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バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


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チョメチョメ【中盤】

ユキノは、日傘を杖にして、よっこいしょと立ち上がった。


二十四枚の裾を、上品に整える。

整えたところで、鏡餅は鏡餅だった。


「……先ほどは、お見苦しいところを」


頬が、ほんのり赤かった。

日傘の柄を握る指が、小さく震えていた。


「本日は、きちんと、お仕事をいたしますわね」


日傘が、くるりと回った。


骨の一本一本に、細い光の線が走っている。

傘の内側の字が、光の雨みたいに、路地に降りそそいだ。


『ワロタ』は、『笑った』に。


『バイブスアゲ』は、『気分が高揚する』に。


床下から這い出してきたタクトが、すぐに棒きれをつかんで、上から『ワロタ』と書いた。


書いた瞬間、その字が、ゆらりと揺れて、『笑った』に戻った。


「……もどらない」


「定着、と申しますの。この傘の下では、一度きれいにした言葉は、二度とくずれません」


俺は、口を開きかけて、やめた。


チョベリバ。超MM。キタコレ。

どれも、言う前から、灰色の字になる未来が見えた。言い換えのある言葉は、全部、この女に負ける。


だったら。


俺は、戸口の地面の、ラジ爺の字を見た。


「――チョメチョメッ!!」


叫んだ。


何も、出なかった。


「……あら。今のは、本気ではありませんでしたのね」


くそ。チョメチョメは、言えないことを、言わずにすませる言葉だ。

本気で言えないことが腹の底にないと、出てこない。


「灰村瓊心。わかりました」


エルザが、すっと、俺の前に立った。


「私が、あなたに、本気で言えないことを、思い出させます」


「待て。何する気だ」


「資料を参照しました。カナさんの床下にあった、昭和の雑誌です」


床下から、缶を落とす音がした。


「……読むなって言ったのに」


ラジ爺が、ものすごい速さで、ガキどもを一人ずつ床下へ押しこみはじめた。

最後に、地面に書いていく。


『こども ぜったい みちゃだめ』


エルザは、白衣のいちばん上のボタンを、ひとつだけ外した。


片手を、頭のうしろに。

片手を、腰に。


くいっ、と、腰をひねった。


「うっふん」


棒読みだった。


「……発音は、合っていますか」


「合ってるけど、心が一ミリもこもってねえ!」


「おかしいですね。資料では、このあと男性が鼻血を出します」


「出るか!」


日傘の下で、ユキノが、口もとを押さえて、ぷるぷると震えていた。


「ご、ごめんなさい……笑っては、いけないのですけれど……」


エルザの耳が、ぽっと赤くなった。


それから、エルザは、ポーズをやめた。


つかつかと歩いてきて、つま先立ちになった。


近い。朝より、もっと近い。

縮んだ白衣の胸もとが、俺の胸に、ふにっと当たって、止まった。


耳もとに、唇が寄る。

吐息が、首筋をくすぐった。


「……資料は、もう、使いません」


ささやき声だった。


「あなたが、私に、言えないことは。……何ですか」


頭が、真っ白になった。


こいつが来てから、毎朝、寝顔を報告されるたびに。名前を呼ばれるたびに。

崩れた顔を見るたびに。

腹の底にたまっていく、言葉にしたら何かが変わってしまう、何か。


「――チョメチョメッ!!」


今度は、出た。


ピンク色の、丸っこい文字が、口から、ぽんぽんぽんとこぼれ出た。


「差し替えますわ」


ユキノの重ね着の外側が、光った。

光った、まま、止まった。


『差し替え先を、検索しています』


スーツから、ユキノ自身の声で、音声が流れた。


『候補一。「手をつなぐ」』


「……え?」


『該当せず。候補二。「見つめ合う」』


「ちょ、ちょっと、お待ちになって」


『該当せず。候補三。「口づけ」』


ユキノの頬に、ぼっと火がついた。


「わ、わたしのスーツは、そのようなことを、考えておりませんっ!」


『補足。検索は、着用者の語彙から行っています』


「補足しないでっ!」


『候補四。「添い寝」。候補五。「同じ毛布で」。候補六。「年下の殿方の、ジャージを、こっそり」――』


「止まりなさいっ!!」


ユキノは、鏡餅の胸もとを、両手でばふっと押さえた。

押さえたところで、音声は止まらなかった。


『候補七。閲覧制限語。候補八。閲覧制限語。候補九――』


ぴーっ、ぴーっ、と、スーツから警告音が鳴り続ける。


「……みんな、聞こえないふり」


床下から、カナが言った。


エルザは、俺の目の前で、目をまるくしていた。


「灰村瓊心。……候補三、で、私の心拍が、百五十を超えました。好意の数値も、更新しました」


「なんで、おまえが更新すんだよ!」


『――差し替え先、特定不能。言い換えの候補が、無限にあります』


ユキノの、いちばん外側の白い布が、ふわりとはがれた。


二枚目。三枚目。四枚目。


はがれるたびに、ぽよん、と、鏡餅がひとまわり小さくなっていく。

八枚目がはがれたところで、ようやく、人の形が見えてきた。


「あ、あら……あら……身軽に……」


「言ってる場合か」


「まだ、ですわ」


ユキノは、日傘を両手で握りしめた。


「辞書を八枚なくしても、傘の定着は、残っていますもの。……差し替え先を、こちらで、指定いたします」


日傘が、ぐるりと回った。


「――『秘密』」


ピンクの字が、ゆらりと揺れて、ぷるんと、跳ね返った。


『不一致。この言葉は、「秘密」より、もっと、いろいろなものを含んでいます』


スーツの音声が、困ったように言った。


そのときだった。

床下の穴から、ガキどもが、一人、また一人と、這い出してきた。

ラジ爺が、穴のふちで親指を立てている。

まだ十六枚ある、問題ない、と判断したらしい。


「ラジ爺に、教わったの」


タクトが、地面にしゃがんだ。


「言えないことは、チョメチョメって書けばいいって」


タクトは、地面に、大きく書いた。

隣の女の子も、書いた。

その隣も。九人ぶん。十個。二十個。


路地の地面が、ふにゃふにゃの『チョメチョメ』で、埋まっていく。


日傘の光が、降りそそいだ。


『検索しています。……候補一。「おねしょ」』


ガキの一人が、真っ赤になって、地面に突っ伏した。


『候補二。「つまみぐい」。候補三。「先生の悪口」。候補四。「にいちゃんのジャージに、落書き」。候補五。「ラジ爺の、へそくりの場所」――』


「おい、四番の犯人、出てこい」


タクトが、そっぽを向いた。

ラジ爺は、真顔で床下に消えた。


『候補、五十。候補、百。……検索が、終わりません』


日傘の骨が、ぴしぴしと鳴りはじめた。


「ちょ、ちょっと、皆さん、お待ちになって……!」


『定着処理、過負荷。――解除します』


日傘の光が、ぷつんと消えた。


『笑った』が、ほどけて、『ワロタ』に戻る。

ふにゃふにゃのカタカナが、ぽつぽつと、また光りはじめた。


ガキどもが、声を殺して、飛びはねた。


ラジ爺が、さっきの何倍もの速さで、ガキどもを床下へ押し戻していった。

地面には、新しい一行。


『こんどこそ みちゃだめ』



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