止まらない言葉【後半】
結局、面会時間が終わるまで、シズカの質問は止まらなかった。
「超MMは?」「マジで無理の頭文字。超がつく」「頭文字! 音を捨てて字だけを残したのか!」「キタコレは?」「二〇〇〇年代。待ってたものが来たときの声だ」「待っていたものが来たとき……ノルム先輩が訳せなかったやつだね」
それから、シズカは、ふと真顔になって訊いた。
「君の名前。灰村、の次の字。それも、捨てられた字だよね。語源は?」
「……瓊。赤くて、きれいな玉のことだ。親父がつけた。俺が生まれたあとで、ロゴスがその字を捨てた」
シズカは、しばらく黙った。
「先輩も、保管庫で同じ字を調べてたよ」
「……あいつが?」
「業務上の必要だって。でも、検索記録の時刻は、夜中の二時だった」
夜中の二時。五時ぴったりに起きる女が。
あの朝、「灰村、瓊心」と、一文字も間違えずに呼ばれたときのことを思い出した。
端末が文字化けさせる字を、あいつは、わざわざ夜中に調べて、覚えてきたのだ。
胸のどこかが、変な音を立てた。
昨日の広場のぞくっとした感じとは、ぜんぜん違う音だった。
気づくと、保管所の出口まで来ていた。
俺は足を止めた。シズカは、俺の三歩うしろで立ち止まって、首をかしげた。
「先輩のこと、知りたい?」
「……別に」
「顔に、知りたいって書いてある」
「書いてねえよ」
「書いてあるよ。僕は解析が専門だから」
シズカは、薄い端末をくるくる指で回した。
「ノルム先輩、今朝から変なんだ。起床が二分早くて、髪をまとめるのに四十六秒かかった。廊下で、壁に手をついていた。報告書が、一行目で止まっている」
「……なんで、そんなことまで知ってんだよ」
「僕は、君を解析している。君を解析するには、君に負けた人も解析しないとね」
それから、シズカは、少しだけ声を落とした。
「先輩は、君のせいで、壊れかけてる」
腹の底が、冷えた。
広場で真っ赤になっていた顔。
あの顔を、もっと見たいと思った。
思ってしまった。
その裏で、あいつは今朝、壁に手をついていた。
「……壊すつもりは、なかった」
「知ってるよ。君は、そういう人じゃない。データでも、そう出てる」
シズカは、あっさり言った。
「でも、壊れかけた先輩を、明後日の再審査の指揮官にした人がいる」
「……は?」
「まだ公式の発表前だ。今夜、放送がある。指揮官は、エルザ・ノルム一等治安官」
俺は、言葉を失った。
あいつが。あの状態で。
第七街区の全員を、審査する。
タクトも、ラジ爺も、魚売りの婆さんも。
「それは、罠だ」
シズカは、静かに言った。
「君が来るのを、みんな知ってる。君が、先輩の前に立つのを、待ってる人がいる」
「赤ペンか」
「名前は言わないよ。僕の解析範囲の外だ」
そこで、シズカは、思い出したように、背負っていた鞄を開けた。
「あ、それと、これ。預かりもの」
差し出されたのは、きれいにたたまれた布だった。
俺のジャージだった。
洗ってある。
アイロンまでかかっている。
ほのかに、花みたいなにおいがする。そして、胸のところに、金色の糸で、でかでかと刺繍が入っていた。
『綺羅星』
「……なんだこれ」
「綺羅星さんから。僕と同期なんだ。『自分では渡しに行けないから』って、ものすごく早口で頼まれた。刺繍は、お礼のつもりらしい」
「いらねえよ、このお礼!」
「似合うと思うけどな。データ的に」
俺は、骨格標本の白衣を脱いで、ジャージに袖を通した。
三日ぶりの、自分の服だった。
胸の金色の刺繍だけが、ものすごく恥ずかしい。
シズカは、それを見て満足そうにうなずくと、くるりと背を向けた。
「また来るよ。君には、まだ聞きたい語源が、三百くらいある」
「三百も持ってねえよ」
「じゃあ、拾ってきて。待ってる」
上層区のボクっ娘は、手をひらひら振って、北の通りに消えていった。
☆☆☆
その夜、下層区じゅうのスピーカーが鳴った。
『通達。明後日実施の第七街区一斉言語再審査について、指揮官を通知します』
床下で、カナがラジオのつまみを止めた。爺さんが、床に座ったまま顔を上げた。
『指揮官は、一等治安官、エルザ・ノルム。以上』
放送が切れた。
部屋の中が、しんと静かになった。
床板が持ち上がって、カナが顔を出した。
「……もうひとつ、聞こえた」
「何がだ」
「ロゴスの中の、内部連絡。『誤検知の多発について、監査を開始する』。――足が、ついた」
カナの声は、いつもと同じだった。でも、缶を持つ指が、少しだけ白くなっていた。
「おまえ、大丈夫なのか」
「すぐには、来ない。監査は、記録を一件ずつ洗っていくから、時間がかかる。でも、再審査の日に裏口を使ったら、たぶん、その場で見つかる」
つまり、明後日、カナの裏口は使えない。誰かの減点を、なかったことにする手は、もうない。
爺さんが、床のほこりに指で書いた。
『ケイ坊 どうする』
俺は、ジャージの胸の、金色の刺繍を握りしめた。
タクト。爺さん。魚売りの婆さん。カナ。
それから、今もどこかで、壁に手をついているかもしれない、あいつ。
「全部、守る」
声に出すと、思ったより、ちゃんとした声だった。
「再審査まで、あと二日だ」
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