚相手まで探してくれた。まるで娘にそうするかのように。

「本当に、殿下にはずっとお心尽くしをいただいて……。なんと、お礼を言っていいか」

 はらはらと落ちる涙に気が付いて、ソラは自分の顔を覆う。祝い事を前にして泣くなんて、失礼なことのように思えたからだ。泣いてはいけない、と言い聞かせてもソラの涙は止まってくれない。

「殿下、寂しゅうございます……。あんなにお嫁に行って一人前になりたいと言っていたのに、胸が苦しくてたまりません」

 ユルクはソラの翼を優しく擦った。出会ったころから変わらない温かい手がソラの涙をますます零していくようだ。大きなかさついた手がソラの手を握り締める。ラヒムの手だ。

 この暖かい場所を捨てる。捨てなければいけない。

 ソラがいることで、命を尽くすと決めた主人の仕事の足枷となる。優しい王太子は本当のことを聞いたらそんなことをしなくていいと引き留めてくれるだろう。ソラが自分の元にもう戻ってこないと知れば悲しんでくれるだろう。それに甘えて山の向こうに閉じ込められている同胞たちから未来を奪い続けることも、きっと許してくれる。

 この身でできることは全部する。例え王太子に裏切られたと思われたとしても。

 ソラはそう決意した。後戻りを考えてはいけない。誰の利益になるかということも、ソラにとってはどうでもいいことだった。

「ユルク殿下が立派な国王になられるために、ソラはこれからもお尽くしいたします」

 ソラは地面に両手と頭をつけて、ユルクに深く礼をした。

 自分が一人消えるだけで、鳥人族へ市民権が与えられる可能性がずっと高くなる。国にとっては革命的な変化となることだろう。ユルクはきっとそのずっと先の未来まで見据えている。カプラ王国の未来の国王として。

「ありがとう、ソラ。旅慣れなくて辛いだろうから、これを持って行って」

 ユルクがソラの手を引いて顔を上げさせた。渡されたのは小さな箱だ。両手で持てるくらいの大きさでこれといった飾りのない素朴な宝石箱だが、なんだかずっしりと重たい。

「僕からの贈り物。恥ずかしいから一人の時に見てね」

 髪飾りだろうか、それとも腕輪や指輪だろうか。『鷹』として仕事をするのに必要な宝石類かもしれない。それを全部王太子自ら用意してくれたのだろうか。ソラの胸の内が揺らぐ。

「じゃあね、ゆっくり休んで」

 ユルクは立ち上がって、部屋を後にした。

 まだ行って欲しくないがそう言う勇気がなくて、ソラはユルクの背を見送る。その肩を支えているのはラヒムの腕だ。

「……胸なら貸すけど」

 貸す、と言いながら有無を言わせずソラの額を自分の胸に押し付ける不器用さが気を楽にしてくれる。

「私のこと疎ましく思っているんじゃないんですか、どうして」

 ラヒムが盛大にため息を吐いた。

 すいません、と謝ろうと顔を上げたソラの頭をラヒムが乱暴に掴んだ。怒っているような顔をしている。かさついた唇が何か言おうとしてやっぱり諦めたようだ。

 言葉を紡ぐ代わりに、彼はソラの口元に噛り付いた。

 呆気に取られて腰が抜けた婚約者を置いて、ラヒムは部屋を出て行く。一度だけ惜しむように振り返って。

 ソラを王宮から追い出す朝を後ろに連れて、夜が迫ってくる。

 彼女は涙ではなく、驚き動揺し赤くなった顔を隠すために自分の顔を手で覆った。


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