バグワード・バザー開店【中盤】
昼前に、広場の向こうから、足音がそろって近づいてきた。
ざっ、ざっ、ざっ。
子どもたちが、いっせいに地面の字を足で消した。
慣れた動きだった。
たぶん、俺が寝ているあいだに、もう何回も練習したんだろう。
灰色の作業服の列が、広場に入ってきた。
二十人くらい。
全員が同じ長さのほうきを持って、同じ歩幅で歩いてくる。
顔に、表情はない。
リビング・ドールの清掃班だ。
『第七街区広場の、散乱物を回収してください』
スピーカーの声に合わせて、列がほどけた。
ドールたちは、ほうきで結晶を掃き集めては、腰の袋に入れていく。
黙々と。正確に。
ロゴスは、自分が捨てた言葉を、もう一回捨てるつもりらしい。
子どもたちが、あわてて手の中の結晶をポケットに隠した。
俺は、列の後ろのほうを見た。
うしろから三人目。
まっすぐな黒髪。
きれいに伸びた背中。
ほうきの持ち方だけが、昔のまんまで、ちょっとへたくそだ。
ハナだった。
面会日じゃない日に、ハナの顔を見るのは、初めてだった。
五年前までのハナは、うるさいくらいよくしゃべるガキだった。
俺が何か言うたびに、「うん」と返事をした。ただの「うん」じゃない。
胸を張って、ちょっとあごを上げて、「知ってたし」みたいな顔でする「うん」だ。
兄ちゃんより先にわかってたもんね、という「うん」
あの「うん」を、もう五年、聞いていない。
俺は、気づいたら、ハナの横を歩いていた。
清掃中のドールに話しかけちゃいけない、という決まりはない。
たぶん、そんなことをするやつがいないから、決まりがないだけだ。
「よう」
ハナは、ほうきを動かしたまま、前を見ていた。
「兄ちゃんさ、昨日、すげえことしたんだぞ。でっかい死語を叫んで、空の光を止めた。そんで、ぶっ倒れた」
ほうきが、石畳をこする。
「そんで、元治安官に褒められて、生き返った。……わけわかんねえだろ。兄ちゃんも、わかんねえ」
「はい」
いつもの「はい」だった。ほんの少しだけ、弾んで聞こえる、いつもの。
「〇・三半音」
すぐうしろで、シズカがささやいた。
いつの間について来たんだ、こいつ。
「君が話しかけると、やっぱり上がる」
「……測るな」
「測るよ。それが僕の仕事で、たぶん、僕の趣味だ」
ハナのほうきが、ふいに止まった。
足もとの石畳のすきまに、紫の結晶がひとつ、はさまっていた。
さっきまで、子どもたちが回していたやつだ。
誰かのポケットから、こぼれたらしい。
ハナは、ほうきを置いて、しゃがんだ。
結晶を、指でつまむ。
ほかのドールたちは、拾った結晶をすぐに袋に入れていた。
一秒もかけずに。
ハナだけが、手を止めていた。
二秒。三秒。
結晶を握ったまま、ハナは動かなかった。
結晶に触れると、残響が聞こえる。
その言葉が、かつて人間にどう使われていたか。
どんな気持ちで、叫ばれたか。
紫の結晶。ちょっと暗くなった、紫。
――チョベリバ。
五年前、俺が冗談で教えた言葉。
ハナから言葉を奪った、言葉。
「……ハナ」
声をかけようとした、その前だった。
「はい」
ハナが、言った。
俺は、何も訊いていなかった。
誰も、ハナに話しかけていなかった。
スピーカーも鳴っていない。
なのに、ハナは返事をした。
結晶を握ったまま、まっすぐ前を見て。
誰もいない空中に向かって、誰かの問いに答えるみたいに。
「……今の」
シズカが、メモ帳を持ったまま固まっていた。
「誰への、返事?」
わからない。
ただ、その「はい」は、いつものと違って聞こえた。
音程の話じゃない。
もっと、なんていうか――昔、ハナが俺に「うん」と言っていたときの、あの、ちょっと得意げな感じに、ほんの少しだけ、似ていた。
『清掃班、移動します』
スピーカーが鳴った。
ハナは立ち上がって、結晶を袋に入れた。
それから、ほうきを拾って、列に戻っていった。
いつもの顔で。いつもの歩幅で。
ただ、俺は見ていた。結晶を袋に入れたあと、ハナの右手が、ぎゅっと握られたままだったのを。
五年前、ハナは校正される直前に、何か言った。
俺には聞こえなかった、最後の一言。
今の「はい」は、もしかしたら、その続きなのかもしれなかった。
☆☆☆
その夜、家に戻ると、エルザが戸口で待っていた。
外に出るのは危ないからと、昼のあいだ、ずっと家にいたらしい。
「広場で、何かありましたか。顔が、いつもと違います」
「……妹に会った。清掃班にいた」
エルザの肩が、ほんの少しだけ、こわばった。
「……そうですか」
それだけ言って、エルザは目を伏せた。
その目が、一瞬だけ、部屋の隅の柱のほうへ流れたのを、俺は見ないふりをした。
床下から、缶を開ける音がした。
「三日後の夜、バザー、臨時で開くって」
カナが、床板の隙間から言った。
「結晶の量が多すぎるから、店を出す人が増えるって。……噂で聞いた」
「バザー、とは」
エルザが、鍋のかわりの空き缶で湯を沸かしながら首をかしげた。
結局、鍋は直らなかった。
「闇市だよ。地下の、マイクのない古い貯水場で、一晩だけ開く。結晶を売ったり買ったりする」
「市場経済の、非公式な形態ですね」
エルザは、少し考えた。
「同行します。この街の顔を、見に行くと決めましたので」
「私は行かない」
床下から、即答が返ってきた。
「用事がある」
「おまえ、バザーの日、いつもいねえよな。前は人混みが苦手とか言ってたろ」
「……それと、低血圧」
「夜だぞ」
床板が、ぱたんと閉まった。
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