↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/77

訂正します【後半】

エルザは、俺の目の前に立っていた。


見下ろしてくる顔は、やっぱり何の表情もない。

怒っても、勝ち誇ってもいない。

ゴミ山の上のゴミを見る目ですらない。ただ、仕事の目だった。


「抵抗を終了したと判断します」


「……してねえよ」


「では、抵抗を継続しますか」


答えられなかった。

答えるだけの言葉が、もう残っていなかった。


「あなたのチップは破損しています。校正はできません」


エルザが言った。事実を読み上げるみたいに。

「よって、上層区へ移送し、解析します。あなたがどうやって廃語に力を持たせているのか。誰があなたに協力しているのか」


「協力?」


「同時刻、同街区で、ロゴスの記録が書き換えられています。あなた一人の仕業とは考えにくい」


タクトのスコアのことだ。

あの取り消しは、こいつらにとっても異常だったんだ。

じゃあ、誰が。

頭に浮かんだのは、屋根の上の白衣の子どもだった。


「……名前を確認します」


エルザが端末を見た。

「灰村、■心。中央の字が判読できません。正しい名前を言ってください」

「瓊(けい)だ。瓊心(けいしん)」


「その字は、辞書にありません」


「知ってるよ。おまえらが捨てたんだろ」


エルザの目が、ほんの一瞬だけ、俺の顔に止まった。

何か言いかけた――ように見えた。でも、何も言わなかった。白い手袋の手が、俺の腕に伸びてくる。


――その瞬間。

ころん、と。

俺とエルザのあいだに、何かが転がってきた。

空き缶だった。缶コーヒーの。


「……?」

エルザが缶を見下ろす。俺も見下ろす。


缶が、ぷしゅっと鳴った。

次の瞬間、あたりが真っ白な煙に包まれた。


「――視界不良。センサー、応答なし」


煙の向こうで、エルザの声が初めて、ほんの少しだけ速くなった。

「スーツの感知機能に干渉――これは、ロゴスの規格の――」


最後まで聞こえなかった。

煙の中から、小さな手が伸びてきて、俺の襟首をむんずとつかんだ。

見た目のわりに、とんでもない力だった。


「こっち。黙って。走って」

女の声だった。だるそうで、早口だった。

引きずられるまま、ガラスの斜面を転がり落ち、さっきの排水路の格子に頭から突っこまれる。

真っ暗な穴の中を、小さな手に引かれて、はうように進んだ。


右へ、左へ、また右へ。

下層区の地下にこんな迷路があるなんて、ガキの頃から潜っていた俺でも知らなかった。

どれくらい進んだかわからない。


やがて、手が離れた。

かちっ、と音がして、小さな明かりがついた。

懐中電灯を持っていたのは、屋根の上で見た、あの白衣の子どもだった。


近くで見ると、本当に小さい。

俺の胸までしか背がない。ぶかぶかの白衣。

目の下のクマ。片手には、新しい缶コーヒー。

そいつは缶を開けて一口飲むと、俺の顔をじっと見て、言った。


「……泥だらけでも、かっこいい」


「おまえ、誰だよ」


「黄泉坂(よみさか)カナ」


「中学生が、こんなとこで何してんだ」


カナは、缶コーヒーを持ったまま、ゆっくりと半目になった。


「二十五歳です」


「は?」


「二十五歳です。中学生じゃない。お酒も飲めるし、選挙にも行ける。この街に選挙はないけど」


「いや、どう見ても――」


「二十五歳です」


三回目だった。

同じ言葉は三回目に効かない。

今日、身をもって覚えたルールだ。

でも、こいつの「二十五歳です」は、三回目がいちばん効いていた。


「……わかった。わかったよ、二十五歳な」


「よろしい」

カナは満足そうにうなずくと、白衣のポケットからもう一本缶コーヒーを出して、俺に押しつけた。


「飲む?」


「……もらう」


プルタブを開けて、一口飲む。


「苦っ」

「ブラック。大人の味」

「おまえが言うと説得力ねえな」

「二十五歳です」


四回目だった。

「さっきの煙、なんだよ。あの治安官のスーツまで黙らせてたぞ」

「缶コーヒーの空き缶。中身は自作。ドローンの目とスーツのセンサーを、一分くらいだけ眠らせる」

「自作って……」

「リサイクル。ゴミ字の住人の基本でしょ」


さらっと言うが、ロゴスの規格に干渉する空き缶なんて、ゴミ字の住人に作れる代物じゃない。


「……あの治安官、なんなんだよ。言った端から全部訳されて、ひとつも効かなかった」

「エルザ・ノルム。校閲局でいちばん辞書が分厚い人」

カナは、ちょっとだけ口の端を上げた。

「でもね。あの人にも、訳せない言葉はあるよ」


「どんな」


「自分が一度も感じたことのない気持ちの言葉」

カナはそれ以上は言わなかった。言わないほうが面白い、という顔をしていた。


「タクトのスコアを取り消したのも、おまえか」

カナは答えなかった。缶コーヒーをすする音だけがした。


「……なんで、俺を助けた」

「あなたが叫んだから」

カナは、懐中電灯の光を少しだけ下げた。

「五年ぶりに。ちゃんと、本気で」

背中が冷たくなった。

五年。俺が死語を口にしなかった年数を、こいつは知っている。


「瓊心」

俺は、息を止めた。

「……今、なんて」


「瓊心。いい名前。赤くてきれいな、玉の字」

この街で、俺の名前の真ん中の字を読めるやつは、一人もいないはずだった。

ロゴスも、役所の端末も、あの完璧な治安官でさえ。


「なんで、読めるんだよ」

カナは、缶コーヒーをもう一口すすった。

「ずっと、見てたから」

暗い排水路の中で、その言葉だけが、妙にはっきりと響いた。


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。