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バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


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7/83

訂正します【前半】

上層区「グラマー」の朝は、午前五時ちょうどに始まる。


五時0分0秒。エルザ・ノルムは目を開けた。

目覚ましは鳴らない。

鳴らす必要がない。

彼女の体は、二十二年間一度も、この時刻を外したことがない。


白い天井。白い壁。白い寝具。

窓の外には、白い塔がいくつも並んでいる。

上層区の建物は、すべて同じ白で塗られている。

色の好みは、判断の揺らぎを生むからだ。


エルザは寝台から降り、白と紺の制服――言語フィルタースーツに袖を通した。

このスーツは、外から入ってくる雑音を遮断する。そして同時に、着ている人間の内側から、余計なものが漏れ出すのも防ぐ。


上層区の人間は、子どものころからこれに似たものを着て育つ。

だからエルザは、自分の中に「余計なもの」があるのかどうかを、確かめたことがない。

鏡の前で髪をまとめる。

銀色の髪を、一本の乱れもなく。

所要時間、四十二秒。昨日と同じ。一昨日とも同じ。

「おはようございます」

誰もいない部屋で、彼女は推奨表現を口にした。


『おはようございます、エルザ・ノルム。本日の言語信用スコア、九百九十八』

天井から、ロゴスの声が答える。


九百九十八。

上層区でも、上から数えたほうが早い数字だ。

残りの二点がどこで削られたのか、エルザは知っている。

三年前、任務中に一度だけ、報告の語順を誤った。

それだけだ。


朝食は、栄養が計算された白い固形食。

かむ回数、三十回。

通勤路の歩道では、すれ違う市民が全員、同じ角度で会釈を交わす。


「おはようございます」「おはようございます」

声の高さまでそろっている。

上層区の朝は、よく調律された楽器のようだった。

エルザはその音の中を、一定の歩幅で歩いた。


校閲局に着き、午前の報告書を書く。

誤字なし。語順の誤りなし。

端末のメモ欄には「未処理事項:0件」と表示されている。

この表示が0以外になったことは、三年間一度もない。


午前十時十二分。

腕の端末が震えた。

『緊急。下層区第七街区にて、感情強度の基準値を超えた廃語の発話を検知。校閲ドローン一機、破損』

エルザの指が、ほんのわずかに止まった。


ドローンの破損。

下層区で、そんなことは記録上、一度も起きていない。

端末に、破損したドローンの最後の記録が再生される。

『チョ、ベリ、バ、とは、なんで、す、か』


エルザはその音声を、三回再生した。

チョベリバ。辞書にない。

照合しても、意味が出てこない。

分類は「廃語」

それ以上のことは、何もわからない。


わからない、という状態を、エルザはあまり経験したことがなかった。

彼女はその単語を、メモ欄に書きこんだ。

「未処理事項:一件」


⭐︎⭐︎⭐︎

校閲局の司令室は、上層区でいちばん高い塔の最上階にある。


「来たか、ノルム一等治安官」

窓際に立っていた男が振り返った。

朱崎(あけさき)監査官。

四十代半ば。仕立てのいい白い制服の胸に、赤い線が一本入っている。

局内では「赤ペン」と呼ばれている。

本人の前で呼ぶ者はいない。


「下層区のゴミが一匹、喋ったそうだ」

朱崎は、楽しそうに言った。

楽しそう、という表現が正しいのかどうか、エルザにはわからない。

ただ、朱崎の口元は、他の局員とは違う形に曲がっている。

彼は上層区で唯一、「校正」という言葉を口にするとき、声の温度が上がる人間だった。


「対象の情報は」


「それがな。照合不能だ。チップが壊れているらしい。スコアもない。名前は――」

朱崎が端末を指で弾く。画面に、文字化けした名前が浮かんだ。

『灰村■心』


「真ん中の字が読めん。

捨てられた字だそうだ。

名前まで廃棄物とは、ゴミ字の住人らしい」

朱崎は笑った。エルザは笑わなかった。笑う理由が見つからなかった。


「もう一点、報告があります」

エルザは自分の端末を差し出した。

「同時刻、同じ街区で、児童K-7-0219の減点が『誤検知』として取り消されています。

ロゴスの誤検知率は、過去十年で0.0000三パーセント。偶然の一致とは考えにくいです」


「ほう」

朱崎の目が、少しだけ細くなった。

「ゴミ字に、ロゴスをいじれるネズミがいるってことか。……面白い。両方まとめて訂正してこい、ノルム」


「了解しました」


「粛清の光は、三百秒後に落ちる。運が良ければ、お前が着く頃には全部終わっているさ」

「運は、計算に入れません」

エルザは一礼して、司令室を出た。


降下艇の発着場へ向かう廊下で、彼女はもう一度、端末の地図を開いた。


下層区第七街区。

見習いだったころ、一度だけ任務で降りたことのある場所だった。

どんな任務だったのかは、記録を開けばわかる。

開く必要はなかった。

終わった任務は、終わった任務だ。

エルザは端末を閉じ、降下艇に乗りこんだ。


白い機体が塔を離れ、ゆっくりと高度を下げていく。窓の外で、上層区の白がだんだん遠ざかり、中層区の灰色を抜けて、その下に、色の混ざりあった街が見えてきた。


錆の茶色。泥の黒。干した洗濯物の、ばらばらな色。そして、あちこちのゴミ山の上で、今朝の雨の結晶がちかちかと光っている。


整っていない、とエルザは思った。

それは、ただの事実の確認だった。少なくとも、彼女はそのつもりだった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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