95.作戦方針
ヌム、ヒルダ、ディアたちは、誰も迷宮城攻略の専門家ではない。熟練しているとも、精通しているとも言えなかった。
それでも一つだけは分かる。
アドルフの計画は実行可能性が高そうに見える一方で、莫大な時間と費用を必要とする。生体迷宮の攻略に正式な記録が残されるようになってから、すでに百年以上が経っていることを見れば明らかだった。
だが、それが悪いことだとも言い切れない。
魔王とその部族が蒼藍帝国の辺境に潜んでいるとはいえ、現在のテレサ世界では大変革による制約を受けている。そのため、相手が一斉に外へ溢れ出し、大規模で壊滅的な侵略を引き起こすことまで心配する必要はなかった。
むしろ、絶えず生み出される魔獣や邪悪体の素材、そして迷宮城の資源には、非常に大きな利益がある。
攻略期間中も利益を循環させることができ、蒼藍帝国にとっては大量の人材を呼び込むことにも繋がる。さらに、それを利用して皇家冒険団を新たに鍛え直すこともでき、将来ほかの方面で領地を開拓する際にも役立つ。
ただし、それは新たに現れた人の魔王が、ほかの意図を持っていないことが前提だった。
利益が損失を上回る。
それこそが、蒼藍帝国の望む結果だ。
以前ヴィンセントが密かに野営地へ戻り、情報を探っていたことからも分かるように、彼には人間に変装し、外の環境へ適応する能力がある。
もしヴィンセント、あるいはエリカやドロシーが蒼藍帝国へ手を出すつもりなら、防ぎようがない。これは放置できない懸念だった。
そうでなければ、バランドの大人たちも安心して眠れない。
そして、それこそが女王が円卓会議の決定を認めた直後、ディアを連合作戦の支援へ送り込んだ理由でもある。
少なくとも、人の魔王を死亡峡谷にしっかりと釘付けにし、蒼藍帝国領内を自由に出歩けないようにする必要があった。
ただ、女王から大役を任されたディア自身もよく分かっている。
ここにいる出席者たちが、自分と同じ視点から帝国のために考えてくれるはずはない。ならば、できる限り自分たちに有利な方向へ導くしかなかった。
「アドルフ支部長の方法は非常に良いと思います。ただ、一つ重要な点を考えなければなりません。噂にいう人の魔王が誰を指しているのかは、まだ分かっていません」
「しかし、ほかの魔王と明らかに違うのは、相手がかつて人間だっただけでなく、人間に偽装することもできるということです。外の環境も、人の魔王にとってはほとんど障害にならない」
「血族には恐るべき天賦『隠匿』まであります。このように少しずつ前線を進める方法は、かえって相手に侵入する時間を与えることになりませんか?」
それを聞き、アドルフの表情も真剣なものへ変わった。
頷きながら答える。
「確かに、人の魔王について分からないことが多すぎるのは、大きな懸念だ。遊騎兵ギルドに残っている、彼らが冒険者だったころの資料を見る限り、ヴィンセントには目立った問題はないように見える。だが、エリカとドロシーは二人とも危険人物と言っていい。警戒は必要だろう」
その時、ヒルダが突然疑問を口にした。
眼鏡の奥の瞳を輝かせ、何か重要な点に気づいたように発言する。
「一つ提案があるのだけれど。相手がもともと人間だったのなら、どうして和平交渉を考えないの? もしかしたら私たちは――」
「絶対に認められません!」
「受け入れられない!」
「現実的な方法ではありません」
三つの断固とした拒絶が立て続けに響き、出席者全員の視線を集めた。
三つの声は、それぞれディア、シンシア、アドルフから発せられたものだった。
知性種族と悪魔種族は、前の時代から続く生死を懸けた敵同士だ。互いに狩り、殺し合う関係はすでに千年以上に及び、感情の面でも、本能の面でも、双方が平和に共存することは難しい。
そして別の面から見ても、和平という案が実現可能かどうか以前に、蒼藍帝国にはほとんど利益がない。壊死の大地は、死亡峡谷だけでなく周辺一帯の土地まで相手の領域として認めなければならなくなる可能性がある。
さらに、ようやく発展し始めた希望町も大きな魅力を一つ失い、それでいて相手が約束を破らないよう、常に大軍を置いて警戒し続けなければならない。
害ばかり多く、得られるものは少なかった。
危険が鋼鉄の玉座や循律の塔のすぐそばにあるわけではない以上、魔法使いであるヒルダがそこまで考えないのも当然だった。
だから蒼藍帝国としては、今の連合作戦を利用し、できる限り死亡峡谷を攻略、あるいは圧迫しておいた方がいい。
成功すれば最善。
成功できなくとも、少なくとも状況を把握できる。その後で人の魔王への対策を考え、希望町を湖水城のような、迷宮城攻略の最前線となる冒険都市へ発展させればいい。
それこそが、蒼藍帝国自身の利益を最大化する方法だった。
シンシアの場合はもっと単純だった。
老バダのためにここへ来た彼女は、真相を探る機会を失いたくない。
そして長年、各地の迷宮城へ深く入り込んできた冒険者として、あの邪悪で恐ろしい悪魔たちとどうやって平和に暮らせというのか、どうしても想像できなかった。
一方、アドルフにはまた別の考えがある。
遊騎兵ギルドは、竜と飛鳴の地を除く四大国に広く根を張る巨大組織だ。
その支部長である彼からすれば、悪魔種族との和平など、現在の常識をあまりにも根本から覆す考えだった。
そもそも今の複数国家、複数勢力による団結と協力は、悪魔種族をはじめとする危険な存在が外敵として存在するからこそ成り立っている。
もし外からの脅威が一つずつ消えていけば、五大国は開拓と発展のため、再び血染めの薔薇事件のような争いを起こすかもしれない。
そうなれば、シロ大陸は再び終わりの見えない戦火へ沈む可能性がある。
どの時代にも、薔薇小隊のような存在が現れてくれるとは限らない。
さらに言えば、この方法は遊騎兵ギルドと人亜連合にとっても、明らかに問題が多かった。迷宮城も悪魔種族も存在しなくなれば、大量の強力な冒険者や傭兵団は、むしろ不安定要素へ変わる。
未知の辺境を探索し、開拓するだけでは彼らを満足させられない。
やがて野盗のような厄介な存在へ転じる可能性すらある。
彼らにとっては、害ばかりで利点がなかった。
出席者たちがそれぞれ思いを巡らせ、会議の空気が再び冷え込んでいく。
ヌムも、自分から提案したヒルダをあまり気まずい立場にしたくなかったのか、そこで口を開いた。
「正面から攻略する方法は決まった。悪魔と妥協できないというなら、ほかに何か補足できる案はないか?」
その問いによって、場はさらに静まり返った。
魔王とその部族がそれほど簡単に対処できるのなら、知性種族は今まで三大迷宮城を攻略できずにいるはずがない。
実際、三大魔王の真の姿については、古い文献と口伝にしか残っていない。
近代になってから、実際に彼らを目にした者など誰もおらず、守護者ですら滅多に遭遇できない。伝説に語られる三つの迷宮城は、それほどまでに広大で、攻略困難な場所だった。
連合作戦の会議がそこで完全に行き詰まりそうになると、最後はやはり、物事の取りまとめに慣れたアドルフが場を収めた。
各方面の意見を簡単に整理したうえで口を開く。
「人の魔王は、この時代になって新たに現れた魔王だ。行動の傾向も予測できない。今のところは一歩ずつ探りながら、従来の方法でできる限り備えを固めるしかないだろう。その後は……状況に合わせて少しずつ改めていけばいい」
もちろん、この場にいる者は全員分かっている。
その「改める」ための代償は、人命だ。
「正面からの探索は、これまで通り槍と剣と火の分隊に任せる。私は輪と足跡商会へ連絡し、後方支援の準備を整えよう。ほかの冒険者にも可能な限り支援へ回ってもらう。シンシア隊長、必要なものがあれば直接私に知らせてくれ」
「循律の塔には、魔法使いの派遣をお願いしたい。新しく開発した魔導製品の中に役立つものがあるなら、出し惜しみもなしで頼む」
「鋼鉄の玉座は我々の切り札だ。人の魔王が現れるか、大量の守衛が再び暴走した時こそ、このククリ号の出番になる。この配置でどうだろう?」
「賛成だ」
「それでいい」
「異議はありません」
次々と同意の声が上がった。
ほかにもっと適した方法がないか、誰もが考えていた。だが結局、まず試し、情報を得なければ状況を掴めない。
必要な犠牲についても、各方面すでに覚悟している。
だからこそ、出席者たちは次々と賛成へ回った。
その様子を見て、アドルフは笑みを浮かべる。そして、少し空気を和らげるような軽い口調で付け加えた。
「皆さん、もしかすると我々が心配しすぎているだけで、攻略は案外順調に進むかもしれませんよ」
「人の魔王も、ほかの三人の魔王と同じく簡単には姿を現さない可能性があります。今はもう混沌時代ではありませんし、我々の知らないところで、相手も何らかの制約を受けているかもしれません」
出席者たちは皆、薄く笑みを返した。
専門家であるかどうかにかかわらず、迷宮城の攻略がそんなに簡単なものではないことくらい、誰もが知っていたからだ。
大まかな方針が決まれば、あとは細部を詰めるだけだった。
飛空艇の大会議室では、その夜、夜明けまで灯りが消えることはなかった。
翌日。
光神が姿を現し、分け隔てなく大地を照らす。
暖かな光は希望町から壊死の大地を越え、死亡峡谷まで降り注いでいた。
エルフたちの領域から外へ出ると、峡谷の間へ張り出した岩の足場に、短髪の元気な女エルフが姿を現した。
大きく伸びをしながら、久しぶりに感じる朝の暖かな光を浴びる。
飼育の刻印を受けてからというもの、彼らは食事や運動、日光浴といった日常的な行為によって身体機能を維持する必要がなくなっている。
それでもアリソンは、習慣として今もこうした時間を楽しむのが好きだった。
「ふぁあ……また一日が始まった。今日は外へ出させてもらえるかな。今回はちゃんと、エリカ様のために秘密道具も用意してあるし……」
軽く身体をほぐしながら、無意識に独り言を漏らす。
一息つくと、徐々にいつもの活気が戻ってきた。アリソンはその場で何度か弾むように身体を動かし、空へ向かって長い口笛を吹く。
ほどなくして、一頭の巨大な鎌蜘蛛が姿を現した。山壁から跳び下り、岩の足場へ腹這いになる。
背中にある二本の鎌状の腕を興奮したように振り、早く乗れとでも言うように彼女を急かしていた。
「よしっ!」
わざわざ気合いを入れ、儀式めいた雰囲気まで作ったアリソンは、両脚で地面を蹴って高く跳び上がる。空中で鮮やかに身体を回転させ、そのまま鎌蜘蛛の背中へ飛び乗った。
両手で鎌状の腕につかまると、エルフと蜘蛛はそのまま岩の足場を飛び出し、底の見えない深淵へと身を躍らせた。
「よーっほー!」
澄んだ声が峡谷中へ響き渡り、まるであらゆる生命に一日の始まりを告げているかのようだった。
宙を舞う鎌蜘蛛は白い糸を噴き出し、左右の山壁へ次々と貼りつける。背中の元気なエルフを乗せたまま、深淵の上を凄まじい速度で左右に大きく振れながら駆け抜けていった。
気ままで、しかも無茶な移動方法だ。
山壁の間でひそかに見張りについていたエルフの戦士たちは、何人も呆れたように首を振る。
空を往復して巡回していた堕天使たちの中には、自分のすぐ脇を高速で振り抜けていった危険人物を、目を見開いて追う者までいた。
だが当のアリソンは、仲間たちの反応などまるで気づいていない。
鎌蜘蛛の跳躍を利用した移動のおかげで、ほどなく第十層から死亡峡谷入口にある地上の宮殿へ到着した。
周囲を見回し、やがて見慣れた老人の姿を見つける。
「やあ、老バダ! 今日はどう? 最近、こっそり入り込んでくる冒険者が増えたみたいだね。そのせいで私までこんな朝早くから一緒に罠を直さなきゃいけないんだよ。エリカ様がどうして侵入者をあんなに嫌うのか、ようやく分かった。ほんと、嫌な連中だよね……」
ぶつぶつと話し続け、文句を言っている時でさえ、アリソンは朝から元気そのものだった。
その隣では、老いた冒険者が大きな岩に腰を下ろし、黙々と罠の修復へ集中している。
元気いっぱいのエルフとは対照的に、その姿はひどく陰気で寡黙だった。
だが、どれほど孤独を好む者でも、アリソンの熱意を延々と浴び続ければ耐えきれない。
ついに小言を聞くのが嫌になったのか、老バダは顔を上げた。
異様なほど青白い老いた顔には生気がなく、無表情のまま、各所に残る作動済みの罠を適当に指差す。
「そこだ。さっさと直してこい」




