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91.飛空艇

 青い空に白い雲が浮かび、暖かな風が吹いていた。


 丘陵の上から見渡せば、賑わう希望町も、殺気立つ死亡峡谷も一望できる。だがディアは、内心うんざりしていた。やたらと愛想のいいカイエルが、どうでもいい話を延々と続け、いつまで経っても彼を帰そうとしないのだ。


 ようやく相手が喉の渇きを覚えたのか話を止めると、ディアはそこで初めて、長年にわたり殲滅騎士団を率いて各地を駆け回ってきた団長をじっくりと観察した。


 ふわりとした茶髪に、角張った顔立ち。顔中を覆う濃い髭。四十歳ほどに見える大柄な男で、なぜかいつも豪快に笑っている。見るからに気さくで付き合いやすそうな人物だった。


 だが、ディアは他の監察使仲間から聞いている。


 この男は、見た目ほど単純ではない。


「カイエル団長、もう世間話は結構です。あなたの仕事を邪魔するつもりもありません。貴団の監察使を呼んでください。私は今回戻ってきた以上、一刻も早く連合作戦の状況を把握しなければなりません。女王陛下の命令を遅らせるわけにはいかない」


 最後の一言だけ、ディアは特に強く口にして相手を牽制した。


 それを聞いたカイエルは、あれほど愛想よく笑っていた顔を一瞬きょとんとさせると、片手で後頭部を掻きながら、いかにも残念そうな表情を浮かべた。


「いやあ! ディア監察使、申し訳ない。殲滅騎士団はいつもあちこち駆け回っていて任務も多いからな。団の監察使は前に無理がたたって倒れてしまって、以前の駐屯地に残してきたんだ。ええと……確かルトとかいう町で療養しているはずだ。いつも俺たちについて苦労ばかりさせて、本当に……」


 これ以上聞いていられず、ディアは怒りに満ちた目を向けた。手を上げて目の前の四大騎士団の団長を指差し、声を荒らげる。


「カイエル団長! 監察使は女王陛下御自ら定められた制度です! 各騎士団や重要機関を補佐するためのもの。それを勝手に監察下から外れるなど、私は――」


「まあまあ、そう興奮するな、ディア殿。野外じゃ何が起きてもおかしくない。そうだろう……?」


 笑ってなだめながら、カイエルの力強い大きな手が、痩せた監察使の肩に置かれた。


 同時に周囲の重装剣士たちがさりげなく馬車を囲み、外からの視線を完全に遮る。中で何が起きているのか、誰にも見えなくなった。


 肩にじわりと痛みが走り、ディアが口にしかけていた処罰の言葉は、力ずくで押し戻された。


「それにな、殲滅騎士団だって女王陛下を心から敬愛している。団の監察使が倒れた時も、俺はすぐ治療を受けさせて、人をバランドへ戻して報告もした。この件は……女王陛下もよくご存じだ」


「あり得ない! 女王陛下から我々には、そのような命令も知らせも一切届いていない!」


 太い腕を回し、痩せた監察使をぐっと自分のそばへ引き寄せる。カイエルの豪快だった声が、ディアの耳元で低く響いた。


「お前たちが無能すぎて、女王陛下が知らせても無駄だと思ったんじゃないか? それとも……監察使はもう信頼されていないのかもな……」


 ディアは力いっぱいカイエルを押し退けた。


 顔色はひどく陰鬱になり、何度か反論しかけたものの、最後にはすべて呑み込んだ。


「女王陛下から命令を受けている! 連合作戦を支援するために来たんだ。貴団の監察使がいないというなら、文官でも誰でもいい。私の補佐につけてくれ」


 ここ数年、女王の考えはますます誰にも読めなくなっている。


 かつては各勢力を信用せず、多くの駒を送り込んで牽制していた。監察使制度もそのために生まれたものだ。


 だが、王位に就いてから長い年月が過ぎた今では、もしかすると監察使すら信頼しなくなったのかもしれない。


 カイエルは興味深そうに相手の表情の変化を眺めていた。


 威嚇は十分に効いた。


 そう判断すると、内心で満足する。


 この監察使はなかなか頭が切れるらしい。前の者のように、自分が正しいと思い込み、殲滅騎士団にあれこれ口を出してくることもないだろう。


「もちろんだ。連合作戦は帝国にとって重要な任務だからな。こちらもとっくに準備してある」


 再び距離を取り、いつもの愛想のいい表情に戻ったカイエルは、快活にそう言うと、後方へ向けて手を振り合図した。


 一人の重装剣士が呼びかけに応じて足早に近づき、カイエルの前で姿勢よく敬礼する。


「イヴリン、ディア監察使を丁重にもてなせ。女王陛下の命令を遂行できるよう補佐して、任務に『専念』してもらうんだ。分かったな」


「はい!」


 短く澄んだ女の声が返る。


 重装剣士は数歩前へ出ると兜を脱いだ。現れたのは、平凡ながらも輪郭の整った清楚な顔だった。


「ディア様、これより私が任務の遂行をお手伝いいたします。こちらへどうぞ」


「軍営の外に私の護衛部隊がいる。彼らにも知らせを――」


「その必要はありません。殲滅騎士団がおります。必要なことはすべて私、イヴリンが対応いたします。団長からも、ディア様には必ず任務に専念していただくよう申しつけられております」


 女重装剣士の口調はあくまで恭しかったが、内容には有無を言わせぬ強さがあった。


 遠くでは、馬車についてきた御者や従者たちも、すでに引き離されている。


 しばし沈黙し、置かれた状況を理解すると、ディアはそれ以上何も言わなかった。ただ、まだ微笑んでいるカイエルを一度見て、その殲滅騎士団団長の顔をしっかりと記憶に刻む。


「行くぞ。まず連合作戦の現在の状況を把握したい」


 監察使が『護送』されていくのを見届けると、カイエルもようやく息をついた。


 ディアが情報を集め、懐智派や内政大臣を追い詰めたことは聞いている。それどころか、皇家冒険団壊滅の一件からも、きれいに身を引いて生き残っていた。


 殲滅騎士団は帝都の派閥争いとは無縁だが、だからといって同じようなことを自分たちの身に起こしたいわけではない。


「よしよし! 面倒な奴もいなくなったことだし、俺たちも女王陛下の命令を果たすぞ! 引き続き町を守れ! 全員、気を抜くな!」


「はい!」


 力強く揃った返事が、帝国辺境に響き渡った。


 女重装剣士について丘陵の軍営を出ると、ディアの護衛部隊はすでにどこにも見当たらなかった。


 おそらくカイエルは、先ほど自分を長々と引き止めている間にすべて手配し、護衛部隊を首都へ追い返したのだろう。


 これでディアの胸に残っていた最後のわずかな希望も消えた。


 殲滅騎士団が用意した新しい馬車に乗り込み、一通り状況を整理して冷静さを取り戻すと、ディアは低い声で尋ねた。


「これからどこへ連れていくつもりだ」


「ディア様は連合作戦の状況を把握したいとのことでした。ちょうど今日、鋼鉄の玉座と循律の塔の代表が到着する予定です。でしたら、直接お会いになった方が手間も省けるかと思います」


 向かいに座るイヴリンは真剣な表情を崩さず、几帳面に説明した。


 それを聞いて、ディアはすぐに理解した。相手は任務そのものを邪魔するつもりではない。監察使に殲滅騎士団の内部へ手を伸ばされたくないだけなのだ。


「私が首都へ戻って報告していた間、迷宮城に何か異変はあったか?」


 女王の命令が最優先だ。


 今日受けた屈辱については、いずれ返してやればいい。


「ありません。守衛の暴走によって皇家冒険団が壊滅して以降、団長が指揮を引き継ぎ、距離を取って監視哨を設けました。昼夜を問わず交代で迷宮城を監視していますが、現在まで新たな異変は確認されていません」


「ただし、我々が監視しているのはあくまで外周だけです。内部の状況までは把握できていません」


 報告を聞いても、異変がなかったことをディアはまったく喜べなかった。


 皇家冒険団の監察使を務めて数年。職務に忠実だったディアは、欺かれることを防ぐため、かつて迷宮城の歴史やその傾向についても念入りに学んだことがある。


 だからこそ、記録に残された内容をはっきり覚えていた。


 以前の出来事が、ただ守衛たちによる不定期な自発的暴走にすぎなかったのなら、今ごろ壊死の大地は、迷宮城から溢れ出した魔獣や邪悪体によって大混乱に陥っているはずなのだ。


 だが、現実はそうなっていない。


 それが意味することは一つ。


 以前、円卓会議で自分が示した見解は事実だった。


 迷宮城の内部には、何かが存在し、すべてを操っている。


「ディア様、何かお考えが? 殲滅騎士団でお役に立てることがあれば、何なりと」


 監察使が何やら考え込んでいるのを見て、イヴリンが低い声で尋ねた。


 ディアは冷たく笑うと、嘲るように答えた。


「荒野で魔獣や邪悪体を斬り、帝国を守ることなら、殲滅騎士団には十分な能力があると信じている。だが迷宮城の攻略は……わざわざ死にに行く必要はない。この言葉を、お前たちの団長にも伝えておけ」


「はい。必ず団長にお伝えします」


 冷たい皮肉を浴びても、イヴリンは表情一つ変えずに答えた。


 その後、ディアは口を閉ざし、イヴリンも沈黙を保った。


 馬車は希望町でも丘陵の軍営でもない、第三の場所へと進んでいく。時間だけがゆっくりと過ぎ、静まり返った車内には重苦しい空気が満ちていった。


 だが、それほど長くは続かなかった。


 ディアはやがて、空気中を伝わってくるエネルギーの波動と、それが共鳴して生み出す振動を感じ取った。


 覚えのある感覚だった。


 すぐさま馬車の窓を開き、空を見上げる。


 いくつもの巨大な影が、大地を覆っていた。


 空に浮かんでいたのは、四隻もの巨大な飛空艇だった。


 流線型の長大な船体。


 光を反射する鋼鉄。


 エネルギー炉から放たれる動力の光彩が空気を震わせ、幾重もの奇妙で美しい光輪を広げている。


 まるで空を飛ぶ鋼鉄の巨獣だった。


 船体各所には何門もの巨砲が埋め込まれ、突き出した砲身だけでも並の魔獣を上回るほど巨大だ。


 見る者すべてを威圧する、その恐るべき武力がありありと伝わってくる。


 これこそ、知性種族が誇る最強の魔導武装――飛空艇。


 ディアも帝国の飛空艇を見たことはあった。だが、やはり本場である鋼鉄の玉座や循律の塔のものには及ばない。


 それが一度に四隻も現れたとなれば、相手が迷宮城によって引き起こされた天象異変をどれほど重視しているのかは明らかだった。


 そして、もう一つ目につくものがあった。


 飛空艇の周囲を、数機の小型飛行魔導機械が旋回している。警戒だけでなく、鋼鉄の巨獣たちを着陸へ導く役目も担っているようだ。以前なら、飛行能力を持つ亜人が担当していた仕事だった。


「もう小型化の研究まで進んでいるのか……帝国も調達規模を広げるべきだな。開拓地の護衛にも大いに役立つ。『銃砲』の研究は、今どこまで進んでいる……」


 青々と広がる大地の上。


 考え込み続ける男を乗せた小さな馬車は、空飛ぶ鋼鉄の巨獣たちが降り立つ場所へと向かっていった。

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