ギャフンと言わせてやる【前半】
居候が来てから、俺の家の朝は、やたらと報告が多い。
「おはようございます、灰村瓊心。朝の報告をします」
目を開けると、床の上で白衣が正座していた。
中身は、エルザ・ノルム。
カナの予備の白衣は、袖がひじまでしかない。
丈も短い。
胸のところで、前のボタンがぎりぎりと悲鳴を上げている。
それでも背筋だけは、上層区の朝礼みたいにまっすぐだ。
「……報告って、なんの」
「昨夜、あなたの寝顔を観察しました」
「は?」
「二十三時から、四時十二分まで。観察中、私の心拍は最大で百十二まで上昇しました。原因を検討しました。可能性の高い順に、一、室温。二、疲労。三、あなたの顔です」
「三を消せ」
「消せません。三が、最有力です」
エルザは、自信たっぷりに胸を張った。
ぱちん。
第二ボタンが、はじけ飛んだ。
俺のおでこに、命中した。
「……報告します。第二ボタンが、離脱しました」
白衣の合わせ目が、ぱっくり開いていた。
中に着ている、カナに借りたぶかぶかのTシャツが、そこだけ、ぜんぜんぶかぶかじゃなかった。
薄い布が、二つのまるい形に、むちっと押し上げられている。
「閉じろ!」
「閉じられません。ボタンが、ありません」
床板が、ことりと五センチ持ち上がった。
隙間から、クマのひどい目がのぞく。
「……二秒」
「数えんな」
「あと、寝顔の観察なら、私が半年前からやってる。私の方が、先に見つけたのに」
黄泉坂カナは缶コーヒーをすすって、床下から出てきた。ぶかぶかの白衣。小さい背丈。二十五歳。本人いわく。
「黄泉坂カナ。先行研究があるなら、共有をお願いします。観察に適した角度は」
「右斜め四十五度。寝返りを打つと、口が半分あく」
「記録します」
「記録すんな!」
俺の寝顔は、いつのまにか共同研究の対象になっていた。
☆☆☆
朝飯は、空き缶で沸かした湯と、干し芋だった。
鍋は、四日前にエルザがチョベリバで割ったきりだ。
「本日の家事を報告します。洗濯を行いました。黄泉坂カナの予備の白衣を、標準洗濯手順で洗いました」
「うん」
「縮みました」
「……今、着てるそれか」
「はい。ボタンが離脱したのも、おそらく、そのせいです」
カナが、無言で白衣を見た。
それから、エルザを見た。
「……それ、私の。三着しかないのに」
「申し訳ありません。弁償します。私の所持金は――」
「ゼロだろ」
「ゼロです」
エルザは、ボタンのとれた胸もとを両手で押さえて、しゅんと肩を落とした。
完璧な女が、白衣一枚で負けている。
いい顔だった。
――いや、待て。
朝からそれはやめろ、俺。
「顔」
カナが、俺を見ずに言った。
「今、変態の顔した」
「してねえよ」
「した。私は、床下から全部見てる」
「床の上だろ、今」
☆☆☆
昨夜、俺は言った。
店、開けるぞ。
誰も使わなくなったダサい言葉を、この街じゅうに配る店だ。
「名前は、バグワード・バザー」
カナが言った。
「看板は、私が作る。空き缶を叩いて、平たくして、釘で字を彫る。缶に彫った字は、ロゴスには読めない」
「事業計画を提案します」
エルザが、なぜか挙手した。
「結晶の買い取り相場は、現在一個三字。よって価格は――」
「金は取らねえ。ガキからも、大人からも」
「無料は、経営として推奨されません」
「いいんだよ。ガキが本気の言葉をひとつ覚えたら、それで黒字だ」
エルザは、三秒ほど黙った。
「……黒字の定義を、訂正――」
言いかけて、口を閉じる。訂正は、もう出てこない。
「――いえ。記録します。あなたの定義で」
少しだけ、目を細めた。
笑い方を練習している最中の人の顔だった。
☆☆☆
戸口が、こんこん、と叩かれた。
ノックは二回。礼儀正しい。
下層区で、礼儀正しいノックをするやつは、いない。
戸を開けると、灰色の外套が立っていた。
フードの下から、金色の巻き髪が、盛大にはみ出している。
「通りすがりの、仕立て屋ですわ!」
「ミヤビ」
「ち、違いますわ!」
綺羅星ミヤビは、金のリボンのかかった包みを、エルザに突き出した。
「お、お召し物ですわ。べ、別に、あなたのためではありませんわ! 灰村さんのお宅に、白衣の女が二人もいるのは、景観上よろしくないと思っただけですわ!」
「景観」
カナが、平坦に繰り返した。
包みの中身は、紺のワンピースだった。
袖にフリル。裾にフリルが三段。
胸もとには、金糸の刺繍。
『綺羅星』
「……おまえ、刺繍しないと気がすまないのか」
「下層区にふさわしい、質素なお召し物を選びましたわ」
この街のどこにも、ふさわしくなかった。
エルザは、部屋の隅で着替えることになった。
カナが洗濯ひもに古い毛布をかけて、仕切りを作る。その前に仁王立ちして、俺をにらんだ。
「見たら、缶。缶を、口に入れる」
「見ねえよ」
毛布の向こうで、白衣の落ちる音がした。布のこすれる音。
「……報告します。背中のファスナーが、届きません」
「わ、わたくしが上げて差し上げますわ!」
ミヤビが毛布の向こうへ飛びこもうとして、外套のフードを洗濯ひもに引っかけた。
ぶちっ。
ひもが切れた。毛布が、ばさりと落ちた。
エルザが、こっちに背中を向けて立っていた。
紺のワンピースの背中が、腰のあたりまで、ぱっくり開いている。
白い背中。
肩甲骨の、なめらかなくぼみ。
まっすぐな背骨の線をたどっていった先を、細い白いひもが一本、横切っていた。
エルザが、肩ごしに振り返った。
無表情のまま、耳の先から、うなじ、背中まで、みるみる赤くなっていく。
赤くなっていくのが、背中で見えた。
「……状況を、報告します。背中が、開放されています」
「見てねえ!」
「目が、開いています」
俺は、ぎゅっと目を閉じた。
「では、閉じたまま、上げてください」
「なんで俺なんだよ!」
「ミヤビさんは、ひもに絡まっています。黄泉坂カナは――」
「……届かない」
カナが、背伸びをしたまま言った。
しかたなく、目を閉じて、手さぐりで金具を探す。
指先が、すべすべして、あたたかいものに触れた。
「ひゃっ」
聞いたことのない声だった。
エルザの口から、出た。
思わず、目を開けた。
ずぼっ。
口の中に、缶が入っていた。
「見た。だから、缶」
カナは、約束を守る女だった。
「……今の音声は、記録しないでください」
エルザが、背中を向けたまま、小さく言った。
「私も、記録しません」
ファスナーは、結局、ひもに絡まったままのミヤビが上げた。
着替えたエルザは、スカートの裾を両手でつまんで、俺の前に立った。
紺に、三段のフリル。
胸に「綺羅星」
銀髪は、きっちりまとめ直してある。
つまみ方まで、標準動作みたいに正確だった。
「……どうでしょうか」
「似合ってる」
口から、勝手に出た。
エルザの耳が、ぼっと赤くなった。
「心拍、百十八です。最高値を更新しました」
「報告すんな」
「は、灰村さん! わたくしが選んだお召し物を褒めたということは、わたくしのセンスを褒めたということですわよね!? でしたら、もう一度、あの言葉を……チョ、チョベリグ、と……」
「それは本気じゃないと出ないんだよ」
「本気ではないとおっしゃいますの!?」
「そういう意味じゃなくて!」
「……私の方が、先に見つけたのに」
床下に半分戻りかけたカナが、ぼそっと言った。
朝の八時。俺の家は、すでに定員を超えていた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
書き直し地獄。でも仕方ない……面白くなかったから。
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