↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/77

今がいちばんナウい【後半】

爺さんが、書いていた。

石畳の隙間に溜まった砂の上に、大きく、でかでかと。


『ケイ坊 あれだ』

その下に、もう一行。

『ナウい』


……は?

いや、待て。わかる。理屈は、わかる。


ナウい。

今風だ。イケてる。

昭和の若者が、新しい服や新しい店を見て、目をきらきらさせて言った言葉。

意味は「今っぽい」なのに、この街で、これほど古い言葉はない。意味が「新しい」と言い、言葉そのものが「古い」と言っている。

エルザの言った弱点に、ぴったりはまる。はまるけど。

「……これで、二百人、救うのか?」


声に出ていた。

爺さんは、真顔でうなずいた。

指が、さらに書き足す。

『さいごの さいごに つかえと いった やつ』

思い出した。


十一年前。この街に落ちてきたばかりで、誰とも口をきけなかった俺に、爺さんが毎朝、地面に変な字を書いてくれた。

おっはー。バッチグー。アッシー。

そのどれもが、くだらなくて、意味がわからなくて、でも見ていると少しだけ笑えた。


ある朝、爺さんは、いつもと違う顔で、ひと言だけ書いた。


『いまが いちばん ナウい』

それから、書き足した。

『おれの ラジオの しめの ことば。こんやが いちばん ナウい。あしたは もっと ナウい。さいごの さいごにしか つかうな』


八歳の俺は、地面を蹴って、その字を消した。

家をなくして、父さんがいなくなって、ゴミ溜めに落ちてきたばかりの朝だ。

今がいちばんいいなんて、そんなわけあるか、と思った。

それきり、十一年間、一度も口にしなかった。


『残り、百五十秒』

「……ナウい」

エルザが、俺の横で、砂の字を読んだ。

「記録があります。先日、波多野氏が、棒読みで『ナウなヤングにバカウケ』と発話し、百の減点を受けています。……けれど、本気の『ナウい』を、ロゴスはまだ一度も聞いていません」


あの日、爺さんは、タクトを守るために、自分の決まり文句を棒読みで差し出した。

三十八年間、胸の中にしまってきた言葉から、感情を全部抜いて、ただの音にして。


その言葉を、今度は、本気で言え、ってことか。

『残り、百二十秒』

俺は、立ち上がった。膝が笑っている。喉が焼けるみたいに痛い。でも、まだ声は出る。


「エルザ。タクトを頼む」

「……はい」

あいつの返事は、ロゴスの「はい」じゃなかった。

俺は、演台に駆け上がった。

広場の全員が見える。

二百人の顔。タクト。カナ。魚売りの婆さん。地面にかがみこんだまま、こっちを見上げている爺さん。

ジャージを羽織って、タクトを抱き寄せているエルザ。


『残り、六十秒』

問題が、ひとつあった。

死語は、本気で言わないと効かない。

ナウい、を本気で言う。

つまり、心の底から「今、これが、いちばんイケてる」と思わなきゃいけない。


空からは光が降ってくる。出口はドローンにふさがれている。

二百人が震えている。

俺は在庫切れで、拳から血が出ている。


これの、どこが、ナウいんだ。

――で、それのどこがエモいんだよ。

いつもの口癖が、頭の中で勝手に鳴った。


俺は、もう一度、広場を見た。

倒れた婆さんを、知らないおっさんが支えていた。

泣いている子の耳を、母親が両手でふさいでいた。

タクトが、エルザの腕の中で、歯を食いしばって泣くのをこらえていた。

カナが、屋台の陰で、空き缶を握りしめていた。

爺さんが、砂の字の前で、俺をまっすぐ見上げていた。

そして、エルザが――あの、一分の乱れもなかった女が、ほどけた髪のまま、俺から目をそらさずにいた。


誰も、声を出していない。

でも、誰ひとり、ひとりきりじゃなかった。

この街に落ちてきて十一年。

こんな広場は、一度も見たことがなかった。


……ああ、くそ。

爺さん。あんた、正しかったよ。


『残り、三十秒』

俺は、息を吸った。

「――ナウい」

広場が、凍りついた。


二百人が、いっせいに、ものすごく微妙な顔をした。この状況で? それ? という顔だった。

顔から火が出そうだった。

今すぐ演台から飛び降りて、排水路に一生こもりたかった。


でも、その恥ずかしさも、本物だった。

だから、止まらなかった。

「今! この広場が! いちばんナウいんだよぉぉぉッ!!」

虹色の文字が、俺の口から噴き上がった。

重くて、古くて、それなのに、今まで見たどの文字よりも、きらきらしていた。昭和の化石。

S級の言葉が、空に向かって、柱みたいにまっすぐ立ちのぼっていく。


『廃語を検知。意味――今風である。最新である。分類――現役語』

ロゴスの声が、答えを出しかけた。

『使用頻度――三十八年間、ゼロ。分類――廃語。……意味――最新。分類――現役語。使用頻度――ゼロ。分類――廃語。意味――』

ロゴスの声が、裏返った。


そのとき、誰かが、ぶふっ、と吹き出した。

魚売りの婆さんだった。

それが、合図になった。

隣のおっさんが、肩を震わせた。タクトが、泣き顔のまま笑い出した。

広場のあちこちで、声のない街の住人たちが、腹を抱えて笑いはじめた。


『笑声を検知。減点――処理――処理――分類――現役語――廃語――現役語――「今」とは――「今」を、再定義――』


空の声が、とんでもないことを言い出した。

『「今」を定義するため、全廃棄語彙を、再照合します』


空の白い光が、ぴたりと止まった。

それから、ゆっくりと、ほどけはじめた。

ロゴスが今まで捨ててきた言葉が、いっぺんに引っぱり出されて、空からこぼれ落ちてくる。

言葉の雨だった。


『残り……三秒……』

カウントは、そこで止まった。

出口をふさいでいたドローンが、一機、また一機と、石畳の上に落ちていった。

降下艇が大きく傾き、拡声器から、朱崎の舌打ちが聞こえた。

「……記録は、取った。次は、ないよ」

白い機体が、よろめきながら、上層区の空へ逃げていった。


「にいちゃーん!!」

広場じゅうに響く、九歳の、でっかい声だった。

誰かが手を叩いた。

笑い声が、拍手に変わった。

ロゴスの思考が止まっている今だけは、笑っても、叫んでも、誰も減点されない。バザーの地下でしか聞けなかったはずの音が、今、地上で鳴っていた。


――よかった。


そう思った瞬間、足から、力が抜けた。

体の中の言葉を、根こそぎ吐き出したみたいだった。演台の上で、世界がぐらりと傾く。

落ちる、と思ったら、誰かに受け止められた。

ジャージの胸に、金色の刺繍が見えた。

「灰村、瓊心」

エルザの声が、遠くで聞こえた。

「目を、開けてください。……お願いです」

あいつの声は、半音どころじゃなく、震えていた。

その顔が見たかった。全部見たいと言ったくせに、まぶたが、どうしても上がらなかった。


遠い空の上で、止まったはずのロゴスの声が、かすかにつぶやいた。

『……学習、完了。この言葉は……二度と……』

そこで、俺の意識は、言葉の雨の中に沈んでいった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

よろしければ、ブックマークや評価で応援していただけると、とても励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。