モーレツですわー!【中盤】
言葉の雨から四日たつと、排水路の底に宝が溜まる。
雨で降った結晶のうち、ゴミ山に引っかからなかったぶんは、少しずつ水に流されて、ここに集まってくるのだ。
たいていはただの誤字のかけらだが、たまに、ちゃんとした死語の結晶がまじっている。
「再審査まで、あと五日」
俺は膝まで水につかりながら、懐中電灯で足もとを照らした。
「あの治安官に訳されない言葉を、一個でも多く拾っとかねえと」
「がんばって」
背中から、気の抜けた声がした。
振り返ると、排水路の段差に、カナがちょこんと座っていた。
白衣の裾が濡れないように、膝を抱えている。
手には、もちろん缶コーヒー。
「……なんでいるんだよ」
「見張り」
「手伝えよ」
「水、冷たいから、やだ」
「じゃあ帰れよ」
「やだ」
四日間の共同生活で学んだ。
こいつに何を言っても無駄だ。
俺はため息をついて、水の中に手を突っこんだ。
指先に、硬いものが当たる。引き上げると、手のひらの上で、緑色の結晶がぼんやり光った。
触れると、残響が鳴った。
――キタ、コレ!
どこかの誰かが、待ちに待った何かを手に入れた瞬間の声だった。
うれしくて、うれしくて、思わず叫んでしまった、という声。
「キタコレ。二〇〇〇年代か」
いい拾い物だ。俺は結晶を、腰の布袋に放りこんだ。
そのときだった。
排水路の奥が、真昼みたいに明るくなった。
「おーっほっほっほ!」
高笑いが、トンネルの中で何重にも跳ね返った。
三回目の練習の成果だということを、俺はまだ知らない。
光の中から現れたのは、ひとりの女だった。
白と金の、やたらとひらひらしたスーツ。
体の線にぴったり張りついた生地が、腰のくびれと、やたらと主張の強い胸もとを、これでもかと強調している。肩にも腰にもリボンがついていて、その一本一本が、ランプみたいに光っていた。
くるくる巻いた金色の髪が、歩くたびに揺れる。
「見つけましたわよ、廃語の男!」
女は、びしっと俺を指さした。
「綺羅星家が三女、治安官・綺羅星ミヤビ! あなたを捕まえに参りましたわ!」
「……誰だよ」
「今、名乗りましたわよね!?」
俺は、ちらりと後ろを見た。
カナの姿は、いつの間にか消えていた。
逃げ足だけは速い。
「上層区の人間が、こんなドブの中まで、ご苦労さんだな」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「褒めてねえよ」
軽口をたたきながら、俺は頭を回した。
ここには、マイクがない。
だから、本気の死語を叫んでも、粛清の光は落ちてこない。
そのかわり、助けも来ない。
「先手必勝ってな」
腹の底に、イラ立ちを集める。
いきなり人の仕事場に乗りこんできて、高笑いしやがって。最悪だ。
「チョベリバッ!!」
青い文字が、俺の口から飛び出した。
その瞬間、女のスーツの胸もとで、小さな音声が鳴った。
『検出語、チョベリバ。超、ベリー、バッド。標準語訳――「非常に悪い」』
青い文字は、女の目の前で、霧みたいに消えた。
「……は?」
「おーっほっほ! 無駄ですわ!」
ミヤビは、得意げに胸を張った。
張った胸もとで、リボンがぷるんと弾んだ。
「このスーツには、エルザ様の事案記録をまるごと読みこませてありますの。あなたが使った廃語は、ぜーんぶ、自動で訂正されますわ!」
「あの治安官の、真似っこかよ……! ――マジ卍!」
『検出語、マジ卍。感情強度、基準値未満。訂正の必要なし』
機械にまで言われた。
「超MM!」
『検出語、超MM。超、マジで、無理。標準語訳――「極めて困難」』
全部、消された。
エルザのときと同じだ。
いや、エルザより厄介かもしれない。
あいつはまだ、自分の頭で訳していた。
こっちは機械だから、迷いもしないし、疲れもしない。
「お次はわたくしの番ですわね。――拘束帯、射出!」
スーツのリボンが、生き物みたいにほどけて飛んできた。
一本目が俺の腕に巻きつく。
二本目が胴に巻きつく。
三本目が――。
三本目は、なぜか、くるりと向きを変えて、持ち主の腰に巻きついた。
「えっ」
「は?」
リボンが、しゅるしゅると縮んだ。
俺とお嬢様は、向かい合ったまま、ものすごい勢いで引き寄せられた。
ばっしゃーん。
二人いっしょに、水の中にひっくり返った。
⭐︎⭐︎⭐︎
最初に感じたのは、やわらかさだった。
顔が、何か、ものすごくやわらかくて、あたたかくて、いい匂いのするものに埋まっていた。
濡れたスーツの生地ごしでも、はっきりわかる弾力。上下から、むにゅっと押しつぶされている。
息ができない。
いや、息ができないのは、水のせいじゃなかった。
「……ど、ど、どこに顔をうずめていらっしゃいますのーーっ!?」
頭の上から、悲鳴が降ってきた。
「ぶはっ! おまえのリボンが勝手に!」
「わたくしのリボンは、勝手なことなどいたしませんわ!」
「現にしてんだろ!」
リボンは、俺たち二人をまとめて、ぐるぐる巻きにしていた。動けば動くほど、締まる。
もがいたミヤビの太ももが、俺の脚のあいだにはさまって、さらに身動きが取れなくなった。
濡れた白と金の生地は、水を吸って、体の線にもう一段ぴったりと張りついている。
「う、動かないでくださいまし! いろいろと、当たっておりますわ!」
「動いてねえ! おまえが動いてんだ!」
「わたくしも動いておりませんわ! ……あっ、だめ、そこで息をなさらないでっ!」
「息しなきゃ死ぬだろ!」
排水路の段差の陰から、ぼそっと声がした。
「……鼻の下、伸びてる」
カナだった。逃げたんじゃなかったのか。
「伸びてねえ!」
「三センチ」
「測るな!!」
「か、解除! 拘束帯、わたくしだけ解除っ!」
ミヤビの叫びに、腰のリボンだけが、しゅるっとほどけた。
ミヤビは、ばしゃばしゃと水をはね上げて俺から離れ、胸もとを両腕で抱えて、肩で息をした。
顔が、耳まで真っ赤だった。
俺は、ぐるぐる巻きのまま、水の中に取り残された。
「お、おーっほっほっほ! つ、捕まえましたわ!」
声が、裏返っていた。
腰の布袋の中で、さっきの緑の結晶が、まだ熱を持っている。
――キタコレ。
事案記録に載っているのは、これまで俺が使った言葉だけだ。
じゃあ、まだ一度も使っていない言葉なら。
もっとも、ぐるぐる巻きのままでは、うれしくても叫べない。
今の俺には、うれしいことなんて、ひとつもない。
「さあ、参りますわよ」
ミヤビは、俺を縛ったリボンの端をつかんで、ぐいっと引っぱった。
俺の体は、一ミリも動かなかった。
「……あら?」
ぐいっ。
動かない。
「お、重いですわ……! あなた、いったい何を食べていらっしゃるの!?」
「誤字の佃煮」
「何ですのそれ!?」
ここには、ドローンが入ってこられない。
運び役を呼ぼうにも、通信が届かない。
手柄をひとりじめするために、たったひとりで乗りこんできたお嬢様は、自分の腕力だけで、濡れた大の男を地上まで引きずっていかなければならないのだった。
地上の出口まで、ざっと三百メートル。この調子なら、着くのは明日の朝だ。
……いや、笑ってる場合じゃない。こいつが地上に出て、通信がつながった瞬間、俺は終わりだ。
「くっ……このくらい……綺羅星の名にかけて……!」
ミヤビは、歯を食いしばってリボンを引いた。白と金のスーツは泥はねだらけで、くるくる巻いた髪は、トンネルの湿気でしなびかけている。
「……なあ。なんで、ひとりで来たんだよ」
「決まっていますわ。手柄を、ひとりじめするためです」
ずるっ。俺の体が、ようやく五センチ動いた。
「わたくしには、お姉さまが二人おりますの。二人とも、スコアは九百九十台。わたくしは、九百三十一」
「十分すげえだろ」
「すごくありませんわ。綺羅星の家では、九百五十を切る娘は、いないのと同じですの」
ずるっ。また五センチ。
「だから、あのエルザ・ノルムが逃がした獲物を、わたくしが捕まえるのです。そうしたら、きっと――」
ミヤビは、そこで言葉を切った。
その先は、言わなくてもわかった。
俺にも、昔、似たような顔で振り返ったやつがいた。にいちゃんに褒めてほしくて、とびきりの言葉を言おうとした、あいつ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
これも書き直しました。
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