↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/74

バグワード・バザー開店【前半】

朝、目を覚ますと、床の上で白衣が正座していた。


中身は、エルザ・ノルムだった。

カナの予備の白衣は、こいつには小さすぎる。

袖はひじまで、裾は膝の上までしかない。

それでも背筋だけは、上層区の朝礼みたいにまっすぐだった。


「おはようございます、灰村瓊心。現在時刻は午前六時二分です。あなたの起床は、予測より二分遅れました」


「……朝から採点すんな」


「訂正しま――」


言いかけて、エルザは口を閉じた。

訂正は、もう出てこないらしい。

かわりに、こほん、と小さく咳払いをした。


「失礼しました。おはようございます。以上です」


床下から、ごとん、と音がした。

床板が五センチだけ持ち上がって、隙間からクマのひどい目がのぞいた。


「……この人、二分前から起きてた。寝たふりして、その女の顔、見てた」


「見てねえよ!」


「見てた。私は、床下から全部見てる」


それはそれで問題だろ。


ただ、否定はしきれなかった。

寝起きのエルザは、銀髪のひと筋だけがぴょこんとはねていて、本人がそれに気づいていない。

完璧な女の、完璧じゃない一か所。

それが、なんというか、ものすごくよかった。


俺は、自分の癖が朝から元気なことを確認して、静かに絶望した。


「朝食は、私が用意します。居候の義務です」


エルザは立ち上がると、部屋の隅の拾い物のコンロに向かった。

へこんだ鍋に、米と水を入れる。動きに迷いがない。


「標準調理手順に従います。米一に対して、水一・二。加熱は強火で――」


「そのコンロ、強火しかねえぞ」


「問題ありません。手順どおりです」


五分後、部屋は黒い煙でいっぱいになった。


鍋の底で、米が炭になっていた。

エルザは、炭を見下ろしたまま動かなくなった。

手順どおりにやったのに、結果が予測と一致しない。

たぶん、こいつの人生で初めての経験だ。


白い頬が、じわじわと赤くなっていく。

唇がふるえる。

青い目に、なにか熱いものが込み上げてくる。


「……チョ」


あ、まずい。


「チョベリバ、です……!」


ぱきん。


鍋が、まっぷたつに割れた。


しばらく、誰も何も言わなかった。


「……鍋、それしかないのに」


床下から、カナの冷たい声がした。


「も、申し訳ありません。弁償します。私の所持金は、字に換算すると――」


エルザは、白衣のポケットを両手で探った。何も出てこなかった。


「……ゼロです」


真っ赤な顔で、割れた鍋を両手で持ったまま、エルザはうつむいた。


いい顔だった。


――いや、だから、そうじゃなくて。


そのとき、窓の外のスピーカーが鳴った。


『おはようございます。第七街区のみなさん。本日も、正しい言葉で、よい一日を』


いつもと、一字一句同じ放送だった。


昨日、この街の空で何が起きたのか、ひとことも触れない。

二百人に光を落としかけたことも、その光が言葉の雨に変わったことも、まるで最初からなかったみたいに。


「ロゴスは、自分の負けを記録しない」


床下で、カナが缶コーヒーを開けた。


「学習だけする。……再審査は、保留のまま。ラジオでも、何も言ってない」


何も言わないのが、いちばん気味が悪い。


「兄ちゃん!」


戸口が勢いよく開いて、タクトが飛びこんできた。


「広場! 来て! すげえの!」


☆☆☆


広場は、きらきらしていた。


大人たちが夜のうちにだいぶ拾ったはずなのに、石畳のすきまには、まだ結晶がいくらでも転がっていた。

朝の光を受けて、青や紫や赤がちかちかと光っている。


その真ん中で、子どもたちが輪になってしゃがんでいた。

十人くらい。

声は、ひとつも聞こえない。


「何してんだ、あれ」


「ざんきょう、あてっこ」


タクトが、小さな声で言った。


「ひとりが結晶をさわって、残響を聞いて、顔で気持ちをやる。

ほかのやつが、なんの言葉か当てる。当てるときは――」


タクトは、棒きれで地面をとんとんと叩いた。


「書くだけ。言っちゃだめ。ドローンが来たら、足で消す」


輪のはしで、ラジ爺が木箱に座っていた。地面に、指で大きく書いてある。


『しんぱん』


審判かよ。


輪の中の女の子が、紫の結晶を耳に当てた。

とたんに、顔がぎゅうっとしかめっつらになる。

この世の終わりみたいな顔だった。


子どもたちが、いっせいに棒きれを走らせた。

地面に、ふにゃふにゃのカタカナが並ぶ。


『チョベリバ』『チョベリバ』『ちょべりば』


ラジ爺が、指で丸を描いた。


次の男の子は、緑の結晶を握ったとたん、両手を突き上げて、目をきらきらさせた。

待ちに待った何かが、やっと来た顔だ。


『キタコレ』


丸。


その次の子は、青い結晶をさわったとたん、両手と両ひざを地面について、がっくりとうなだれた。


全員が、一秒で書いた。


『orz』


ラジ爺が、ものすごく大きな丸を描いた。


俺は、笑いそうになって、それから、笑えなくなった。


子どもが廃語を一つ口にしたら、五百の減点。即、校正。


五年前、ハナはそれで消えた。俺が冗談で教えた、たった一つの言葉で。


この中の誰か一人でも、うっかり声に出したら。


「おい、おまえら――」


止めようとした俺の足もとに、ラジ爺の指が先回りした。


『とめるな』


その下に、もう一行。


『はじめたのは おまえだ』


俺は、何も言えなくなった。


「興味深い」


背中で、聞き覚えのある声がした。


白鷺シズカが、輪の外にしゃがみこんで、子どもたちの手から手へ回っている紫の結晶を、じっと見ていた。


「あの結晶、昨日の夜より、光が少し暗い」


「……気のせいだろ」


「僕の目は、気のせいを言わない」


シズカは、メモ帳に何かを書きつけた。


「まだ仮説だけど。――同じ言葉を、たくさんの人が使うと、言葉は、何かを失うのかもしれない」


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。