↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/84

微レ存【前半】

「お客様ですね」


エルザが、すっと立ち上がった。

縮んだ白衣の背筋が、ぴんと伸びる。


「来客の記録をとります。お名前、スコア、本日の目的を」


「取り調べすんな」


「中層区の靴。高いやつ」


床板のすきまから、カナが言った。


「一足で、缶コーヒー三百本」


「値踏みもすんな」


男は、戸口で困ったように笑った。

笑い方が、上手ではなかった。


男は、真壁(まかべ)と名乗った。


中層区の、物流会社の係長。四十六歳。


顔を隠していた布を外すと、どこにでもいそうな、くたびれた父親の顔が出てきた。


「スコアは、四百十二です」


エルザに聞かれる前に、自分から言った。


「三年前までは、六百八十ありました。娘のことがあってから、毎月、少しずつ」


下層区に落ちる一歩手前の数字だった。


この人は、それを承知で、毎週、下層区に通ってきている。


「お茶を、どうぞ」


エルザが、空き缶に湯を注いで差し出した。


「下層区の標準的な、おもてなしです。茶葉はありません」


「……お湯ですね」


「お湯です」


真壁さんは、少しだけ笑った。

それから、缶を両手で包んだまま、話し始めた。


「三年前、娘が校正されました。ユイ。当時、九歳でした」


床下で、カナが缶を置く音がした。


「給食に、好物の揚げパンが出た日だったそうです。娘は、うれしくて、教室で言ったんです」


真壁さんは、手のひらの結晶を見下ろした。


「『キタコレ』と」


子どもの仮スコアは五百。死語ひとつで、マイナス五百。


その日のうちに、ゼロだ。


「絵を描くのが好きな子でした。笑うと、右の頬にだけ、えくぼができて」


真壁さんは、自分の右の頬を、指でそっと押さえた。


「その日の朝も、行ってきます、って、手を振って出ていきました」


「あの言葉を、娘に教えたのは、私です」


真壁さんの声は、静かだった。

何百回も、自分の中で繰り返してきた声だった。


「若いころから、こっそり残響屋に通っていました。ある晩、酒に酔って、娘が百点の答案を見せてくれたときに……ふざけて、言ったんです。『キタコレ』と」


娘は、目をまんまるにして笑ったという。


「なにそれ、おとうさん、もう一回、って」


俺は、何も言えなかった。


知っている話だった。


細かいところが違うだけで、全部、知っている話だった。


十四歳の俺が、拾った言葉を冗談で妹に教えた。


妹は、その言葉を、外で言った。


それから先のことは、今でも、うまく思い出せない。


思い出さないように、五年間、ずっと気をつけてきた。


☆☆☆


「娘は今、下層区の北の保管所にいます」


真壁さんは続けた。


「週に一度、面会に来ています。ユイは、『はい』と『いいえ』と『了解しました』しか、言いません」


俺の妹と、同じ建物だ。


同じ面会室の、どこかの椅子に、この人の娘も座っている。


「半年前、残響屋で、この結晶に触れました」


真壁さんは、結晶を、そっとテーブルに置いた。


緑色の、小指の先ほどの粒。

光は、ろうそくの燃えさしみたいに弱かった。


「娘の声でした」


「……結晶に、本人の声が?」


「校正された子どもの言葉は、結晶になって、下に降る。残響屋の主人が、そう教えてくれました」


床下で、缶をすする音が、ぴたりと止まった。


カナは、何も言わなかった。


「三年間、毎週、何百個も触らせてもらって、半年前に、やっと見つけたんです。全財産で買いました。それから毎晩、これを耳に当てて寝ています」


真壁さんは、結晶を耳に当てた。


目を閉じる。


しばらくして、ほんの少しだけ、口もとがゆるんだ。


「……まだ、聞こえます。小さいけれど」


それから、目を開けた。


「でも、三日前から、急に暗くなったんです。一晩で、半分くらいに」


三日前。


ルビが、ガキどもの字を、片っぱしから読み上げた日だ。


『キタコレ《まちのぞんだものがきた》』


あの付箋を、俺は見ていた。


一瞬だけ、ルビを怒鳴りつけたい気持ちが、腹の底で湧いた。


すぐに、しぼんだ。


あいつは、読んだだけだ。


五年前の俺が、妹の前で、チョベリバと言っただけだったのと、同じで。


「灰村瓊心」


エルザの声が、少しだけ硬かった。


「既読です」


「……ああ」


「既読になった言葉は、ロゴスの辞書に戻ります。辞書に戻った言葉は、もう、結晶でいる理由がありません」


エルザは、言葉を選ぶみたいに、一拍おいた。


「この街のすべての『キタコレ』の結晶が、少しずつ、光を返しています。……この結晶は、もともと弱っていました。たぶん、いちばん先に、消えます」


「どれくらいで」


床板が、五センチ持ち上がった。


カナが、結晶をじっと見ていた。


「明日の夜」


平坦な声だった。


いつもより、少しだけ、平坦すぎた。


真壁さんは、うなずいた。驚かなかった。たぶん、ここへ来る前から、わかっていたんだろう。


「直せませんか」


それでも、聞いた。


「何でもします。お金は、もうありませんが……何でも」


俺は、結晶を見た。


俺の在庫にも、キタコレがある。あれも、もう軽い。


何か、方法はないのか。


言葉を戻す言葉は、ないのか。


「……一晩、考えさせてください」


それしか、言えなかった。


真壁さんは、その夜、うちの床の上で眠った。


エルザが、自分の毛布をそっとかけていた。


「来客の記録。……目的の欄は、空けておきます」


小さな声で、エルザはそう言った。


俺は、朝まで、天井を見ていた。


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。