77.五大魔王
海底世界を進む中、深く潜れば潜るほど、ヴィンセントは激しい潮流による抵抗と水圧が強まっていくのを感じていた。だが前方を泳ぐ、人の上半身と蛇のような尾を持つ影は、むしろ速度を上げていき、まるで苦にもしていない。
この差が種族天賦によるものであることは明らかだった。
大海。それこそが海の魔王の領域だった。
両者の距離は次第に開き、ヴィンセントの視界に映る影も遠くの小さな点へと変わっていく。このまま潜り続ければ、間もなく見失ってしまう。
幸い、その時になってようやく海の魔王が止まった。
クイナは外から中を見通せない、巨大な球状のエネルギー障壁の前に立つと、エリカを連れたままその中へ入っていった。
それを見たヴィンセントもさらに速度を上げる。骨と血で形作られた翼から大量の血のエネルギーを放ち、薄暗い青の海中に鮮紅色の軌跡を引きながら、そのまま球状の障壁へ飛び込んだ。
中へ入った瞬間、深海から全身にかかっていた重圧が消えた。
そこにあったのは、乾いて清浄な、広々とした岩場だった。奇妙な岩山や乱雑に転がる岩石が連なり、地面もひどく起伏している。ひどく荒涼とした景色だった。
何もない場所だからこそ、中で待っていたいくつかの影はひどく目立っていた。
ヴィンセントはその姿を実際に目にすると、エリカとともにある程度の予想はしていたにもかかわらず、胸の内に強い衝撃が走るのを抑えられなかった。
荒涼とした岩場には、海の魔王を除いても、姿形のまるで異なる三つの人型、あるいは人ならざる生命が、それぞれ異なる様子で二人の到着を見つめていた。
一人目は、男の姿をした生命だった。
精悍で整った顔立ち。短い金髪はわずかに巻いており、上半身は完全に裸で、鍛え抜かれた逞しい肉体を晒している。下半身には一枚の黒布を巻いただけで、正面の切れ目からは長い両脚がわずかに覗いていた。
背には一対の巨大な黒い翼。
だがよく見れば、それは三対の細長い翼を重ね合わせ、一対のように見せているものだった。
まるで神話に語られる存在だった。
黒翼の男は普通の人間よりもかなり大柄だった。海の魔王である深海妖姫ほどではないものの、野蛮人族に近い体格をしている。
表情は終始くつろいでおり、口元にはうっすらと笑みすら浮かんでいる。その様子から善意を示そうとしているようにも見え、ヴィンセントは、この男がおそらく以前自分と密かに言葉を交わした天の魔王、オスヴィドなのだろうと推測した。
その黒翼の男から少し離れた場所には――一頭の、生きた巨竜がいた。
翼を畳み、ただ地面に伏せているだけだというのに、その巨体は小さな山のように岩場へ横たわっている。
全身を覆う赤い鱗は炎のような光を放ち、開かれた橙黄色の縦長の瞳だけでも、ヴィンセントやエリカの身体ほどの大きさがある。
鼻からは時折、白い霧のような高温の蒸気が噴き出していた。
どうやら少々苛立っているらしい。
そして最後の一人を目にした時、ヴィンセントはさらに強い驚きを覚えた。
だが何も口にはせず、わずかに眉を寄せるだけだった。左右へ視線を走らせて何かを考えた後、クイナの傍らにいるエリカの後ろへ黙って立った。
「初めまして。私たちはエリカとヴィンセント。元はただの人間だった。皆、すでに知っていると思う。差し支えなければ、そちらも自己紹介をしてほしい」
伝説に語られる魔王たちを前にしても、エリカは両手を背後で組み、沈着で厳しい表情をまるで崩さない。自ら場を主導するように、先に口を開いた。
その求めに応じ、精悍な顔立ちの男が背中の黒翼を軽く動かす。身体がわずかに宙へ浮き、薄く笑いながら答えた。
「オスヴィド。堕天使族だ」
親友への最初の返事を横取りされたことに気づいたクイナは、オスヴィドを思いきり睨みつけると、慌てて身体を屈めて付け加えた。
「エリちゃん、私は深海妖姫族だからね。忘れないでよ」
その時、一つの思念が、その場にいる全員の心へ直接響いた。遥かな時を越えて届いたかのような古い声。確かに言葉のようでありながら、その音の意味を理解することはできない。
それなのに聞く者には、なぜか奇妙な善意が伝わってくる。遥かな輪廻の深みへ落ちていくような感覚とともに、夢か幻かも定かでない中、一瞬だけ、この世界の玄妙な秘密を垣間見たかのような錯覚さえ覚えさせた。
たった一声。
それだけで、エリカとヴィンセントは強烈な衝撃を受けた。
一方、その思念を感じ取ったオスヴィドは、ひどく意外そうな顔をした。
傍らにいるその魔王へ視線を向け、それから二人へ説明する。
「元は人間だった二人なら、外で広く知られている三大魔王しか知らないだろう。老竜と、この存在については聞いたことがないはずだ。俺たちはこれを『夢』と呼んでいる。神霊時代から存在し、夢が種族全体を代表している――というより、種族全体そのものが夢なんだ」
「あれは……?」
エリカはオスヴィドの視線を追った。
そこに彼女が見たのは、不定形の柔らかな光の塊だけだった。
光は明滅を繰り返し、さまざまな形へと絶えず変化している。その様子はまるで、生命の鼓動そのものだった。
しかも注意深く見つめていると、心を引き寄せるような不可思議な力を感じ、次第に意識が霞んで眠りへ落ちそうになる。
豊富な神学知識を持つエリカでさえ、これがいったいどのような生命の在り方なのか想像できなかった。
夢が声を発してからというもの、オスヴィドの態度はさらに親しげなものになっていた。
「夢の魔王と呼んでもいい。俺たちの中で最も古い存在で、もしかすると多くの神霊より古いかもしれない。それに、毎年の魔王の庭で議題に上がる存在でもある。まあ……実際のところ、神霊だと思っても問題ない」
その言葉には、さすがのエリカも強い衝撃を受けた。
神霊が実在すること自体は、疑いようのない事実だった。
ただ、神霊たちは上古の時代から世界の中へ姿を隠し、もはや姿を現さなくなっている。なぜそうなったのかを知性種族は理解していないものの、それ自体は各種族の上層部に共通する認識だった。
だからこそ、多くの知性生命が、それぞれ異なる神霊から啓示を受けたと主張し、四正教以外にも数多くの教派が生まれてきた。
繁生会が奉じる生命の神も、ボーウェンが信仰し、「名もなき神霊」とも呼ばれる欲望の神霊も、そうしたものの一つだった。
長年にわたって神官としての高度な教育を受けてきたエリカは、神霊が本当にテレサ世界に存在することを理解しており、一度たりとも疑ったことはない。
だが、自分がいつか実際に神霊と対面することになるなど、考えたこともなかった。
まして、その存在が各種族に知られておらず、これまで聞いたことすらない魔王でもあるとは。
一方のヴィンセントは、表情をまるで変えなかった。
ただ、『夢』と呼ばれたその存在をじっと見つめ続けている。
最初に目にした時から、彼にとってもひどく驚くべき存在だった。
二人の新たな仲間がそれぞれ異なる反応を見せているのを見て、オスヴィドは何やら意味ありげな表情を浮かべた。
それを目にしたクイナは露骨に不機嫌になる。
その顔は、天の魔王がまた何かよからぬことを考えている時のものだった。
だがクイナが止めるより先に、オスヴィドが口を開く。
「夢は面白い存在なんだ。それぞれの生命に見える具体的な姿は、その者の心の最も深いところにある執着を映し出している。さて……新しく生まれた二人の魔王には、いったい何に見えている?」
魔王から魔王と呼ばれる。
魔王の庭へ招かれた時点ですでにその兆しはあったものの、実際にそう呼ばれると、ヴィンセントは複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
だがエリカには、まるで反応がない。
自分が何と呼ばれようと、心底どうでもいいらしい。
天の魔王から夢について聞いたエリカは少し考えた後、自分に見えている姿をそのまま口にした。
ただ柔らかな光の塊にしか見えないのだから、それが何かを意味するとも思えない。それならば正直に情報を交わした方が、ほかの魔王たちにも自分たち二人を受け入れさせやすいかもしれない。
「……面白い答えだ。普通、知性種族の目に映る夢は、権力、欲望、財産、名声、地位、色欲……そういった執着を具体的な形にした姿になる。君が見ているのは、夢の本来の姿に最も近いものだ。それはつまり、君が極端なほど自分自身に忠実で、自分以外には何一つ執着していないということになる」
やはり、新たな変数は並ではない。
オスヴィドは、この時代に大変革が訪れる日は案外近いのかもしれないと、ますます強く感じていた。
知性時代というのは、本当に短命な時代だ。
エリカの答えを聞き終えると、彼は興味深そうに、その後ろに立つ無口な男へ視線を移した。
「それで、ヴィンセントは? 君には何に見えている?」
だがヴィンセントは首を横に振り、即座に拒絶した。
「重要じゃない」
「言いにくい姿だったみたいだな。まあ、それでも構わない。どんな生命にだって、心の奥に隠しておきたい秘密くらいある。ただ、二人は一体として生まれた魔王だ。これが互いのわだかまりにならないといいけどな」
ようやく欲しかった返事を引き出せたオスヴィドは、悪戯の成功を楽しむような笑みを浮かべ、二人を眺めていた。
この堕天使の魔王の性格の悪さを察したエリカも、それまで示していた善意を引っ込める。左足を前へ踏み出してヴィンセントの前に立ち、冷たい笑みを返した。
「もういい。残りの二人も自己紹介して」
金髪褐色肌の女が見せた強硬な態度にも、オスヴィドは気を悪くした様子がなかった。サマンサにも普段からろくな顔をされていない。
ただ友好的な薄笑いを返すと、それ以上は口を挟まなかった。
そしてエリカがそう求めて間もなく、荒涼とした岩場全体が震え始めた。
クイナは、今度こそオスヴィドに先を越されなかったことを確認すると、すぐに答えた。
「エリちゃん、今のはコアビーストが返事してるの。こ~~の泡みたいな空間ぜんぶが、コアビーストの一部なんだよ。超獣種で、知性種族からは地の魔王って呼ばれてるの」
「超獣種……意思疎通ができるの?」
「できないよ。でももう千年以上の付き合いだから、多少は何を言いたいのか分かるの。コアビーストが怒ってたり、反対してたりしたら、こんなふうに軽く揺れるだけじゃ済まないよ。本体はね、すっごく、すっごく、すっご~~く大きいんだから。老竜だって、比べたらちっちゃいくらい」
三度も「すごく」を重ねて強調する。
いつも口数が多く、どうにも頼りなく見える海の魔王ではあるが、エリカはクイナが冗談を言っているのではないと判断した。
そして一つ、大胆な推測に辿り着く。
地の魔王。
ひょっとすると、生体迷宮そのものがコアビーストなのかもしれない。
「分かった。それじゃ……最後の一人」
そう言って、エリカは最初からずっと顔を別の方向へ向けていた巨竜を見た。
オスヴィドとクイナも、同じように巨竜へ視線を向ける。
「老竜、あとはあなただけだよ。エリちゃんに自己紹介してよ。千年以来、たった一人の新しい仲間なんだから」
クイナは当然のようにヴィンセントを無視し、嬉々として声をかけた。
その言葉を聞き、巨大な竜の頭がようやく動いた。橙黄色の巨大な縦長の瞳には、露骨な悪意が宿っている。大鐘を鳴らすような重厚な声が空間そのものを震わせ、侮蔑を隠そうともせず問いかけた。
「二人の人間だと?」
「仲間?」
「知性種族は命が短い。思考も視野も、その命と同じく哀れなほど狭い。そんな者たちに、魔王の庭の責務を担えるのか?」




