ドロン【前半】
「……重い」
決戦の朝、目を開けると、体が一ミリも動かなかった。
右腕に、エルザ。
左腕に、ミヤビ。
腹の上に、ルビ。
両脚の上に、シズカ。
四人が、俺を敷き布団にして、すやすやと眠っていた。
「……なんでだよ」
ゆうべのことを思い出す。
ミヤビは屋根裏。シズカとルビは屋根の上。カナは床下。エルザは隣の毛布。
全員、それぞれの寝床に戻ったはずだった。
戻ったうえで、全員、ここにいた。
「おはようございます。状況を報告します」
右腕の上で、エルザが目を開けた。
俺の二の腕を枕にしたまま、いつもの真顔だった。
「昨夜、決戦前の灰村瓊心の安全を確保するため、私が隣で警護を開始しました。午前一時、綺羅星ミヤビが『抜けがけですわ』と参入。午前二時、朱鷺羽ルビが『ずるい』と参入。午前三時、白鷺シズカが『観察のため』と参入」
「理由が全員、雑なんだよ!」
「治安官服務規程・生活条項第三条。同一寝具の使用は、第四段階『密着』まで定義されています。……本日は、第六段階です」
「規程を勝手に増やすな!」
左腕の上で、ミヤビが、むにゃむにゃと寝返りを打った。
薄い絹の寝間着一枚。
肩ひもの細い、上層区の令嬢が寝るときに着るやつだ。
その肩ひもが、寝返りのひょうしに、つるんと腕のほうへすべり落ちた。
白い肩。鎖骨。
その下の、豊かなふくらみの上半分が、朝の光の中に、こぼれかけた。
……起こさないように、肩ひもを、そっと戻してやるつもりで、指を――。
(――そっ。
「……ん……灰村、さん……?」
ミヤビが目を開けた。
自分の肩を見た。俺の指を見た。
「きゃあああああですわーーっ!! ……で、でしたら、本日を、『灰村さんに肩ひもを直された日』として、毎年お祝いいたしますわ。ケーキに、お名前も入れますわ。三段で」
妄想の中の俺は、殴られもしないまま、記念日の重さに押しつぶされた。)
――いや、しねえよ。
殴られるより重い。
それより、このお嬢様が、自分で記念日を作る前に取り繕えなくなる顔のほうが、ずっと見たい。
「灰村瓊心。今、瞳孔が、不健全な開き方をしました」
「してねえ」
「……ん……あれ……」
現実のミヤビが、目を開けた。
自分の肩を見た。
俺の顔を見た。
俺の顔が、どの角度から、何を見上げているかを見た。
「――きゃあああああですわーーっ!? し、仕立て屋でも測らない角度ですわーーっ!!」
「動けねえんだよ! 俺も被害者だ!」
「では、責任は、あとで、きっちり取っていただきますわ!」
「被害者に責任取らせんな!」
腹の上で、ルビががばっと起き上がった。
ツインテールが片方だけほどけて、寝ぐせで爆発している。
フリルだらけの、桃色のパジャマだった。
「……あ」
ルビは、自分の格好を見下ろした。俺を見下ろした。
「ぎゃーっ!! ち、ちがうから! かわいいの着てきたのは、決戦だからで、べつに見せに来たとかじゃないから!」
ぺたん、と、俺のおでこに付箋が貼られた。
『まくら《きょうだけ》』
「勝手に任命すんな!」
足のほうで、シズカが、むくりと起きた。
浴衣の帯が、寝ているあいだにほどけかけて、合わせが、胸もとまでゆるんでいた。
「……興味深い。四人ぶんの体温で、灰村の心拍が、百十を――」
言いかけて、自分の胸もとを見た。
シズカは、無言で浴衣を合わせ直した。
帯を、ぎゅっと結んだ。
それから、耳の先まで、じわっと赤くなった。
「……今のは、データに、残さない」
そのときだった。
みしっ。
俺の背中の下で、床板が鳴った。
「……六人ぶんは、むり」
床下から、カナの声がした。
めきめきめきっ。
床板が、まるごと抜けた。
「――きゃああああですわーーっ!?」
「ぎゃーっ!!」
「報告しま――」
六人まとめて、床下に落ちた。
落ちた先は、カナの寝床だった。
缶コーヒーの空き缶の山と、色あせた昭和の雑誌の山。
その真ん中で、白衣のカナが、いちばん下敷きになっていた。
俺の顔は、カナの白衣のポケットに差してあった缶コーヒーに、正面からめりこんでいた。
「……重い」
いちばん下から、カナが言った。
「二十五歳を、つぶすな」
「おまえの寝床、すげえな……」
「見たら、缶」
天井の穴から、猫が三匹、心配そうに下をのぞいていた。
☆☆☆
朝飯は、抜けた床板をよけて、土間で食べた。いつものお湯だった。
「本日は、決戦用です」
エルザが、空き缶の横に、干し芋を二枚ずつ並べた。いつもは一枚だ。
「……それ、私の非常用。二箱目」
「本日は、非常時と判断しました」
「……今日は、許す」
カナが、あっさり引き下がった。それだけで、今日が特別な日なんだとわかった。
エルザが、俺の缶の横にだけ、干し芋をもう一枚足した。三枚目。
「灰村瓊心は、本日、一番動きますので」
誰も、何も言わなかった。
狭い家の、狭い土間で、六人で湯気の立つ缶を囲んだ。
上と、下と、外と、隣から集まった顔ぶれだった。
――こいつらの言葉は、一つも、消させない。
☆☆☆
正午まで、あと一時間。
ガキどもは、ラジ爺がことぶき湯に連れていった。
字を書いた板も全部、湯船の脱衣かごに隠した。
婆さんが「番台にいるかぎり、誰も通さないよ」と言ってくれた。
広場には、俺たちだけが残った。
「在庫は」
シズカが、屋根の上から聞いた。
今日まだ使っていない死語は、五つ。
ポケットの中に、結晶が二つ。ナウいの雨のあとの臨時のバザーで、仮面の店主からもらった、くすんだ金の「ドロン」使えるのは、一回だけ。
それと、昨日の夜にもらった、銀色の「逆パカ」
「五つと、切り札が二つ」
「十分。……勝てる数」
カナが、缶コーヒーを二本、白衣のポケットに差しこんだ。
ルビは、ぶかぶかの外套を脱いだ。
白と朱の、三校の初校の制服。
「いいのか。上に見られるぞ」
「いいよ。あたし、今日は、読む係じゃなくて、読んでもらう係になりたいから」
時計台が、正午を打った。
一つ目の鐘で、広場のまんなかに、黒い服の女が立っていた。
二つ目の鐘で、その足もとから、墨が広がりはじめた。
三つ目の鐘で、シノブは、俺たちを一人ずつ見た。
誰を見るときも、目の色は、ひとつも変わらなかった。
「本日の予定を、お知らせします」
配達の伝票でも読み上げるみたいな声だった。
「この区画の、すべての語彙を、削除します。所要時間、およそ十分。……念のため、ご協力ください」
「協力するわけねえだろ」
「承知しました。では、念のため、抵抗もどうぞ」
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