第三話 脱いだ学生服
天野エミリ 二
目の前に立つ謎の男の顔がよく見えない。見えないというのは決して物理的な意味で見えないということでは無い。その男の口元だけをみながら、草加賢太郎は半ば呆れたように落ちついて答える。
『俺では無い』
そう、全く身に覚えもなければ、そもそもクラスメートだという新井さんが誰なのかすらよく分からない始末だ。賢太郎は今度はその男の目を見ながらそのもの言いたげな口を動かす。
『なぜ俺なんだ、教えてくれ』
『はい、お答えします。昨日、新井さんは放課後のホームルームが終わる直前、そのまま教室で自習しようと思っていたそうです。』
そこでその男は話しを一旦置く。
『ここでは少し話しづらいので場所を変えましょう』
『そうだな、体育館のテラスはどうだ。まだ時間がある。』
今日はあれからずっと目が冴えたままだ。そのため久しぶりに早く登校できたかと思えばこれだ。ついてない。憑いているといえばついているのだが。
『ではそうしましょう』
『仁、お前もついてこい』
『賢、なんだかお前から事件の匂いがするぞ』
『少しだまれ。でもある意味でな。誤解するな』
そんな冗談交じりの会話をする余裕はあった。なにせ今から行われる話は全くの見当違いなのだから。
体育館の二階には観戦席が設けられている。男子バスケットボール部と男子ハンドボール部の男たちが半面ずつコートを借りて汗を流している。高校総体の予選でまさかの一回戦敗退を喫したため、既に一年後を見据える監督の眼光は鋭い。
怪我をしてマネージャーの役割をしている部員が加えた笛を鳴らす。半面コートでゲームが始まる。
『で、教えてくれ。最初に言っておくが俺にはアリバイがある、はずだ。』
教室内で盗まれたと言うから少し発言に抵抗があったのだけれども。
しかし、無罪を証明してくれる人物がただ一人。そう、あの天使が。など思っていると、
『だな、お前はアリババだ』
『仁、知ってるか、アリババは大真面目で、盗賊から宝を奪ったんだ。そもそもお前はもう喋るな。』
『俺をここまで連れてきたのはどこのどいつだ』
謎の男はそんな今の状況が他人事だと言わんばかりの会話をしている二人を見て眦が引きつる。
『あの、わかってるんですか』
『すまん、こいつが余計なこと言って悪かった』
『賢、お前やっぱり犯人だろ』
これ以上こいつと話を続けるといっこうに話が進む気がしない。それに彼の目の前で二の舞を演じてしまうわけにもいかない。
『・・・・・・・で、教えてくれ』
ここでようやく切り出せた。
『はい、では、先ほど話した通り、まず新井さんは放課後に教室でそのまま居残り自習をしようと考えていたそうです。先生がホームルームで挨拶を改善しようという話をしている途中に彼女はカバンからペンケース、ルーズリーフ、それと教科書を取り出したそうです。』
そこまで聞き、
『そういえばあったなそんな話』
賢太郎はやはり他人事のような返事をする。さらに、
『ところでお前の名前はなんだ』
表情から推測するに、まさか自分の名前を覚えていないとは、と言ったところか。同じクラスメートなので知っている前提だったようだ。
『江藤です。江藤光正です。』
『そうか。悪い、江藤話を続けてくれ。』
『賢、ダジャレか、草加だけにそうか〜って』
『仁、そろそろだぞ』
仁はニヤついた顔でこちらを見ながら参ったというようなポーズをしながら許されることがわかっているようだ。
それから、江藤は話を続ける。
『机の上にあるのは、もちろんペンケース、ルーズリーフ、教科書の三点です。』
『それがどうしたんだ』
『いえ、でもいちよ覚えておいてください。話を続けます。しかしそれから新井さんは、二年C組の結城さんに誘われて中野珈琲に足を運んだそうです』
結城さんが誰なのかこの際どうでもいい。しかし中野珈琲はよく知っている。なにせこの学校の正門の坂を下り、右にまっすぐ歩くと、昔ながらの老舗が軒を連ねる場所がある。チキンカレーの匂い、コロッケ屋のおばちゃんの暖かみのある笑いかけ、そしてそのまま真っ直ぐ歩いたところの突き当たりに住宅に挟まれた不思議と魅力を感じる店がある。森の中を歩いているとたまたま見つけた古代文明の遺跡のように入れ入れと魅惑する。事実、その店が目に入った瞬間、なぜかアンコールワットの情景が思い浮かんだ。見る限り昭和の駄菓子屋さんのような焦げ茶色の材木で建てられた単なる珈琲店である。それは古代文明の遺跡のように偉大でもなんでもない。しかしなんでも釣れるような高級な擬餌鉤を持った珈琲店だと言っておく。また、その店の内装の味わい深さはよく覚えている。なにせ今の四人と腹ごしらえの後初めて行った場所がそこなのだから。
今一番大事なのは、またまたそんなことではなく、その店が百メートルあるかないかのところに位置しているということだ。
『結城さんはよくわからないが、中野珈琲はよく知っている。すまんそれだけだ、続けてくれ。』
仁もあそこはいい店だとかそんな小話をする空気感はないことを理解している。彼は目を瞑って頷いているだけだ。よく四人で訪れては、その独特の雰囲気に浸る時の、あの味を思い出しているのだろう。
『続けます。そして二人は、サンドウィッチを半分ほど食べ、すっかり冷めたアメリカンコーヒーを飲み干した後、勉強に取り掛かろうとしました』
『なるほど、その時というわけか』
『ええ、彼女はその時にペンケースがないことに気がつきました。ルーズリーフと教科書は
鞄の中にあったそうです。』
『それで筆箱を机の上に置き忘れたという根拠は生まれるな』
コクリと頷くと男はさらに話を続ける。
『それから彼女は残り半分のサンドウィッチを譲り、急いでペンケースを取りに戻ったそうです。』
『筆箱・・・・・・・・・・あったか?』
『しかし、机の上には何もなく、しかし教室内には草加君一人がいたそうです』
『本当か、全く気がつかなかった』
そう、あの時は自分の脳内は彼女のことで洪水状態だった。溢れるものを精一杯抑えていたため、周りに目を配る余裕がなかった。とはいえ、動く人間の存在を全く認識できなかったとは。仁が何かに気がつき間に入る。
『エミリちゃんはそのときいなかったのか?』
多分あの時だ、天野は確か十分間くらいどこかへいなくなったかと思えば、替えのテッシュペーパーを持ってきてくれていた。そういった備品はほとんど職員室に置いてあるので、一手間かかるのだが、なんともまあ気が利く子だ。
『ああ、それは天野がテッシュの予備を取りに行っていたときだと思う。それで俺があのときひたすら黒板を消していた時に新井さんは居合わせたというわけか。まあ気がつかなかったんだがな』
確か九割以上雲が空を占めていれば曇りと言えた気がする。少し蒸し暑く感じたが後ろの窓は閉めておこう。
『少し待っててくれ』
そういって立ち上がった賢太郎の後ろ姿を二人は不思議そうに目で後を追う。
窓から入る新鮮な風がパタッと閉じられた窓に遮られる。正面にいる三人の周りをより一層重くなった空気が取り囲む。賢太郎は少し褪せた黒色の学生服を脱ぎ、まるでこれで無罪証明だといった白さが際立つシャツの袖を捲る。一つ疑いが晴れたような気がしてちょっとばかし強気に出てみる。
『どうして新井さんはその時言えなかったんだ』
『考えて見てください。その状況で言えますかね。それに彼女には直接返して欲しいとか言える気の強さはありません』
『確かにそうだな、では、どうしてお前は新井さんについてそんなに詳しいんだ?』
逐一彼女がその時何をしたのかを把握していた目の前の男にストーカーなのかと恐れをなしていたが、目の前の男の耳が無性に目立つ赤色をしていることに気がつく。
『そ、そういえば言っていませんでしたね。僕は一年生の夏くらいから新井さんに時々相談事を持ちかけられることがあるんです。で、普段から彼女とは割とよく喋るので仲がいいんです。それにメールでも半年以上やりとりしています』
『それで今回はペンケースを俺に盗まれた、どうしよう、そんなところか?はっきり言っておく、俺はやってない』
ようやく分かった。おそらくこいつは新井さんに好意を寄せているのだろう。全く、恐れ入谷の鬼子母神だ。他人の問題を解決しようとこんなに尽力する奴はいない。その原動力はやはりそういった思いがあるからなのだろう。しかし、突然どうしたことやら予想外であり予想内な言葉を吐いた。
『僕も本当は草加君を疑っているわけではないんです。』
目の前の人物の行動の源泉に目を向ければ、疑いをかけてきた人物がいくら矛盾した発言をしたとはいえ、驚くことはない。ではなんで疑ったんだと言うまでもないことだ。こいつは自分のために戦っているのではないのだから。実は良心的な心を持った一人の純粋な青年なのだろう。
雲の間からはカーテンのように波打つ光線が差し込んでいる。天野はもうとっくに席に座っているのだろう。
さっきまで面接でもしているかのような彼の口調が無垢なものに変わる。
そんな彼を見て賢太郎は納得した。
光線が地に達する。
しかし一つ気になることがあった。
『どうして俺だと断定できる、彼女が結城さんと中野珈琲に向かう前、まだ教室内に人はいたんじゃないのか』
『すみません、言いそびれていました。後付けになりますが、結城さんが誘いに来る前、彼女は黒板消しをしている草加君と、ほうきで教室の塵を掃いていた天野さんだけ見たと言います』
どんだけ黒板が好きなんだ俺は。まさか彼女が珈琲を飲んで一息ついた後、また戻ってくる間ずっと黒板と仲良くやっていたのか。少し気恥ずかしい気持ちが生まれる。賢太郎はもしかして、という風に左の手の平に右手の拳を乗せて一つ聞いてみる。
『まだ黒板消しをやっていると思って少し不振に思ったのか』
『いえ、多分そんなことじゃないと思います。彼女は草加君が目も合わせず自分がきたことに知らないふりをしていたと言っています』
『よく聞け、俺はあの時本当に気がつかなかっただけだ』
『そうですか・・・では一体誰が・・・・・・・』
その場にいたのは事実なのだが、これはアリバイが晴れたといってもいいのだろう。
そしてこれまで珍しく口を挟まなかった仁が突然立ち上がりこちらを向いて言い放った。
『堅!これは事件だ!』
すっかり晴れた。
教室に戻りふと目をやると、スカイブルーの空よりも一段と青く、また、透き通った綺麗な目を持つ少女と視線の先が混じり合う。お互いにさっと目をそらし何事もなかったかのように授業の準備に取り掛かる。
なんなの・・・・・・もう・・・・。
自分の心臓の動悸が自然にそう思わせているのだろうか。それとも本心の裏返しなのだろうか。表現できない気持ちを心の中で留めることができないのであろう。
やっぱり困っているよな天野・・・・でも、・・どうやって謝ればいいんだ・・・。
『はぁ・・・・・・』
ため息をつく。そんな賢太郎をみて仁は声をかけようとしたが、それを振り切るかのように授業のチャイムが鳴る。
次話も是非読んでください^^よろしくお願いします




