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バグワード・バザー〜死語しか使えない底辺の俺が、完璧な管理都市をチョベリバにしてやる〜  作者: 則本潮


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チョベリグは褒め言葉【後半】

『なお、対象、波多野に告げます。校正後は、心穏やかに過ごせます。もう、言葉に苦しむことはありません』


ドローンの声は、どこまでも優しかった。


その優しさに、腹の底で、何かがぷつんと切れた。


心穏やかに。言葉に苦しむことはない。


あの爺さんは、三十八年、しゃべらずに生きてきた。

古い言葉がこぼれないように、口を閉じて、地面にだけ字を書いて。

それでも、ガキどもに言葉を教えるのをやめなかった。

それを、苦しみだと?


「超、マジ、ムカつく……!」


紫の文字が、口からあふれた。

さっきのチョベリバより、ひとまわり太い。


怒りが、一段、上がった。


「激おこ、ぷんぷん丸ッ!」


赤い文字が、紫に重なった。

二段目。文字が、膨らんでいく。


まだだ。まだ足りない。


「ムカ着火、ファイヤーッ!!」


文字が、燃えた。


赤い字の縁から、本物の炎みたいな光が噴き出した。

三段目。火の粉みたいな文字の切れ端が、俺のまわりでぱちぱち弾けている。


「ケイシン、これ……」


背中で、カナが息をのんだ。


怒りを、怒りで重ねる。

一段ごとに、言葉が強くなる。

五年間、腹の底に溜めこんで、一度も口に出さなかった全部が、今、順番に階段を上がってくる。


「カム着火――」


腹が、焼けるみたいに熱い。


「インフェルノォォォォウッ!!」


炎の文字の渦が、空に向かって噴き上がった。


三機のドローンを、まとめて飲みこむ。

装甲がきしむ音。

アームの関節が、一本、また一本と、火花を散らして外れていく。


『護送機、損傷――移送、継続、不能――』


爺さんの体が、空中でアームから外れた。


落ちる。


俺は斜面を蹴って飛びこんだ。

下は、古いクッションの山だった。

俺は背中のカナごと、爺さんを受け止めて、三人まとめてクッションの中に転がりこんだ。


「……っ、生きてるか、爺さん!」


爺さんは目を白黒させて、それから、震える指で、俺の胸を軽く叩いた。


生きてる。


喉の奥に、まだ何かが詰まっていた。

四段目の、もう一つ上。

もっと大きくて、もっと長い、最後の怒り。


でも、それは出てこなかった。喉の手前で、熱いまま止まっている。


――まだ、届かない。


「書き換える」


カナが、俺の背中から滑り降りて、古い端末を叩いた。

指が、ものすごい速さで動く。


空から、鈴の声がした。


『対象、波多野の減点を、誤検知と判定。スコアを、四十一に復元します』


壊れかけたドローンが、ふらふらと離れていった。


「昨日と今日、二日つづけて使った。そろそろ、足がつくかも」


カナが、端末をしまいながら小さく言った。


新しい言葉を叫ぶたびに再特定が入って、カウントは少しずつ延びていた。

それでも、もう長くはない。


『粛清まで、残り、九十秒』


光は、まだ止まらない。


「走るぞ!」


俺は爺さんを背負い、カナの手を引いた。カナがもう片方の手で、白衣のポケットから空き缶を放り投げる。

ぷしゅっと、白い煙が斜面に広がった。


「あと、六本」


「わかってる!」


煙の中を抜けて、斜面を転がるように下りる。

錆びた格子の蓋を蹴り上げて、三人で排水路に飛びこんだ。


数十秒後、頭の上で、世界が真っ白に光った。


光が落ちたのは、誰もいなくなったゴミ山の上だった。


☆☆☆


その夜、爺さんは俺の家で寝た。


路地のバラックには、まだ事前聴取のドローンがうろついている。

俺の家なら、マイクが拾わない。

タクトは、家に帰るまで爺さんにしがみついて離れなかった。


床の上に座った爺さんは、ずいぶん小さく見えた。

顔が灰色だった。

七十二歳の体で、ドローンに吊られて空を飛んだのだ。

無理もない。


俺は、爺さんの前にあぐらをかいた。


「爺さん。あんたが教えてくれた言葉で、今日、あんたを助けた」


爺さんは、ぼんやりと俺を見た。


「激おこも、ムカ着火も、全部、あんたが地面に書いて教えてくれたやつだ。十一年前、この街に落ちてきたばかりで、誰とも口をきけなかった俺に、毎朝、地面に変な字を書いてくれたのも、あんたなんだ」


腹の底が、熱くなった。

今朝とは全然違う。

言葉が、勝手にせり上がってくる。


「あんたの教え方は、最高だった。――チョベリグだ」


金色の文字が、ふわりと口からこぼれた。


文字は、爺さんの胸にすうっと吸いこまれていった。灰色だった頬に、ゆっくりと血の色が戻ってくる。


チョベリグ。超ベリーグッド。

褒め言葉は、相手を元気にする。


爺さんは、しばらく自分の手のひらを見つめていた。

それから、床のほこりに、指でゆっくりと字を書いた。


『ほめことばを つかえるやつは つよい』


その下に、もう一行。


『むかし おなじことを いったやつが』


そこで、指が止まった。


爺さんは、しばらくその字を見つめてから、手のひらで、全部かき消した。


「おい、続きは」


爺さんは答えずに、ごろんと横になって、俺に背中を向けた。わざとらしいいびきが聞こえてきた。


「……ったく」


床板が、そっと持ち上がった。


カナが、顔の上半分だけ出して、こっちを見ていた。


「爺さんには、言えた」


「……ああ」


俺は、床板の前にしゃがみこんだ。


今日、こいつがいなかったら、爺さんは今ごろ校正所にいた。

俺の背中で、息を切らしながら、ものすごい速さで端末を叩いていた、小さな手を思い出す。


照れくさい。でも、照れも、本物の感情だ。


「カナ。今日は、おまえがいてくれて、助かった。――チョベリグだ」


金色の文字が、ぽろりとこぼれた。

今日二回目だから、さっきより、少しだけ細い。


それでも、文字はちゃんと、カナの額にこつんと当たった。


カナは、目をまんまるにした。


それから、ものすごい勢いで、床下に潜っていった。

床板が、ばたんと閉まった。


「おい」


返事はない。


しばらくして、床板の隙間から、くぐもった声がした。


「……半分しか、効いてない」


「十分だろ」


「……もう一回」


「今日はもう出ねえよ」


床下で、缶を開ける音がした。

いつもより、ずいぶん長いあいだ、静かだった。


再審査まで、あと四日。


今夜は、少しだけ、よく眠れそうだった。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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