バグワード・バザー開店【後半】
三日後の夜。
地下の貯水場は、今まででいちばん混んでいた。
天井の高い、湿った石の広間に、ござとランプが隙間なく並んでいる。
どのござの上にも、結晶が山盛りだった。
言葉の雨が、二回いっぺんに降ったようなものだから、無理もない。
「……嘘だろ」
結晶の買い取り屋の木札を見て、俺は声をなくした。
『死語結晶 買取 一個三字』
先月まで、三十字で買ってくれていた。
「十分の一……」
「需要に対して、供給が過剰です」
フードを目深にかぶったエルザが、横から冷静に言った。
カナの白衣の上に、ラジ爺が貸してくれたぼろぼろの外套を羽織っている。
袖だけは、ちゃんと手首まであった。
「価格の下落は、合理的な結果です」
「合理的とか言うな。俺の生活費だぞ」
つまり、こういうことだ。
俺のナウいが広場に結晶の山を降らせて、その結晶の山が、俺の商売を潰した。
自分で自分の店に、言葉の雨を降らせたわけだ。
「……チョベリバ」
小声でつぶやいたら、隣のござの結晶が一個、ぴしっと割れた。
店番の婆さんに、ものすごい目でにらまれた。
「この価格は、不適正です」
いつの間にか、エルザが別のござの前にしゃがんでいた。
店番の男が、ぽかんと口を開けている。
「この結晶の純度と大きさから算出すると、適正価格は四・二字です。三字は安すぎます。あなたは損をしています」
「……姉ちゃん、値切るんじゃなくて、値上げすんのか」
「正しい価格を、伝えているだけです」
男は、しばらくエルザの顔を見ていた。
それから、木札を『四字』に書き直して、なぜか結晶を一個、おまけにくれた。
エルザは、おまけの結晶を手のひらに乗せて、首をかしげた。
「これは、なぜですか」
「たぶん、うれしかったんだよ。正直に言われて」
エルザは、黙って結晶を見つめた。
指先が、そっとそれに触れる。
その瞬間、エルザの顔が、ぼっと赤くなった。
「……っ」
残響が、聞こえたらしい。
「何の結晶だった」
「……言いません」
「言えよ」
「黙秘します。チョベリ――、いえ、黙秘します」
チョベリグの結晶か。
あの夜、自分が言った言葉の、昔の誰かの本気の残響を、まともに浴びたらしい。
耳まで真っ赤にして、結晶を外套のポケットに押しこむエルザの顔を、俺は――
いや、見てない。見てないぞ。ちょっとしか。
「ぜんぶ、いただきますわー!」
広間の奥で、聞き覚えのある叫び声がした。
灰色の外套から金色の巻き髪を盛大にはみ出させた女が、ござの前で、結晶を袋に詰めこんでいた。
店番が、泣きそうな顔で拝んでいる。
「通りすがりの、ただの収集家ですわ! 一個三字なら、買い占めるしかありませんわー!」
「……あの方は、広場であなたを運んだときも、同じ変装でした」
エルザが、小声で言った。
……あれで、変装のつもりなのか。
「追いますか」
「ほっとけ。あいつが買い占めると、たぶん相場が戻る」
ある意味、下層区の救世主だった。
☆☆☆
広間のいちばん奥。
ランプがひとつだけの、薄暗い隅。
仮面の店主は、いつもの場所に、いつもの格好で座っていた。
ぶかぶかの黒いマント。
真っ白な仮面。小さな背丈。
そして、一言もしゃべらない。
ほかの店とちがって、この店のござの上だけ、結晶が少なかった。
値札もない。
「よう。MK5、助かった」
俺は、ござの前にしゃがんだ。
「二つの意味、ちゃんとわかったよ。あんたのおかげで、二百人が無事だった」
仮面が、少しだけ下を向いた。
マントの裾から、かすかに、苦い匂いがした。
前にも嗅いだ匂いだった。あのときは、何の匂いか思い出せなかった。
今は、わかる。
黒い缶の、あのくそ苦い缶コーヒー。
床下で、一日に五本は空き缶が転がる、あれと同じ匂いだ。
「……灰村瓊心」
エルザが、俺の耳もとでささやいた。
「店主の身長、推定百四十六センチ。肩幅、手の大きさ、座り方の癖。すべて、黄泉坂カナと一致します」
俺は、仮面をじっと見た。
仮面も、俺をじっと見た。
「……いや、ないない」
俺は首を振った。
「カナが、俺の前で一時間も黙ってられるわけねえだろ。あいつ、俺の話になると早口になるんだぞ」
仮面の顔が、ぷい、と横を向いた。
なんか、怒ってないか。
それから店主は、エルザのほうをちらりと見た。
エルザが、俺の肩に触れるくらい近くでささやいていたのに気づいたらしい。
仮面の角度が、さらに、ぷい、と横にずれた。
なんで店主が機嫌悪くなるんだよ。
店主は、マントの奥から、結晶をひとつ取り出した。
小さな結晶だった。色は、くすんだ金。
ござの上のどの結晶とも、ちがう色をしていた。
俺の手のひらに、それが落とされる。
触れた瞬間、残響が流れこんできた。
――煙の匂い。
子どもたちの笑い声。
誰かが、指を組んで、ふざけた顔で叫んでいる。
古い、古い時代の、遊び場の声。
消える。いなくなる。この場から、ぱっと。
「……これ」
声が、かすれた。
「S級じゃねえか」
店主は、何も言わなかった。
かわりに、結晶に人さし指を当てて、それから、指を一本だけ立ててみせた。
MK5のときは、二本だった。使い方は、二つある、と。
今度は、一本。
使えるのは、一回だけ。――たぶん、そう言っていた。
「……代金は」
店主は、首を横に振った。
それから、仮面の顔を、ほんの少しだけ上に向けた。
前にも見た仕草だった。笑ったのかもしれない。
☆☆☆
家に戻ると、床下から缶を開ける音がした。
「……おかえり」
床板の隙間から、カナの目がのぞいた。
手には、開けたばかりの黒い缶。
「バザー、どうだった」
「結晶が十分の一に値下がりしてた。ミヤビが買い占めてた。それと――」
俺は、少しだけ迷ってから言った。
「店主から、おまえと同じコーヒーの匂いがした」
床下が、一秒だけ、しんとした。
「……下層区で売ってる缶コーヒー、一種類しかないから」
「なるほど。合理的な説明です」
エルザが、うなずいた。
そうか。そうだよな。
俺も、うなずいた。
そのとき、床下で、ざざっと雑音が鳴った。
カナの「ラジオ」だ。
雑音の向こうから、平坦な、温度のない声が聞こえてきた。
上層区の、校閲局の通信だ。
『――校閲局より、通達。第七街区、灰村■心に関する案件を、監査官朱崎より、三校へ移管する』
カナの手から、缶が落ちた。
床下で、ころころと転がる音がした。
「……三校」
「なんだよ、それ」
「初校。再校。念校」
カナの声が、いつもより低かった。
「校閲局の、いちばん上の赤ペン。編集長の、すぐ下。……赤ペンなんかとは、桁がちがう」
エルザが、白衣の膝の上で、両手をぎゅっと握った。
上層区にいた人間の顔だった。
その名前の重さを、知っている顔だった。
雑音の中に、三つの声が、順番に混じった。
『初校、了解。――ねえ、その■って字、どう読むの? 気になって眠れないんだけど』
若い女の声だった。楽しそうだった。
『再校、了解。下層区は、湿気が多いと聞いています。スーツが傷みますね』
落ち着いた、やわらかい声。
最後の声だけが、ひどく静かだった。
『念校。了解』
一拍、間があった。
『――念のため、全部、消します』
ぶつり、と通信が切れた。
しばらく、誰も何も言わなかった。
床下で、カナが転がった缶を拾う音がした。
エルザは、膝の上の手を見つめていた。
俺は、ポケットの中の、くすんだ金の結晶を握った。
一回だけの、切り札。
それから、窓の外を見た。
月明かりの下、路地の土の上のあちこちに、細い線が見えた。
子どもたちが、昼間に広場からここまで遊びを持ちこんで、棒きれで書いて、足で消しきれなかった字だ。
ふにゃふにゃのカタカナ。
下手くそなアルファベット。
ドローンには読めない、土の上の言葉。
五年前、俺は言葉が怖くなった。
俺の教えた一言が、妹を消したから。
でも、あいつらは、もう書いている。
俺が拾ってきた、くだらない言葉を。
俺が止める前に。
ラジ爺の字が、頭に浮かんだ。
はじめたのは、おまえだ。
「……上等だ」
俺は、窓の外の、消えかけの字に向かって言った。
「三校だか念校だか知らねえけどな。この街には、捨てられた言葉が山ほどある。拾うやつも、もう俺ひとりじゃない」
床下から、カナが顔を出した。エルザが、顔を上げた。
二人とも、ちょっとだけ、いい顔をしていた。
「店、開けるぞ」
「……店?」
「ああ。誰も使わなくなったダサい言葉を、この街じゅうに配る店だ。ガキにも、爺さんにも、上層区のお嬢様にも、元治安官にも」
俺は、くすんだ金の結晶を、月明かりにかざした。
「この完璧な管理都市を、チョベリバにしてやる」
バグワード・バザー、開店だ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。




