↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/84

胸キュン【中盤】

『〇八:〇〇 元一等治安官より、板による交渉』


こつん。

『その毛布は 私の席です』

いつもより字が太かった。

チョークを二本は犠牲にしていそうな太さだ。

向かいの電柱のてっぺんで、双眼鏡のレンズがきらりと光る。


エルザ・ノルム。

元一等治安官。

「訂正します」と言い残して出ていった先が、向かいの電柱だった女だ。

シノブは板を見て、自分の下の毛布を見て、もう一回板を見た。


「この毛布の所有者は、エルザ・ノルム元一等治安官ですか」

「まあな」

「所有者は不在。対象との距離、一メートル。監視に最適です」

シノブは電柱に向かって、ぺこりと頭を下げた。


「お借りします」

こつん。


『貸していません』

シノブは板に人差し指を当てた。


「念のため」

板の字が、黒くにじんで消えた。半分だけ。


『貸して    』

「了解しました。では遠慮なく」

「消し方が悪質すぎるだろ!」

「削除が半分しか使えませんので。どちらの半分が残るかは、選べません」

「今の、絶対選んだよな?」

シノブは答えなかった。

正座を組みなおした。

さっきより、ちょっと深く座っていた。

電柱のてっぺんが、がたんと揺れた。

それから一時間おきに板が下りてきて、そのたびに半分ずつ消された。


『座布団一枚分 ずれてください』は『座布団一枚分』になって、「座布団のご注文ですか。在庫がありません」

『では 半分だけ』は『では』になって、「では、何でしょう」

『交渉に応じなさい』は『応じなさい』になって、「何にでしょう」

「……おい、もう勘弁してやれ。あいつ、たぶん泣いてるぞ」

「泣いているかは確認できません。双眼鏡の反射しか見えませんので」

その双眼鏡が朝から一回も下ろされてないのが問題なんだよ。

昼前、板がぴたりと止まった。


諦めたか――と思った瞬間電柱のてっぺんから、ものすごい量の板がいっぺんになだれ落ちてきた。

ひもで数珠つなぎに、三十枚。

風を受けて、こいのぼりみたいにばっさばっさとはためいている。

先頭の一枚。


『消しても無駄です 予備が三十枚あります』

シノブは見上げたまま固まった。


「……引きます」

二回目。


「あれ、ゆうべのうちに全部書いたのかな……三十枚」

屋根の上で、シズカが遠い目をした。


「書いたんですわ。一枚ずつ、標準的な字で、夜通し」

天井の穴から、ミヤビがしみじみうなずく。


「恋する乙女の執念ですわ。わたくしも婚約届の刺繍で徹夜しましたもの。お気持ち、痛いほどわかりますわ」

「わかんなくていいんだよ」

ルビは三十枚を片っぱしから読み上げかけて、両手で自分の口をふさいでいた。

「よ、予備が、さんじゅ――むぐぐ」


『一三:一〇 不審な町民、一名来訪』


昼過ぎ、戸口に知らない女が立った。

頬かむり。顔の半分を覆う丸いサングラス。

カナの床下にあった、昭和の雑誌の付録だ。

白衣の胸には、ミヤビが刺繍してやった小さな花。

そして頬かむりのすきまから、銀色の髪が三房くらい思いっきりはみ出していた。

変装って言葉を、一回辞書で引いたほうがいい。


「……ごめんください」

「よう、エルザ」

「人ちがいです」

即答だった。


「通りすがりの、標準的な、町民です」

「標準的な町民は、自分で標準的って言わねえんだよ」

エルザはサングラスをくいっと押し上げた。

その拍子に頬かむりがずれて、片耳がぴょこんと出た。

真っ赤だった。


「本日は町内会より、毛布の占有面積の調査にまいりました」

「そんな調査ねえよ」

「あります。今作りました」

作るな。


エルザはふところから巻き尺を出した。

ミヤビの巻き尺だった。

いつ借りたんだ。

土間に上がりこむと、シノブの毛布の前にひざをつく。

縦。横。対角線。それから、シノブの膝から俺の寝床の端まで。

巻き尺を読む目が、すうっと細くなった。


「……九十八センチ」

「誤差です」

「誤差は認めません」

エルザは白衣のポケットからチョークを出すと、床に定規で引いたみたいにまっすぐな線を一本引いた。

俺の寝床と毛布のあいだに。

線の横に、小さく書き足す。


『ここから先 エルザ領』

「人んちに国境引くなよ」

「暫定です」

暫定の国境がいちばんもめるって、ラジ爺が言ってたぞ。

エルザはもう一枚紙を出した。

ふところからずるずる出てきて、床まで垂れた。

巻物だった。


「『同居人心得』全三十条。一晩で起草しました。熟読してください」

シノブは受け取って、上から下まで目を走らせた。

速い。念校の読解速度だ。


「第一条。灰村瓊心の寝顔を無断で観察しないこと。第二条。灰村瓊心の寝言を記録しないこと。第三条。灰村瓊心の毛布に侵入しないこと。第四条。灰村瓊心への朝の報告は、エルザ・ノルムの専任業務とする――」

シノブが顔を上げた。


「三十条すべて、主語が灰村瓊心です」

「当然です」

「あなたは今ここに住んでいないのに、灰村瓊心の寝顔と寝言と毛布と朝を、全部押さえようとしています」

「押さえてはいません。保全です」

エルザはサングラスの奥から、まっすぐシノブを見た。


「私が帰ってくるまで、それらは標準的な状態で保全されなければなりません。……誰の手にも触れられずに」

沈黙。

シノブの背中が、ほんの少し後ろに傾いた。

「……引きます」

三回目。


「引いて結構。了解してください」

「了解しました」

「――は?」

固まったのは、エルザのほうだった。


「全三十条、了解しました。順守します」

シノブは巻物をくるくると巻いてふところにしまうと、正座のまま膝ですすっとずれた。

チョークの線の、こちら側へ。

三センチ。


「一メートル、確保しました。この席はあなたが帰ってくるまでお預かりします。念のため、温めておきます」

エルザの口が、開いて、閉じて、また開いた。

三十条。巻き尺。チョーク。国境。

夜なべして全部そろえて、戦争をしに来た顔だった。

それが三秒で、無条件に受け入れられた。

戦う相手がいなくなった兵隊ほど、気の毒なもんはない。


「……了解、されて、しまいました」

エルザはサングラスを外した。

目のふちが、じわっと潤んでいた。

悔しいのか、ほっとしたのか、本人にもわかっていない顔だった。


ちかっ。

シノブのランプが光った。

「エルザ泣くな! こいつが光る!」

「泣いていません。標準です」

エルザは袖でごしごし目をこすって、戸口に向かった。

そこで一度だけ振り返る。


「灰村瓊心。毛布はちゃんと干してください」

「おう」

「私の匂いが消えない程度に」

「どっちだよ!」

「標準的に、です」

戸が閉まった。数秒後、電柱をがしがしよじ登る音が聞こえた。


「……あの方、町民のまま電柱にお戻りになりましたわ」

天井の穴から、ミヤビが言った。

床下で、缶をすする音が一回だけ、やけに長く続いた。


『一三:四〇 同居人心得、全三十条を受領。順守を了解』

『本日の「引く」、三回。ランプの点灯、四回』


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。