シャレオツ【中盤】
それから十分で、俺の在庫は、ほとんど空になった。
「超MMッ!」『とても、無理』
「ムカ着火ファイヤーッ!」『激しい怒り』
「チョベリグッ!」『とても、良い』
ぱらぱら。ぱらぱら。
灰色の字が、足もとに積もっていく。
ユキノは、汗ひとつかいていない。
「……全部、言い換えがある。類語がある言葉は、全部、負ける」
床下から、カナがつぶやいた。
「わたしは、意味なんて、いりませんの。いちばん近い言葉と、取り替えるだけ。辞書は、ここに」
外側の襟を、指でなぞる。
「類語辞書。十二枚のうちの、外側の三枚に」
「湿気」
シズカが、端末を見ながら言った。
まだ、俺と目を合わせない。
「ルビの伝言どおり。あの多層構造は、一枚ずつが薄すぎて、水を吸うとはがれる。……蒸気なら、出せる人がいる」
全員の目が、ミヤビに向いた。
「わ、わたくし?」
「《玲瓏・改》の放熱は、心拍に比例する。心拍を上げ続ければ、この路地くらい、蒸し風呂にできる」
「簡単です」
エルザが、すっと手を挙げた。
「灰村瓊心が、私たちを褒めればよいのです。おしゃれ対決を提案します。判定は、本気の褒め言葉で。――死語で」
「褒め言葉の、真剣勝負ですわね! 受けて立ちますわ!」
「待て。俺が、褒めんのか。何回も。人前で」
「照れ顔も、記録の対象です。作戦は、作戦です」
正論だった。腹が立つくらい。
「あらあら、にぎやかで、すてき」
ユキノが、正座したまま手を合わせた。
「わたしも、参加してよろしいかしら」
「敵だろ、あんた」
「ええ。ですから、ちゃんと差し替えますわ。ご自分への褒め言葉も、差し替えておけば……照れずに、済みますもの」
にっこり。余裕の笑顔だった。
ラジ爺が、無言で立ち上がった。
ガキどもを一人ずつ床下の穴に追いこみ、最後に自分も潜りこむ。
地面に、一行だけ残していった。
『こども みちゃだめ』
「爺さん、何を予想してんだよ」
☆☆☆
一回戦、ミヤビ。
路地の真ん中で、くるりと回る。
金の巻き髪が、ふわりと広がる。
くびれた腰に手を当てて、片足を少しだけ前に出す。上層区の、本物の令嬢の立ち方だった。
くそ。本当に、きれいだった。
「――シャレオツ、だな」
金色の文字。ユキノの指。『おしゃれ』。灰色の字が落ちる。
でも、ミヤビの顔は、真っ赤だった。
しゅううううっ。スーツのあちこちから、白い湯気が噴き出した。
二回戦、エルザ。
紺のフリルのワンピースのまま、銀髪のピンを一本ずつ抜く。
さらさらと、長い髪が背中に落ちる。
最後に、胸もとのボタンを、ひとつだけ外した。
白い鎖骨が、のぞいた。
「……標準的な、色気の演出です。資料で、学びました」
声は平坦なのに、耳がもう真っ赤だった。
「……シャレオツ」
『おしゃれ』
「心拍、百三十八。……っ、記録、します」
しゅぽぽぽっ。
対抗するみたいに、ミヤビがさらに湯気を噴いた。
「足りませんわ! シズカさんも参加なさい!」
「ぼ、僕? 僕は解析担当で――」
ミヤビに背中を押されて、シズカが路地の真ん中によろけ出た。
湯気で、結んだ黒髪の先が、首すじに張りついている。
白いスーツの上着が、湿気を吸って、肩の線にぴったり沿っていた。
「……ぼ、僕のおしゃれの要素は、機能性と……あの、この、袖の折り返しの角度が……」
「シャレオツ」
「まだ説明の途中なんだけど!?」
『おしゃれ』
シズカは端末で顔を隠した。
小さすぎて、真っ赤な耳が全部はみ出していた。
「湿度、八十八……僕の上着の透過率も上昇中……い、言うな、実況するな、僕っ!」
四回戦。ユキノ。
ユキノは、正座のまま、ほんの少しだけ俺のほうへ身を乗り出した。
重ねた襟もとが、ゆるりと開く。
湯気の向こうから、甘い香の匂いがした。
「わたしは、いかが?」
「……シャレオツ」
自分の指が、すっと動いた。『おしゃれ』。灰色の字が、ユキノの膝に落ちる。
「ほら。ちっとも、照れませんわ」
ユキノは、にっこり笑った。
笑ったまま、襟もとの汗を、そっと指でぬぐった。
☆☆☆
五回戦。六回戦。七回戦。
ミヤビが髪をかき上げ、エルザがスカートの裾をつまんで回り、シズカが袖の角度を直す。
俺がシャレオツと言い、ユキノがおしゃれに差し替え、ミヤビが湯気を噴く。
路地が、白く煙りはじめた。
空気が、重い。じっとりと、肌にまとわりつく。
エルザのワンピースが、汗で、背中にぴったりと張りついていた。
腰のくびれの形が、布ごしにくっきりと浮かんでいる。ミヤビのスーツは、湯気と汗で、真珠みたいにてらてら光っていた。
シズカは、膝を抱えてしゃがみこみ、湿った上着の胸もとを、端末で必死に隠していた。
「わ、わたくし、もう一回ですわ!」
ミヤビが、ぬれた地面で、つるっと足をすべらせた。
「きゃっ――」
倒れこんだ先に、エルザがいた。
二人まとめて、地面に転がった。
エルザのフリルのスカートが、ふわりとめくれ上がる。白い太もも。
ミヤビの顔は、エルザの胸の谷間に、すっぽりと埋まっていた。
「……っ、ぷはっ! ノ、ノルム先輩、あなた、こ、こんなに……!」
「綺羅星ミヤビ。顔の位置を、申告してください」
「申告できませんわ!!」
しゅぽぽぽぽっ。
ミヤビの全身から、過去最大の湯気が噴き出した。
エルザは、めくれたスカートを押さえながら、無表情のまま首まで赤くなっていた。
「……私の心拍も、計測不能です」
路地の湿度が、一気に上がった。
三人とも、頰を上気させて、肩で息をしている。
澄ました顔が、少しずつ、崩れていく。
……いい。すげえ、いい。
「顔。変態の顔。今日、四回目」
床板のすきまから、カナが言った。
いつもなら、ここで、してねえよ、と言う。
今日は、言葉が出てこなかった。
「……ああ、そうだよ。悪いか」
汗をぬぐったら、口が勝手に続けた。
「すましてる顔がさ、ちょっとずつ崩れてくのが……なんつうか、見てて、楽しいんだよ」
路地が、しん、と静まりかえった。
エルザが、まばたきを二回した。
ミヤビが、湯気を噴いたまま固まった。
シズカの端末が、手からすべり落ちた。
床下で、缶を落とす音がした。
……待て。
今、俺、何て言った。
「い、今のは、あれだ。着こなしの話だ。服が、こう、いい感じに着崩れるっていう。シャレオツ用語だ」
「該当する用語は、登録されていません」
エルザが、即答した。
「あなたは『服』ではなく『顔』と発言しました。音声記録を再生しますか」
「すんな!」
「……ガキどもに教えとく。灰村、自白」
床板のすきまから、缶を拾いなおしたカナが言った。
「……あらあら」
湯気の向こうで、ユキノの声が、ほんの少しだけ上ずった。
「少し……蒸しますわね」
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