ギャフンと言わせてやる【中盤】
昼前、路地の行き止まりに、看板が立った。
空き缶を平たく叩いて、釘で彫った字。
『バグワード・バザー』
その下に、もう一枚。
『きまり
一、本気のときだけ
二、言うな 書け
三、ドローンが来たら 足で消せ』
この行き止まりは、いちばん近い電柱から遠い。
小声なら、マイクは拾わない。
カナが半年かけて調べた、この街の数少ない穴だ。
最初の客は、タクトだった。
その次は、タクトが引っぱってきた、近所のガキが六人。
「にいちゃん、今日の言葉は?」
俺は、棒きれで地面に書いた。
『ワロタ』
「大昔の、笑い声だ。腹の底から笑ったときに、画面に打ちこんだ。声に出すな。書け。書くとき、何が一番おかしかったか、思い出せ」
タクトが、真剣な顔で棒きれを握った。
一画ずつ、ゆっくり書く。
それから、隣の女の子と顔を見合わせて、二人して、声を出さずに肩を震わせた。
――いいぞ。それでいい。
輪のはしの木箱には、ラジ爺が座っていた。
地面に、指で大きく書いてある。
『こうし』
講師かよ。
いつのまにか、肩書きが審判から昇格していた。
戸口では、エルザがフリルのワンピースのまま正座して、地面に帳簿をつけていた。
『来客 七名
売上 零字
黒字 七』
エルザは、「黒字 七」を、ちょっと誇らしげに指でなぞった。
「興味深い」
背中から、聞き覚えのある声がした。
白と灰色のスーツ。
耳の後ろでひとつに結んだ黒髪。
白鷺シズカが、看板の前にしゃがみこんでいた。
「材質、空き缶。彫刻の深さ、二ミリ。ドローンの光学読み取りの閾値以下。――黄泉坂さんの仕事だね」
それから、端末の画面を俺に見せた。
「あの広場の日の結晶。チョベリバの輝度を、毎晩測ってる」
『一日目 100
三日目 95
五日目 88』
「……下がってんのか」
「子どもたちが遊ぶたびに、少しずつ。たくさんの人が同じ死語を使うと、その言葉は現役語に戻っていく。戻った言葉は、ロゴスにとって、ただの言葉だ」
シズカは、端末を閉じた。
「君が言葉を配るほど、君の武器は、弱くなる」
店を開けた初日に、店の理由が、ひとつ、ぐらついた。
☆☆☆
「ばぐ、わーど、ばざー。……へえ、ダッサ!」
頭の上から、声が降ってきた。
見上げると、白い卵形のドローンが、屋根すれすれに浮いていた。
その上に、誰かが、ブランコみたいに腰かけている。
赤みがかった、長いツインテール。
白と朱色のスーツの肩から裾まで、細長い光の付箋が、何百枚も貼りついて、ひらひらと揺れていた。
年は、たぶん俺と同じくらいだ。
そいつは足をぶらぶらさせながら、目に入るものを、片っぱしから声に出して読んだ。
「き、ま、り。いち、ほんきの、ときだけ。……ろじ。ごみ。ねこ。あ、ねこかわいい」
路地の隅の野良猫まで、読まれた。
「きまり、三」
カナが、戸口のすぐ内側の床板を、大きく開けた。
ガキどもが、いっせいに地面の字を足でざりざりと消して、戸口へ走り、ころころと穴に飛びこんでいく。カナも続いて潜る。
最後にラジ爺が、床板にふたをして、その上にどっかりと座った。
タクトだけが、床板のすきまから、目だけ出していた。
「あんた、誰だよ」
「えっ、わかんない? じゃあ、下りてってあげる!」
そいつは、ドローンからぴょんと飛び降りた。
飛び降りながら、看板の二枚目を読みはじめた。
「さん、どろーんがきたら、あしで――」
足もとを、見ていなかった。
着地するはずの木箱を、きれいに踏み外した。
「わ、わわっ!?」
落ちてくる。俺のほうへ。
受け止めた。とっさに。
腕の中に、すっぽりおさまった。思ったより、ずっと軽い。そして、思ったより、ずっとやわらかい。
……やわらかい?
俺の右手が、どこにあるのか、遅れて理解した。
付箋だらけのスーツの、胸のふくらみの上だった。
手のひらに、ちょうどおさまるくらいの、まるい弾力。
「……え」
そいつの体じゅうの付箋が、ぶわっと逆立った。
何枚かが勝手にはがれて、ひらひら飛んで、ぺたり、ぺたりと貼りついた。
俺の手の甲に。そいつの胸もとに。
そいつは、目に入った字を、反射で読んだ。
「て。《けいしんの》……むね。《さわられちゅう》」
読んでから、固まった。
「――なっ、なにすんのダッサ!! ヘンタイ!!」
腕の中から、ばね仕掛けみたいに飛びのいた。
「おまえが落ちてきたんだろ!」
「触った。一・五秒」
床板のすきまから、カナが言った。
「灰村瓊心。手の位置と、時間を、書面で提出してください」
「なんでおまえまで!」
そいつは、胸もとの付箋を両手でむしり取りながら、真っ赤な顔で名乗った。
「こ、校閲局、三校のいちばん下っぱ! 初校の、朱鷺羽ルビ! ルビって呼んで!」
それから、俺の顔をじいっと見上げた。
「で、あんたが灰村■心? ねえ、その■って、どう読むの? 気になって、ゆうべ一睡もできなかったんだけど!」
――あの夜、ラジオから聞こえた、楽しそうな声。
三校。カナが「赤ペンとは桁がちがう」と言った、校閲局の頂点のすぐ下。
戸口で、エルザが立ち上がっていた。
「初校……最年少で三校に入った人です。十九歳。養成院の記録は、全部、首席」
「あ、ノルム先輩じゃん! 誤字になったって聞いた! あと、その服、なに? き、ら、ぼ、し。……きらぼしって読める! ダッサ!」
エルザの胸の刺繍まで、読まれた。
路地の陰で、外套のミヤビが、小さく抗議の声を上げた。
☆☆☆
「安心してよ、光なんて落とさないから」
ルビは、ガキどもの輪の前に、とことこ歩いていった。
「三校が現場にいるあいだ、ロゴスは手を出さないの。あたしたちの邪魔になるから。それに、光とか、つまんないし」
ルビは、地面を見下ろした。ガキどもが足で消しきれなかった、ふにゃふにゃのカタカナ。
「ちょべりば。わろた。おーあーるぜっと」
ルビが読むたびに、字の上に、光の付箋が一枚ずつ、ひらりと貼りついていった。
『チョベリバ《ひじょうにわるい》』
『ワロタ《わらった》』
『orz』
「振ってるの。ルビ」
ルビは、楽しそうに言った。
「読めない字には、読み方を振る。わかんない言葉には、意味を振る。振ったら、既読。既読になった言葉は、もう、ロゴスの辞書の中」
床板のすきまから、タクトの手が出てきた。
握っているのは、広場で拾った、青いチョベリバの結晶。
その光が、俺の目の前で、すうっと暗くなっていった。
「……にいちゃん。おれの、チョベリバ……」
「輝度、四十パーセント低下。……一瞬で」
シズカの声が、かすれていた。
ルビは、くるりと振り返った。
「ね、読んだら、終わりなの。誰のものでもなくなるの。――便利でしょ?」
その顔には、悪意がひとつもなかった。
ただ、読めるものを、読んだだけ。
そういう顔だった。
腹の底で、何かが、ぷつんと切れた。
「タクト。頭、引っこめてろ」
タクトの手が、すきまの中に消えた。ラジ爺が、床板の上で座り直して、地面に一行書いた。
『みはり』
これで、路地にガキはいない。
俺は、ルビの前に立った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




