第四話 安全運転
天野エミリ 三
朝から晴れたかと思えば、昼休みが過ぎてから、勢いよく雨が降り出した。時期も時期だ、無理は無いだろう、文句は言えまい。だが、近頃梅雨に入ってからというものの、何をするにしても気が進まない。加えて、毎日空虚な時間のように感じる授業。
それでも今日は、今日だけは、このまま座っていたいと思った。
最終時限が終わってしまった。チャイムはすぐに鳴りやむ。
まだ自分の座席に着席したままの草加賢太郎は、その拳を膝元で握り締めた。汗ばんで冷たくなった掌とワナワナ震えだす身体のコントロールが効かない。それは必ずしも空調が効きすぎているからだとかそんな単純なことではない。誰にもわからない、誰かに分かられたらむしろ困る。
心臓の鼓動が次第に加速する。
このまま立ち上がったとしたら・・・・・・・・・。
賢太郎はそう震えながら心の中で言葉の続きを探さない。
足元が冷え切る。まるで自分には関係が無いことだ、一人で頑張れと言わんばかりに椅子が冷たい。
外がよく見えない。結露で白い靄がかかっているかのような窓。そんな窓を見て賢太郎は思わずそれを人差し指で拭ってしまった。
そして、賢太郎は今立ち上がった。その拳は開かない。
二限目の授業は全クラス合同の体育である。なぜそんな非効率的な授業が行われているのかというと、もうすぐ体育祭が催されるからである。二年男子の出し物は、伝統的に組体操と決まっている。一年の時はそういうものはなく、上級生達が身体を互いに組み合わせ形を造っていく様を傍観していただけだった。二年になり実際にやってみると、これが案外難しい。加えて、昔からの伝統ということもあり、体育教師の指導がやけに厳しい。まるで正反対だ、熱量の差が激しすぎる。あちらから見ればこんな生徒は嬉しくないと思うのが当たり前だろう。同じく、こっちとしては快くない。
どこからか、発達して来た積乱雲が、体育館に差し込む光を遮断する。
体育館の天井には、いくつか大きなライトが設置されているが、その頼りなく、隅々まで行き渡ることの無い光がいま抱えている気持ちの心許なさをかえって激成する。
体育教師は相も変わらぬ様子だ。むしろどこからか誰かの元気でも吸い取っているのか。だが、元気は出さないと言うよりも出せないのだ。強いていうならば無理に出すものでは無い。そしてそれが皮肉にも前に立つ男に分け与えられているとしたら、やはり不快だ、不快の何物でも無い。
体育館は、その端から中心に向かって、僅かに、次第に、暗くなってくる。得体の知れないものから取り囲まれているのか。そんな気持ちだ。天井のライトを見上げると、やはり頼りない。
いよいよ、どんよりとした空気には風が出てきた。耳をすませばアカショウビンの鳴き声が聞こえてくる。この学校の周りには広葉樹林や比較的綺麗な川、田園など、自然が広がっている。さらに校舎の敷地内にもそういった木々や多種の花が植えられているため、直に自然に囲まれた学校と言える。
三限目の授業が終わると、窓際の賢太郎の机の周りには、周りと比べると、どこか感じる雰囲気が違う集団がいた。人数は賢太郎を含め五人。両腕を組み難しそうな顔をして立っているのは草加賢太郎、賢太郎の右隣の席に座り体をこちらに向ける源仁、賢太郎の席に座る木佐皓之、賢太郎と仁の席の中間に椅子を持って来て座る古閑優、最後に、これまた自分の椅子を持って来て、優と向かい合うようにして座る元謎の男・現江籐青年だ。
「ずっと気になっていたが、なぜ俺だけ立ってるんだ、しかもこんな真ん中で。というか皓之、そもそもそこは俺の席だ。」
まるで魔法陣の中にいるような気分である。それとも何かの罠なのか。その綺麗な瞳で賢太郎を見上げ木佐皓之はいつものように、
「賢太郎〜四面楚歌だヒョ〜ん。超〜イケメソじゃ〜ん。」
「・・・・・・。」
いつものように。
無視するのが賢明な判断だろう。
クスクスと笑う顔が二人、江藤は皓之慣れしていない、苦笑いを浮かべている。気持ちは分かる、はじめ自分もそうだったのだから。
皓之はよく変わった事を言う。それは良くも悪くも普通の人間が思いつかないようなことだったり、しょうもなさすぎて逆に思いつかないことだったり。彼がよく語尾に使用する 〜だヒョン は十中八九ふざけている時である。要するに彼はキャラを演じている。しかし、あまりにも日頃から非言語的な言葉を頻用するために、本気でそういう人だと思われている節もあるようだ。しかしながら、驚くことにあまり勉強せずとも彼のテストの成績はいつも二位に食い込む。また、頭の回転も早いのである。そしてさらに、実は根は真面目で、ものの良し悪しの線引きがうまい。彼はいわゆる良識ある天才型なのだ。
今度は皓之を見ながら、優と仁がまだそのニヤついた笑みを浮かべながら、
「皓之、話が進まない、まだ落ち着いていてくれ。」
「優、顔が笑ってるぞ、皓之、俺からも頼む、まだだぞ。」
賢太郎はもう疲れたという風にその場にしゃがみ込むと、胡坐をかいた。いよいよ魔法陣の中で儀式でも行われるのだろうか。いつもの三人の術中にはまったようだ。まったく。
やれやれだ・・・・。
「顔と発言が矛盾してるんだ、お前らは。俺たちは今、江藤のために大事な話をしてるんだ。」
そういうと案の定、さっきまでの三人の顔が少しだけ引き締まる。賢太郎は魔法陣から抜け出すための唯一のルートである教室正面側に座り苦笑いを浮かべる江藤青年の方を見る。
そして一つ質問した。
「で、誰なんだ。その新井さんとやらは。」
青年は俯く。そして、決まりが悪そうな表情を浮かべる。
胡座をかき、見上げながら喋っているため、彼の表情がよく分かる。わずかに小さく口が動くのを目で捉えた。
「きょ、今日は、新井さんは教室には来ていません。」
それを聞き皮肉にも安心してしまった自分がいる。だが考えれば当たり前だが、よく思われていないと分かっていて同じ空間にいるのはあまり良い気持ちはしないはずだ。加えて、ボソボソと喋った彼の言葉には一つ気になる箇所があった。また賢太郎は質問する。
「教室には、というと学校のどこかにいるのか?」
「ええ、保健室にいるそうです。今朝もそう彼女から連絡が来ました。」
「昨日、お前は彼女について、すぐに抱え込むような人だとか言ったが、まさかここまでとは。」
ため息をつく。
続けて優も質問をする。
「もちろん賢太郎がその犯人ではないとメールで伝えたよな?」
優は決してそんなつもりで言ったわけではなかったのだが、間が悪かったのか、それとも彼の低い声のせいなのか、向かいの椅子に座る青年には、脅しのように聞こえたようだ。
青年は少し早口になる。
「もちろん昨日あの後メールで伝えました。ですが、今度はペンケースを盗んだ犯人の謎が深まったことや、草加君への罪悪感も。そうです、彼女はそういう性格なので。」
「後で昼休みを使って様子を見に保健室に赴いて見ます。」
「じゃついでに、草加賢太郎は何も気にしてない、心配御無用、そう伝えておいてよ。彼女の負担が一つ消えるかもだからね。賢は今度行くといいよ。」
「そうおもうっゾイ。」
「仁、皓之、俺もそう思うっゾイ」
「仁、お前が言うなそれを。そして優は皓之に便乗するな。でも俺は大丈夫だ、よろしく頼んだぞ、江藤。」
「ありがとうございます。」
元謎の男・現好青年は、そう言って今日はじめて笑顔を見せた。
五限目、積乱雲の群衆はその頭角を見せ始めた。窓に雨が打ちつけられる。俺は俺とて天野の件がある。そう悩んでいると突然、足元に新品の黄色い消しゴムが落ちて来た。一つ前の席に座る芹川が急いで振り返りそれを拾うので、ハッとしてしまう。普段から抜けたところのある芹川らしいなと思った。そして思考を再開する。
さて本題の天野だが、そうだここはや命題論理のような考え方で攻めてみよう。
選択肢は三つ、それぞれA、B、Cとおこう。また、抽象的に考えるためには要素がいる。その要素を前提としよう。授業中なので誰も見るまい。そう思い、ノートにペンを走らせる。
要素(天野に対する)
①謝る
②何もしない
③別の話
A:① ならば 嫌われる
B:② ならば 不信感
C:③ ならば 意外と楽かも・・・・・・・・・。
結果
嫌われない ならば 謝らず、何か別のことをする・・・。何を?
と、そこでペンを止め、難しく考えすぎたと反省する。だが、確かに、謝ってしまえば何か嫌な予感がする。何もしないのはよくない。ならば・・・・・・。
最終時限の途中、体内のどこかでエンジンがかかった。心臓の鼓動の音が天野に届いているのではなかろうか。教室の時計の秒針をみる。カクカクとしたその針の動きは心臓の鼓動よりも遅い。ゆっくりと進む時計の針と体内の時計の針が不協和音を奏でる。もちろん授業の内容どころではない。
生徒達は黙々と机に向かう。先生が教卓の前で話している。まるで宙に浮かんでいるかのようだ。
程なくして授業は終わり、刻一刻とその時が差し迫る。緊張しない魔法でもあのときかけてもらうべきだったなと冗談交じりに思う。仁はもちろん賢太郎の心理状態を知るはずもなく、いつものように読書に没頭している。すると、今度は栞を第三章手前のページに挟み本を引き出しにしまうと大きなあくびをした。実に呑気だ。
「お前は気楽だな。」
「ん?」
「や、なんでもない。」
彼は何も知らないことが分かる。というのも仁は割と勘がいいのだ。
きっとおかしな奴だなと思われたに違いない。しかしながら今日はそう思われていた方が気は楽だ。そんな仁は今日図書室に用事があるらしい。おそらく、仁以外の二人は、今日はもう帰るのだろう。
「では、雨が降っているので気をつけて明日も登校してください。帰りは寄り道しないように。」
担任の声によって、体内の何処かにあるアクセルが自動的に踏まれた。いや、踏み込まれたと言ったほうが妥当か。
微風の風を絶え間無く送り続ける正方形の冷房を見上げる。
トクントクン トクントクン
このまま立ち上がったとしたら、自分は走り出すのだろうか。またあの時のように暴走してしまうのではなかろうか。まるで黄色信号のように行くのか行かないのかと惑わせる。
「よし・・・・・・・・・・。」
立ち上がる
トクントクン トクントクン・・・・・・・・・・・トクントクントクントクン
一歩一歩み寄る
あと少し・・・・・・・・。
トクントクントクントクントクントクントクントクン
この鼓動に歯止めは効かない。目の前の少女が顔を上げる。
「あ、あまの」
彼女のきめ細やかな輝きを放つ口元が残像を残すかのように動いている。
「なに?」
柔らかなその口調に少しだけ安堵感が出る。
しかし、彼女は心なしかキョトンとしている。覚えていないのか?そんなはずはない。
いつの間にかクラスの人間達が注目している。
「ちょっと話さないか?」
「へ?」
「天野と二人で話がしたい。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
なぜそんなことを言っているのか自分でもわからない。彼女も、周りのクラスメートも良くわかっていないのだろう。しかし本人が一番把握できてないのである。もう本当に歯止めは効かないのだろう。急ブレーキが効かなければ俺は・・・・・・・また・・・。
「うん・・・・。」
彼女は小さくそう呟く。
草加賢太郎は目を見開く。クラスはざわめいているのか。
外は雨が降りしきる。
「・・・・・・・・?」
「だから、その、、い、いいっていってるじゃない。」
簡単な言葉も上手く紡ぎ出せない
「ほ・・・・・ほんとうか」
彼女は小さく頷く。
にわかに信じがたい。現実世界にスーパーヒーローが突如現れて暴走車両を間一髪で止めた、そんなところか。これは奇跡だ。
「なんかい、ぃわせるのよ・・・・。」
クラスの猛者達が何か言っている。床に四つん這いになってへこたれている者、涙をこらえながら教室の外に走り去って行くもの。
しかしまだ、話がしたい、としか伝えていない。
これからが勝負だ。
「天野、近くにいい店があるんだ、そこで・・・」
頰が赤くなった天使はまた小さく頷く。
賢、このやろ〜〜〜〜〜〜〜〜といったところか、ハンカチを噛み締めているかのように悔しがる仁が見えた。
悪気はないため罪悪感はない。スッと目を逸らした。
おそらくあの二人もあんな感じなのだろう。皓之は多分違うか。そもそも想像がつかない。
それから二人は教室を出た。
歩くたびに注目される。天野はいつもこんな感じなのだろうか。だがそれとは、多分わけが違うだろう。横にいるのは普通の男。特に男子からの視線が痛い。
艶のある薄い金色の髪、透明感・・・・。色々考えてしまう。今更どうでもいい。
そんな天使がいま横にいるのだ。いてくれているのだ。信じられない。
二人は傘をさしてようやく正門を出る。傘を忘れてくるべきだったと後悔してももう遅い。
二人は坂を下る。足元が濡れないようにでは無い、歩幅を小さくする。
横にいる美少女を見ると、ほんのりと顔に熱を宿している。
傘に打ちつける雨の音が今はとてもありがたい。
天野もこんな顔をするんだ・・・・・・・・・・・・。
それは夢のようで、だが、絵空事などでは無い。現実だ。
そして、坂を下り終えると、二人はまたさらにゆっくりと踏み出す。
今度は水たまりを避けて歩いた。
次回は天野エミリがメインになります。次のお話もぜひ読んでいただけるととても嬉しいです。引き続きよろしくお願いいたします( ^∀^)




