アウトオブ眼中【中盤】
昼過ぎ、路地の行き止まりに、ガキどもが集まった。
タクトを先頭に、今日は九人。看板の前に、ぺたんと座っている。
問題は、そのすぐ横で、ルビがわくわくした顔で正座していることだった。
「にいちゃん、そのねえちゃん、三日前の?」
「ああ。今日から、おまえらの同級生だ」
「同級生でーす!」
ルビが元気に手を挙げた瞬間、ガキどもが一斉に地面の字を手で隠した。
三日前、こいつに読まれて光を失った言葉のことを、ガキどもは忘れていない。
――見えなきゃ、いいんだよな。
「どうぞ」
エルザが、すっと前に出た。
銀髪をまとめていた紺のリボンを、ほどく。さらりと、長い髪が背中に落ちた。
今朝、水場で見たのと同じ髪だった。
思い出すな、俺。
エルザと目が合った。
エルザの耳が、ぼっと赤くなった。
向こうも、思い出していた。
「……目隠しに使ってください。綺羅星ミヤビの贈り物の付属品です。品質は保証されています」
ルビは、リボンを受け取って、もじもじと俺に差し出した。
「……巻いて。自分でやると、斜めになるから」
しかたなく、後ろに回って、リボンを目に当てる。
ツインテールのあいだの、細いうなじが目の前にあった。
「ち、近い……息、かかってる……」
「しゃべるな、ずれる」
結び目を作ると、ルビの肩が、ぴくっと跳ねた。
「……見えない。字が、ひとつも、ない」
「怖いか」
「ちがう」
ルビは、目隠しのまま首を横に振った。
「……静か。こんなに静かなの、生まれて初めてかも」
いつもの「ダッサ!」の顔じゃない、素の顔が、一瞬だけ見えた。
☆☆☆
「今日の言葉は、これだ」
俺は、地面に書いた。
『アウトオブ眼中』
「意味は、『おまえなんか、目に入ってない』……でもな、これは、目に入りまくってる奴が強がって言う言葉なんだよ。
気になって、気になって、どうしようもないときにな」
ガキどもが、ふうん、と顔を見合わせた。
ラジ爺が、ガキどもの肩を叩いた。
地面に『あとは じしゅう』と書いて、九人を連れて、角を曲がった先の空き地へ出ていった。
字の練習の続きは、あっちでやるらしい。
そのとき、路地の入り口から、高らかな声が響いた。
「ごきげんよう、下層区の皆さま!」
振り向いて、俺は固まった。
綺羅星ミヤビが立っていた。
外套じゃない。変装でもない。
白と金の、ぴったりとしたスーツだった。
首から足首まで、まるで肌に塗ったみたいに体に沿っている。
高い位置の豊かな胸のふくらみも、きゅっとくびれた腰も、長い脚の線も、全部そのまま出ていた。
表面が、真珠みたいにつやつやと光っている。
「第八世代フィルタースーツ《玲瓏》! お姉さまがたの最新設計ですわ!」
ミヤビは、腰に手を当てて胸を張った。
張った分だけ、胸が強調された。
「ど、どうかしら、灰村さん!」
「……シャレオツだな」
口から、勝手に出た。
金色の文字が、ふわっとこぼれた。本気の褒め言葉は、死語になって出る。
ミヤビの顔が、ぼんっと赤くなった。
『心拍の急上昇を検知。放熱のため、生地の透過率を上げます』
「……とうか?」
つやつやの白い生地が、じわっと薄くなった。
胸もとから、おなかにかけて。
すりガラスみたいに、中がうっすらと透けていく。
金色のレースの、花の模様が、ぼんやりと浮かび上がった。
「きゃああああああですわーーっ!!」
ミヤビは、両腕で胸を抱えてしゃがみこんだ。
「お姉さまがたの設計ですわね!? わざとですわね!? わざとですわよね!?」
「なに!? 何が起きてんの!?」
目隠しのルビが、立ち上がった。
「すごいことになってる声がする! 読ませて! ねえ読ませて!」
「来るな!」
ルビは、両手を前に突き出して、声のするほうへ突進した。
足もとの木箱に、つまずいた。
「わっ――」
受け止めそこねて、二人で地面に転がった。
気がつくと、俺はあおむけで、ルビが上に乗っていた。
細いのに、ちゃんと柔らかい体が、胸の上にぴったり重なっている。
ツインテールの先が、俺の首すじをくすぐった。
転んだ拍子に、ルビの腰の付箋が、何枚もぱらぱらとめくれ上がっていた。
その下に、ピンクのフリルが、ちらりとのぞいた。
……かわいいの、だった。
ルビの両手が、ぺたぺたと俺の胸の上を探った。
「……これ、なに。字? ……ちがう、かたい。むね、いた?」
「読むな、触るな、どけ!」
「読んでない! 触って確認してるだけ!」
「それが一番だめなんだよ!」
「顔。二回目」
床板のすきまから、カナが言った。
ルビの手が、止まった。
「……ねえ。今、あんた、何か見たでしょ」
「見てねえ」
「うそ。息、止まった。……付箋の音、した」
目隠しの下で、ルビの頰が、じわじわと赤くなっていく。
「……か、かわいかった?」
「……」
「ねえ。答えて。読めないから、答えて」
「……かわいかった」
口が、すべった。
ルビは、俺の胸の上で、ぴたっと固まった。
それから、目隠しのまま、ゆっくりと顔を俺の胸に埋めた。
「……そっか。……そっかぁ」
小さな声が、胸に直接響いた。
「灰村瓊心」
頭の上から、エルザの声が降ってきた。
紺のワンピースのエルザが、真顔で見下ろしていた。
「位置の交代を、申請します」
「申請すんな!」
☆☆☆
「勝負ですわ!」
ミヤビが、透けた胸もとを外套で隠しながら、びしっと指を立てた。
「灰村さんの心拍を、一番上げた者が勝ち! 勝者が、本日、灰村さんの隣の席ですわ!」
「なんでだよ」
「測定は、私が担当します。公平のため、私も参加します」
エルザが、俺の手首を取った。
「おまえ審判だろ!」
一番手、ミヤビ。外套をばっと開いてポーズを決め、決めた瞬間に自分の格好を思い出した。
『心拍上昇。透過率を上げます』
「いやああああっ!」
「……百五です。綺羅星ミヤビの心拍は、推定百七十です」
自爆だった。
二番手、ルビ。目隠しのまま、俺の声をたよりに、そろそろと近づいてきた。耳もとに、くちびるが触れそうな距離。
「……ねえ、■心。あんたの名前。早く、読みたい」
吐息が、耳にかかった。
「……百十二です」
三番手、エルザ。
エルザは、何も言わずに、俺の膝の上に座った。
向かい合わせに。
両手で、俺の頰をはさむ。
洗いたての銀髪から、水場の石けんの匂いがした。
澄んだ灰色の目が、鼻先がくっつきそうな距離で、俺をのぞきこんだ。
「最短経路です。今朝、見られた分を……今、取り返します」
「……っ」
エルザの指が、俺の手首に戻った。
「百三十一。……私は、百四十八です。私の負けです」
「なんでそうなるんだよ!」
カナは、床下から、首だけ出して見ていた。
「カナは、やらねえのか」
「やらない」
缶コーヒーを、ちびりとすする。
「私が近づくと、たぶん、下がるから」
「下がらねえよ」
カナは、少しだけ黙った。
「……そう」
床板が、静かに閉まった。
床下で、缶をすする音が、いつもより長く続いた。
そのとき、床板がもう一度、勢いよく開いた。
「ドローン。白いの。……校閲局の、監査機」
カナの声が、いつもより低かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




