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雨降りかまわず   作者: うしろ
草加賢太郎 二年 6月中旬
2/5

第二話 水たまり

天野エミリ1



『傘これで何本目だっけ・・・』


放課後、すっかり雨は止んでしまっている。それなのに、今日は安心できない。


それはまるで別の世界にでも迷い込んでしまったのだろうかと思えるくらい幻想的な空間であった。長くて細く繊細なその美しい金色の髪が、軽く開いた窓の隙間から我先にと入り込む少し肌寒く心地よい風にすくい上げられる。その透き通った色白の肌は夕焼けに入り薄暗くなった教室内で凛として際立つ。整った顔立ちは純粋な日本人のものではない。その純白さと薄暗い教室内があいまって細く優美な体のラインを際立たせる。

彼女の名前は天野エミリ。二年の四月にこの教室で初めて彼女を見てから二ヶ月がすぎたのだが、以前と変わらず彼女のその眩きを直視することができない。別に自分が何もこれまでシャイで純情で女の子とまともに会話ができないなどの一物を抱えたまま育って来たというわけでない。むしろ普通以上だと自負しているのだが、彼女に対してだけはまるで別物なのである。二ヶ月も過ぎたというのに彼女のその美しい顔をよく思い出すことができない。


もうすぐ日は沈む。


俺は緊急事態の渦中にいる。助けを呼んだとしても誰も来てはくれないのだろう。これはふとした時に遭遇した数奇な運命の断片なのだろうか。教卓に背をむけて、ただ呆然と正面の黒板にチョークで書かれた明日からの準備物の項目をひたすら、それだけを消すのだ!と他のことを考えない。そのせいかこれまでにないほどに黒板の隅から隅に至るまで綺麗にしてしまっていた。黒板のビリジアンと時間の流れに沿って変化する赤色系の光とのグラデーションが夕暮れもまた変化の時をそろそろ迎えるのだろう、そう感じさせる。しかし段々とそれらの色調はまた変化してゆく。暗闇の波は我々が立つこの浜辺に刻刻と押し寄せてくる。一層輝いているのは、顔を見せはじめた月の輝きではなく、況や一番星や、白い砂浜の白くてこまやかな砂の粒たちではない。それは隣に立つ謎の美少女の見事なまでの煌めきである。実はまだ自分から話を切り出しておらず、彼女の眩きからは顔を、そして体をそらすしかない。さらには彼女から何か声をかけられることもなく、このままこの良いような悪いような夢のひと時が、空間が、終わってしまうのだろうと思ったその時、彼女が突然口を開いた。

『あ、あの』

『ひゃっ、はい』

初めて聞いた彼女の声は予想通り、その纏った雰囲気をより形にするような、ハープで奏でられているかのように透き通り、聞いたもの全ては甘美に浸るのだろう。しかし、その場に二人きりという状況でそんなことを逐一考えているひまは無い。

『黒板ありがとう』

『どどどどういたしまして』

こんなにも気持ちと脳内が混乱状態に陥った経験はない。さっきも言った通り、普段女子との会話に支障は出ない。なぜだ、焦るな、焦るな、と心に自己暗示をかける。しかしそんなものは当然役に立つ事はない。しかもそんな事は当の本人も良くわかっているのである。しかし、追い討ちをかけられているかの様にまたそんなことを考える余裕もないという事なのだ。我武者羅にあれこれと次の話題を考える。

『今日は晴れて・・・・』

そこで思わずハッとした表情で外をみる。額に現れ始めた汗が顔を揺らすのと同時にちょうど頰の上まで流れ落ちる。何か言わなければと思い、思わず、

『今日は月が綺麗ですね!』

冷静になるべく目を瞑った。このまま眠ってしまおうか。いやいや、考える。今度はその滲んだ汗が頬を辿り、ついに顎先まで下る。おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、思わず放ってしまった大誤算の発言にその目を開けることなく、表面は平静を取り繕いながら、心の内で悶え苦しむ。こんなにいきなり屈折したプロポーズをされた彼女の表情をもちろん伺う事はできるはずもない。できればもう死にたい。ああ天使よ、私を地獄に誘ってください。

『何を言ってるの』

天使様が何かを囁いている様だ。じゃなくて

『へ?』

『だから突然告白だなんて、こんな二人きりのところで・・・・』

軽く赤みを帯びた彼女の顔のパーツの一つひとつが自然に視界に入り込む。そして何か深刻な誤解が生じてしまう前にと思い、言葉を切り出す。

『聞いてくれ』

真剣な眼差しで見つめられた彼女はより一層その赤色した頰にうっすら赤みが帯びる。夕暮が差し迫る。

『聞いてくれ俺は、その』

一生懸命、全身全霊をかけて言葉を紡ぎ出す。頑張れ自分、お願いだ、頼むから下手な事はいうな。体が何者かに乗っ取られて遠隔操作されているというよりも、もはや物理的に体に侵入され直接精神操作されているようだった。


『俺は、お前しか見えていない!』


それ以降の記憶は曖昧だ。あれは自分が自分でなくなる瞬間だった。その後どうなったのか。気になるのは彼女の事だけだ。まるで悪酔いをした中年のおじさんにでも見えたのかもしれないなどあれこれ悪い想像が頭をよぎる。


学校から徒歩で一キロメートルもない自宅への帰路につく。その生まれたての子鹿のように辿々しい足取りの重さは通り過ぎる周りの目にはどう映るのだろうか。すっかり日が暮れているので不審者に間違えられても何も文句は言えないだろう。見慣れた電柱の指名手配犯の張り紙を見てクラスメートのような感覚にとらわれる。ようやくたどり着きそのままベッドに倒れこむ。そして仰向けのまま顔を埋め、

『やってしまったあああああああああああああああああああああああああああああ』

抱き枕にしがみつき右に左に転がりながら悶絶する。昔の黒歴史を思い出した時の、あの感覚が数十倍、数百倍に研ぎ澄まされた様な、そんな矢の切っ先がグサグサと体に突き刺さる。貫かれた体はその勢いでそのままベッドの端から転げ落ちた。

『支えてくれた両親、そして妹、仁、優、皓之たち、その他私をこれまで支えてくれた方々、今までありがとう』

そう言い残し今度は涙が頬をつたって、今度は滴り落ちた。そのまま目を瞑りどれほどが過ぎたのだろうか、七時から眠ってしまったと仮定するならば、約八時間。普段ショートスリーパーな自分にとってこれほど長く眠ったのには驚いた。

『まあ、そりゃそうだな』

何かに納得したかのようにそう呟く。昨日のあれ、なんとかできないものなのか。そう思ったが無論時間は取り戻す事はできない。しかし長時間の睡眠のおかげか、ここでようやく落ち着きを取り戻す。

『とりあえず風呂に入ろう』

チャポンと音を立て足から湯船に入る。全身が浸かったところで一息つく。そして昨日の出来事を改めて考えてみる。ユタユタとわずかな波動に揺られるウサギ型のラバーダック、そういうと違和感があるのでラバーラビットとでも言った方が良いのか。現実逃避的に別の想像を膨らませていた。そこでようやく本題に入る。

『先ずは、俺はあの時とにかく焦っていた。そのまま何かに取り憑かれたかのように誤って、その、天野に、プ、プロポーズをした』

今度は鼻先まで浸かり逃げ出したい気持ちを浄土する様に口から息を吹き出す。ブクブクと泡立つ目の前の泡はどこへ消えてゆくのだろうか。顔に熱が生まれる。そんなことをしながらそこまでで肝心の彼女の表情を思い出してみる。爛々と火照ったその薄赤色をした透き通った肌や視線、目の動き、瞬きの数。

『天野も緊張していたのか?』

勝手な憶測だが、そうと言い切れる根拠は確かにあった。

『困らせたかもな、明日謝ろう』

自然と気持ちの整理がついた。今日の任務は遂行したと言わんばかりの達成感はなかったのだが、湯にのぼせてしまう前に、

『もう上がろう』

これ以上考えても意味はないと思った。とりあえず明日彼女に一言。そう思いながら電気を消し忘れたままの風呂に隣接した洗面所を後にする。パジャマに着替えてからゆっくりと部屋に戻る。 わずかにあけておいた窓から入り込む夜風のせいなのか、頭の中だけは冷水浴でもしたかのように、すぐに冷めた。


『彼になんて言えばいいの』

そう帰り道の橋の上で暗く何も見えない川を見下ろしながら呟くのは、今日突然告白されてどうすればいいのかわからないと考える天野エミリである。

『ばっかじゃないの・・・。』

ふと夕暮れ時の黒板前に立つ彼の姿や口の動きを、その真剣に見つめる彼の眼差しを思い出す。やはりあの時のように赤面してしまう。

『て、私そんなキャラじゃないっ・・・。』


それは一年生のちょうど雨が続く今の時期だったと思う。その日の天気予報は大いに外れ、夕方からは土砂降りの雨に見舞われた。その時のことを彼は覚えているだろうか。


明日は一言彼に言おう。そしてこれを返そう。赤らめた頰に反発するかのようにハッとする。

『別に嬉しくもなんとも・・無いんだから・・・・』

月の光を帯びてより美しく輝くブロンドの引っ掛けられるものは何も無い様な繊細な毛先に夜風が入り込みたなびく。橋を渡りきると風が止み、ようやく違和感に気がついた。

『熱でもあるのかな』

明日も学校があるから今日は温かくして眠ろうと思った。輝きを放つ彼女の後ろ姿はしばらくすると静まり返った道路の奥にだんだんと薄れながら消えていった。ただそれはゆっくりとしたものだった。


昨日の雨で蓄えられた道路の凹みにある水たまりが太陽の日差しを受けて反射する。昨日の午後からすっかり晴れてはいたが、昨日は肌寒さを感じていたので、この昨日の名残は蒸発できなかったのだろう。

『おはよ!賢、昨日はどうだったか詳しく聞かせろ、聞かせるんだ! 学年1、いや、学校1、いや、全国1位の超絶美女と二人きりの時間を与えられるなんて宝くじで一攫千金を手にする確率と同じだぞ!』

登校中突然後ろから首を絞められたので何事かと思ったが、すぐに仁だとわかる。首元で絡まる彼の両手を力一杯振りほどきながら、

『例えが独特なんだよお前は、それに・・・俺はもう死んだのも同然だ』

『どうゆう事だ』

『そういう事だ』

不思議そうにこちらを伺う仁の黒く澄んだ瞳に残念そうな表情をした青年が映り込む。

『まさか〜お前告白しちゃったりして?』

さらに険しくなる目の前の男を見て、

『したのか!!!』

仁の目はどこか不安の灯火を宿していたが、正面の少年を見てすぐに消えた。そして当事者である賢太郎は頭を撫でられながら見下されている感覚を覚えた。そんな彼を蔑むかのように、

『変太郎、お前は最高のパイオニアだ、これからもぜひ仲良くしてくれ』

『誰が変太郎だ』

そう答えた後、仁はその憂い顔をまるで昨日から今日にかけた天気のようにカラッと変化させ、真下の水たまりを飛び越えた後、こちらを一度も振り返る事なく走り去っていった。




ポチャッ・・・・・・・・・・・・。




着席する。いまだに変わらないこの座席にはそろそろ飽きてきた頃だったが、初めてこのままでいいと強く思い始めた。勇気を持って右側へ顔を上げる。どうやらまだ彼女は来てていないようだ。心の準備の時間が欲しかったため机に顔を伏せ目を瞑る。そして考える。が、しかし、その矢先に誰かに肩を叩かれる。右隣に座るのは仁だが、彼はさっきまで読書に没頭していたはずだ。顔を上げてみる。

そこに立っていたのは見ず知らずの男だった。その男が突然口を開く。

『草加君、昨日、新井さんのペンケースを盗みましたね』

断定的に何かを言い放つ目の前に立つ謎の男の口元を見てあっけにとられる。そして昨日に引き続きシチュエーションは異なれど、またもや思考停止状態になってしまった。

仁はキリが悪いところで本を反対側にして伏せてから、左隣の顔と、背中を向けて立つ男を交互に見てから一言。

『何かあったのか?』

彼の言葉は思考再開のトリガーになることはなかった。賢太郎は前後の脈絡を考えずに切

り返した。

『俺ではない』。


そう冷静に一言。


これからの展開を楽しみにしてください。次回もぜひ読んでいただけると嬉しいです。

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