シャレオツ【前半】
べきっ。
朝いちばんに、屋根が鳴った。
めりめりめりっ。
天井の板が一枚、まるごと抜けて、白と灰色のかたまりが降ってきた。
「ぐえっ」
寝ていた俺の腹の上に、正確に着地した。
白鷺シズカだった。白と灰色のスーツ。
耳の後ろでひとつに結んだ黒髪。
手には、小さな端末。
俺の腰の上に、馬乗りになっている。
「……おはよう、灰村くん。屋根の強度、予測値の三分の一だった。下層区の建材、興味深い」
「どけ」
「待って、今、着地の衝撃を記録して……」
シズカは端末を見て、それから、自分の太ももの下を見下ろした。
俺の腹。俺の腰。その、少し下。
ぴた、と止まった。
「……解析するな、僕」
声が、裏返った。
「現在の接触位置について、仮説を立てるな、僕っ……!」
「だから、どけって言ってんだろ!」
シズカは、ばね仕掛けみたいに飛びのいた。
耳まで真っ赤だった。
「灰村瓊心」
床の上で、エルザが正座していた。
縮んだ白衣に、安全ピン。
「白鷺シズカの着地時間、四秒。記録します」
「五秒」
床板のすきまから、カナが訂正した。
「なんで二人とも測ってんだよ」
見上げると、天井に、人ひとりぶんの穴があいていた。
青空が、四角く見える。
「天井と床、両方に穴。この家、風通しがいい」
カナが、床下から言った。
「修理の費用は、上層区の規定により、落下した者の――」
「ぼ、僕、所持金、三字しかない……」
「エルザよりは金持ちだな」
「訂正を求めます。私はゼロです。比較の対象にしないでください」
☆☆☆
「ルビから、伝言」
シズカは、端末の画面を、少し離れたところからこっちに向けた。
まだ、目を合わせない。
「ゆうべ、上の街のごみ収集日の掲示板に、落書きがあったんだ。誰にも読めない字で。……僕にだけは、読める字で」
『あした ユキノさん くる
しっけに よわい
あと ちょっと こわい
るび』
「……字、きたねえな」
「目隠ししたまま書いたらしいよ。読まないように。……最後の『るび』だけ、すごく丁寧」
ひらがなの、たった二文字。
そこだけ、何回もなぞったみたいに太かった。
「朱鷺羽ルビ、初めての情報提供。……字が、うれしそうです」
エルザが言った。
「字に感情はねえだろ」
「あります。あなたが、教えました」
☆☆☆
「ごきげんよう!」
二人目の来客は、路地の入り口から、高らかにやってきた。
綺羅星ミヤビ。白と金の、ぴったりとしたスーツ。首から足首まで、体の線がそのまま出ている。三日前に光の粒になって消えた、あのスーツだった。
「第八世代フィルタースーツ《玲瓏・改》! お姉さまがたに、泣きついて作り直していただきましたの!」
「泣きついたのかよ」
「透過機能は、撤廃いたしました! 心拍が上がっても、もう透けませんわ! かわりに――」
ミヤビは、俺と目が合った。
それだけで、ぽっと頰を染めた。
三日前の「見られた日」を、思い出したらしい。
しゅぽっ。
スーツの肩から、白い湯気が噴いた。
「――蒸気で、放熱いたしますの」
「やかんかよ」
しゅぽっ。しゅぽぽっ。
「ちょ、止まりませんわ!? 灰村さん、こっちを見ないでくださいまし! 見られると、沸きますの!」
湯気が、もくもくと部屋に広がる。俺の顔が、蒸しタオルみたいに熱くなった。
「対策を、実行します」
背中から、エルザの両手が伸びてきて、俺の目をふさいだ。
後頭部に、何か、やわらかくて重たいものが、むにゅっと押しつけられた。
縮んだ白衣の、ぱつぱつの胸もとだった。
「おい、当たって――」
「目隠しの実行中です。位置の微調整は、できません」
「できるだろ!」
「……できません。私の心拍が、百二十を超えました。手が、離れません」
「顔。一回目」
床板のすきまから、カナが言った。
それから、缶コーヒーを差し出した。ミヤビの湯気に、缶を当てる。
「……あったまった。便利」
「わたくしは湯沸かし器ではございませんわ!!」
☆☆☆
昼。路地の行き止まりで、いつもの授業が始まった。
ガキどもが九人。
地面には、ふにゃふにゃのカタカナ。
『ワロタ』『アウトオブ眼中』『バイブスアゲ』
そこへ、白い日傘が、ゆっくりと入ってきた。
「ごめんくださいませ」
ドローン越しに、何度か聞いた、やわらかい声だった。
日傘の下にいたのは、背の高い、大人の女だった。
腰まで届く、つややかな黒髪。
目じりの少し下がった、おっとりした目。
唇に、うっすらと紅。
着ているスーツは、着物に近かった。
白、薄桃、若草、藤。
何枚もの薄い布が、襟もとで少しずつずれて重なり、花びらみたいな色の段を作っている。
その重なりの奥に、豊かな胸のふくらみと、ゆるやかな腰の線が、ちゃんと見て取れた。
「校閲局、三校。再校の、白妙ユキノと申します。本日は、授業参観に参りました。どうぞ、お気になさらず」
「気にするだろ」
「あら、困った方」
戸口で、エルザが、すっと背筋を伸ばした。
ワンピースのすそを、ぎゅっと握っている。
ミヤビは、反射的に上層区式の深いお辞儀をしていた。
骨の髄まで、しみついているらしい。
「……三校が現場にいる。光は、落ちない。でも、あの人は、光より、たちが悪い」
床下から、カナが小声で言った。
ユキノは、ガキどもの輪の後ろに、音もなく正座した。
「かわいい字。……でも、少し、くずれていますね」
細い指が、地面の『ワロタ』の上にかざされた。
「きれいに、差し替えてあげましょう」
重なった布のいちばん外側が、ふわりと光った。
『ワロタ』は、『笑った』に。『アウトオブ眼中』は、『眼中にない』に。『バイブスアゲ』は、『気分が高揚する』に。
タクトが、書き換えられた字に、そっと触れた。
「……光って、ない」
「お上手に書けていましたよ。でも、ほら。こちらのほうが、ずっと読みやすいでしょう?」
「――チョベリバッ!!」
腹の底から、青い文字が飛んだ。
ユキノは、正座したまま、指を一本、ふっと振った。
『とても、悪い』
灰色の、つまらない字になって、ぱらぱらと落ちた。
「乱暴な言葉は、いけませんわ。あなたの言葉も、全部、わたしが、きれいにしてあげますね」
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