アッシー【中盤】
「灰村さん。こちらと、こちらと、あちらを」
ミヤビは屋台を一軒ずつのぞいては、次々と品物を指さした。
古い裁ちばさみ。
色とりどりの端切れの山。
錆びた鉄のアイロン。
木の糸巻きが三十本。
指さしたものは、全部、俺の腕の中に積まれていった。
「おい。重い」
「殿方ですもの」
「字、五枚しかねえんだぞ。こんなに買えるか」
「お支払いは、わたくしがいたしますわ」
ミヤビは、端切れ屋の婆さんの前にすっとしゃがんだ。
婆さんの屋台の幌が大きく裂けて、風にばたばたはためいている。
「おばあさま。この幌、わたくしに繕わせていただけませんこと。その代わりに、端切れをひと山」
婆さんは、胡散くさそうにミヤビを上から下まで見た。
「元・お嬢様に、何ができるってんだい」
「三分で、ご覧に入れますわ」
ミヤビは刺繍の道具箱を開けた。
針に糸を通すのは一瞬だった。
裂けた幌の端をつまんで、縫いはじめる。
ちくちくちくちく。指先が、目で追えない。
三分後。
裂け目は、跡形もなくふさがっていた。
ただの縫い目じゃない。
裂けていた線に沿って、小さな蔓草の刺繍が、すうっと一本伸びていた。
婆さんが、口を開けたまま幌を見上げた。
「……あんた、これ」
「端切れ、ひと山。よろしいかしら」
婆さんは黙って、いちばん上等な端切れの山をミヤビの前に押し出した。
見ていた隣の古着屋の親父が、ほつれた袖をそっと突き出した。
「な、なあ。これも頼めるか。代わりに、そこの裁ちばさみを」
「承りますわ」
三軒目。四軒目。
気づけば、ミヤビの前に小さな列ができていた。
破れた前掛け。
ボタンの取れた外套。
ほつれたガキの肩かけかばん。
ミヤビは一つずつ、ていねいに繕っていった。
どれにも、目立たないところに小さな花をひとつ縫いつけて。
「……おまえ、すげえな」
「綺羅星の名前は、取り上げられましたけれど」
針を動かしながら、ミヤビは言った。
「針の腕までは、取り上げられませんでしたもの」
その間に、俺の腕の中の荷物は山になっていた。
端切れ、はさみ、アイロン、糸巻き、繕い代にもらった干物、なぜか鍋。
前が見えない。
「……おい」
「はい?」
「俺、完全に荷物持ちじゃねえか」
「ええ、そうですわ」
即答すんな。
「――俺はアッシーかよ!」
叫んだ瞬間、口から、小さな水色の字がぽろっとこぼれた。
『アッシー』
昭和の死語だ。
女の子を車で送り迎えするためだけに呼び出される男。
都合よく使われる荷物持ち。
本気でぼやいたせいで、ちゃんと字になって出てしまった。
死語使いの職業病だ。
愚痴まで具現化する。
字はふわふわ漂って、ミヤビの道具箱に落ちた。
箱の中の、きらきら光る糸巻きの上に。
「あら。いい言葉ですわね」
ミヤビは字をつまみ上げて、光にかざした。
「アッシー。殿方が、送り迎えと荷物持ちを、黙って引き受けてくださること。下層区には、ずいぶん優しい死語がありますのね」
「優しくねえよ。都合よく使われてるだけだ」
「都合よく使われてくださる殿方は、優しい殿方ですわ」
ミヤビはくすっと笑って、字を糸巻きの束の中にそっとしまった。
☆☆☆
最後の屋台は、古着屋だった。
奥に試着室がある。
といっても、木の枠に色あせた幌を一枚かけただけの、狭い箱だ。
「少しお待ちになって。仕立てる前に、寸法を合わせますの」
ミヤビは端切れの山を抱えて試着室に入り、すぐに顔だけ出した。
「……灰村さん。幕を押さえていてくださいまし。風でめくれますの」
「外から押さえりゃいいだろ」
「外からでは、内側の風が防げませんわ」
内側の風って何だ、と言う前に、袖をつかまれて、ぐいっと中に引きこまれた。
狭い。
人ひとりがやっと着替えられる広さに、二人。
ミヤビの背中が、俺の胸にぴったりくっついた。
「お、おい」
「動かないでくださいまし。幕がめくれますわ」
正面に、ひびの入った大きな鏡があった。
鏡の中で、ミヤビがワンピースの背中のボタンに手をかけていた。
「……背中のボタンが外れませんの。外していただけます?」
「自分で入ったんだから自分でやれ」
「手が届きませんの。三女ですもの。いつも、ばあやが外してくれましたから」
鏡の中で、ミヤビがちらりと俺を見た。
からかっている目だった。半分は。
もう半分は、本当に困っている目だった。
俺は、いちばん上のボタンに指をかけた。
ぷつん。
二つ目。三つ目。
ワンピースの背中が少しずつ開いていく。
白い背中。
くっきり浮いた肩甲骨。
その下に、生成りの木綿の細い肩ひもが一本。
……このまま、背中のまんなかを、指でつうっとなぞったら――。
(――つうっ。
「ひゃっ……!」
鏡の中のミヤビが、びくんと背をそらした。
顔がみるみる真っ赤になって、耳まで、首まで、肩まで、桃色に染まっていく。
染まって、染まって、それでも足りなくて――。
しゅぽぽぽぽぽぽっ。
全身から、湯気が噴き出した。
「は、はいむらさんっ、わたくし、わたくし、もう……っ」
しゅぽーーーーっ。
狭い試着室が、一瞬で蒸し風呂になった。
「あっつ!! あっつい!!」
妄想の中の俺は、妄想の中のミヤビの湯気で、全身やけどした。)
――いや、しねえよ。
この狭さでやったら命にかかわる。
それより、上層区の令嬢を気取ってるこいつが、自分で仕掛けたいたずらに自分で真っ赤になる顔のほうが、ずっと見たい。
こつん。
幌のすきまから、板きれが一枚、にゅっと差しこまれていた。
『試着室 二名入室 規程違反』
「……どこから見てんだよ、あいつ」
すきまから外をのぞくと、向かいの屋台の屋根の上で、銀色の髪があわてて引っこんだ。
尾行の才能がないにもほどがある。
☆☆☆
闇市の裏手の、人通りの少ない路地で、ミヤビは端切れの山を広げた。
ガキどもは、とっくにラジ爺に連れられて帰っていた。
路地にいるのは、昼寝中の野良猫と、俺たちだけだ。屋根の上にもう一人いるのは、知っていたけど。
「勝負服を仕立てますわ」
「今からかよ」
「今からですわ。婚約の下見には、勝負服がつきものですもの」
ミヤビは婆さんにもらった端切れを、迷いなく切っていった。
生成り、淡い桃色、若草色。
継ぎはぎなのに、並べるとひとつの花畑みたいに見えた。
最後に、道具箱からきらきら光る糸巻きを取り出した。
「結晶の糸ですわ。端切れ屋のおばあさまが、おまけにくださいましたの。言葉の雨のあとに拾った結晶を、細く細くほぐした糸ですって」
光の加減で、水色にも金色にも見える糸だった。
ミヤビはそれで、裾に細い縁取りを縫いつけていった。
縁取りのいちばん端に、さっきしまった水色の小さな字を、そっと縫いこむ。
『アッシー』
「……それ、縫いこむのかよ」
「ええ。今日の記念ですもの。優しい死語ですから」
十五分後。
物陰で着替えたミヤビが、路地の真ん中に出てきた。
膝丈の、継ぎはぎのワンピースだった。
肩はふんわり膨らんで、腰はきゅっと絞ってある。
下層区の端切れなのに、上層区のどの店にもない形をしていた。
裾の結晶の糸が、夕方の光を受けてちらちら光る。
ミヤビは、くるりと一回まわってみせた。
「いかがですの」
「……似合ってる」
「それだけですの? 第四条をお忘れですわよ」
「署名してねえから無効だ」
「では、署名の練習として」
じっと見られた。逃がさない目だった。
「……かわいい」
「――はい! 本日の第四条、達成ですわ!」
ミヤビはぱあっと笑って、俺の腕の荷物の山に、端切れの残りまで積み上げた。
前が、まったく見えなくなった。
「おい、もう持てねえって!」
一歩踏み出したところで、足もとの空き缶を踏んだ。
体が斜めに傾いた。荷物の山が、ぐらりと揺れた。
「――アッシーの、限界だああっ!!」
叫んだ瞬間、口から、さっきよりでかい水色の字が飛び出した。
『アッシー』
字はまっすぐ、ミヤビの裾に飛んでいった。
縁取りの端に縫いこまれた、同じ字の上に。
ぴたり、と重なった。
結晶の糸が、いっせいにまばゆく光った。
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