65.殺戮
死亡峡谷入口、前線拠点。
果てしなく広がる青空と白い雲。その合間から光神の光が降り注ぎ、灼熱のエネルギーによって気温はかなり高くなっていた。
この灰白色に荒れ果てた壊死の大地でさえ蒸し暑さは耐え難く、加えて周囲にはいくつもの沼地が広がっている。立ち昇る悪臭は視界を歪ませるほどで、駐留している者の多くが耐えかねるほどだった。
見張りにつかなければならない後勤組の者たちを除けば、経験豊富な冒険者たちはとっくに自分の休憩室へ逃げ込んでいた。彼らは周囲が羨むような魔導製品を取り出し、室温を下げ、空気から嫌な臭いを取り除いている。
これこそ、攻略経験と蓄えた財力の差だった。
皇家冒険団がここへ来てから、すでに数か月が過ぎている。
任務の進捗は何度も阻まれていたが、迷宮城の攻略など年単位で時間がかかるのが普通だ。何か問題があれば上の責任者が解決する。下の者の多くは、実のところそれほど気にしていなかった。
自分の仕事さえこなしていれば、それでいい。
この日も、いつもと変わらない一日だった。
幹部は会議を行い、兵は巡回し、物資が運び込まれる。交代で休みに入った者の中には、近くまで小型の魔獣を狩りに出かける者さえいた。
愚痴、大笑い、言い争い。
さまざまな声があちらこちらから聞こえ、すべてが平穏で、いつも通りに見えていた。
――その時までは。
壊死の大地の地下から、突如として激しい震動が伝わってきた。
前線拠点の防御結界が即座に作動し、巨大な光の障壁が自動的に展開される!
誰もが一瞬、呆然と顔を見合わせた。
次の瞬間、我に返った者たちが緊張した声で叫び始める。
「敵襲!」
「作業を中断しろ! ただちに拠点内へ戻れ!」
「急げ!」
日常が崩れた。
外で活動していた者たちが一斉に撤退を始める。訓練された人員は素早く前線拠点の結界内へ戻り、それぞれ戦闘用の遮蔽物の後ろへ身を隠して、これから現れる敵に備えた。
拠点隊長は人数を確認し、全員が無事に戻れたことでわずかに安堵する。
しかも、どの方向を見渡しても敵の姿はない。
ただの事故だったのか。
そう思った、その時。
光の結界が再び激しく揺れた!
「ドン! ドン!」
重い衝撃音が響く。
震動は大地の真下、地底深くから伝わってきていた。
そしてようやく人々は気づいた。
前線拠点そのものが、少しずつ地面へ沈み込んでいる!
敵は攻撃をやめたのではない。
獲物が自分から一か所へ集まるのを待っていたのだ!
結界の光は確かに機能していた。
だが、地形そのものが激変することで生じる凄まじい崩壊の力までは受け止めきれない。
結界が徐々に歪み、砕け始めると同時に、前線拠点のある一帯も陥没し、崩れ始めた!
すべてがあまりにも速く、あまりにも突然だった。
これは、最初から計画された攻撃だ!
駐留していた者の多くは、まだ何が起きているのかも理解できず、敵の姿を探し回っていた。そんな彼らがようやく恐怖に気づいた時には、足元の大地が割れ、崩れ落ち始めている。
崩壊する地表の下。
そこには、すでに大量の地潜り虫によって喰い抜かれた巨大な空洞が広がっていた!
まるで生命を喰らう巨大な口のように、上から落ちてくる人間も物資も、何もかもを呑み込んでいく。
残るのは凄惨な悲鳴の反響だけ。
人々は恐ろしい奈落へ次々と落ちていった。
拠点隊長は、驚愕と恐怖に染まった顔でその光景を見つめていた。
今なお、何が起きたのか理解できない。
ほんの一瞬前まで、汗を流しながら過ごすいつもの日常だった。
それが次の瞬間には、逃れようのない無慈悲な絶望へ変わっていた。
「全員、拠点から脱出しろ! 俺たちを誘い込んで殺すための罠だ!」
「急げ! 脱出できた者はただちに殲滅騎士団へ――」
絶叫が、唐突に途切れた。
拠点隊長の足元から大地が消え、その身体は底の見えない巨大な穴へと落ちていった。
もしこの状況でも冷静に観察できる者がいたなら、暗闇の中に、何本もの巨大な虫の影がうごめいているのが見えただろう。
恐ろしい口器を大きく開き、落下してくる生命へ次々と襲いかかっている。
千人を超える者たちが駐留していた前線拠点は、瞬く間に壊死の大地から消え去った。
普段は陰鬱なこの土地にも、この日は珍しく光神の光が差し込んでいた。そして、その光は偶然にも、一部始終を照らし出していた。
ごくわずかな幸運に恵まれ、崩落から逃れた者たちは、誰もが恐怖に顔を引きつらせていた。
彼らは狂ったように希望町へ向かって逃げていく。
この大地が崩れ落ちた一日を、生涯忘れることはないだろう。
同じ頃。
第十層迷宮の休息用野営地。
駐留部隊の全員が、目の前に並ぶ巨大な影を信じられない思いで見つめていた。
一体、また一体。
巨大な石炎魔が立ち並んでいる。
深褐色の岩塊でできた身体。その継ぎ目や亀裂からは、恐ろしい高熱を帯びた赤い光が漏れ出していた。
本来この場所に現れるはずのない強力な守衛が、数十体も集まり、縄張りを越えてここまでやってきている!
「あぁ……暑い。お姉ちゃんって本当にひどい。お義兄さんがどこに行ったか教えてくれないうえに、こんな暑苦しい連中と一緒に行動しろなんて。どうして鎌ちゃんか地潜り虫を私につけてくれなかったのかなぁ」
鎌蜘蛛と地潜り虫には別の任務があると知ってはいたが、ドロシーはそれでもエリカへの文句を止めなかった。
それは彼女にとって永遠の楽しみであり、お義兄さんがいない時には何よりの暇潰しでもある。
退屈で仕方なくなったドロシーが、そろそろ石炎魔に命じて目の前の人間を皆殺しにし、お義兄さんの迷宮城に入り込んだ汚いものをすべて片づけようかと思った、その時だった。
野営地の中から、驚きに満ちた大声が聞こえてきた。
「ド、ドロシーさん! あなたなんですか!? ドロシーさん! 俺です! グリフィスです!」
声のした方向へ目を向けると、ドロシーは人混みの中に、こちらへ何度も手を振っている長身の男を見つけた。
その整った顔を見た瞬間、昔の記憶が蘇る。
少し興味を惹かれた彼女は、石炎魔たちにいったん足を止めさせ、自分も相手へ楽しそうに手を振り返した。
数十体もの石炎魔を前にした衝撃からようやく立ち直ったばかりのグリフィスは、不安でたまらないまま、異変に気づいたドゥノから相手との交渉を命じられていた。
何しろ、この野営地にいるのは二百人ほど。そのうちかなりの数が、戦闘を不得手とする後勤組だ。石炎魔の猛攻を受ければ、到底耐えられない。
グリフィスは恐る恐る、石炎魔と女悪魔から少し距離を取った場所まで進み出た。
それでも絶えず伝わってくる高熱と恐怖だけで、すでに汗が噴き出している。
普段はふわりと整えられている眩しい金髪も汗で肌に張りついていたが、それでも彼は何とか、いつもの完璧な爽やかな笑顔を作ろうとした。
ただし、持ち上げた口元はわずかに引きつっていた。
「ドロシーさん、お……お久しぶりです。あなたが姿を消してから、ずっと心配していたんです。こ、こうして元気な姿をまた見られて……本当に、本当によかった」
帝都で数々の女を魅了してきた自分の完璧な男としての魅力なら、もしかすると交渉できるかもしれない。
グリフィスはそう信じていた。
「あら……心配してくださってありがとうございます、グリフィス様。私が血族になってこんな姿になっても、ちゃんと分かるなんて」
すでに姿を変えたドロシーは、妖しい雰囲気を纏い、背も伸び、体つきまで変化している。その背後にはさらに、骨と血で形作られた一対の翼が大きく広がっていた。
誰であろうと、一目でかつての小柄で可愛らしい少女を連想するのは難しい。
それだけに、見破られた彼女は本当に相手の観察力に少し驚いていた。
「も、もちろんです!」
「あなたとヴィンセントの身に起きたことを思うたびに、胸が痛んで夜も眠れませんでした。だからお二人の姿は、しっかり心に焼きついています。作戦部があんな陰謀を企んでいたと最初から知っていれば、俺は必ず立ち上がって大声で反対していました!」
「あれは道徳に反する! 間違っている! 本当に……恥ずべき行為です!」
「あなたたちは迷宮城の攻略のために、あれほどの犠牲を払ったというのに。命を懸けて手にした成果だったのに!」
「それなのに、卑劣で恥知らずな連中は、何度もあなたたちを攻撃し、陥れようとした。あんなものは絶対に正義ではありません! 俺は……俺はずっと、お二人に着せられた汚名を晴らそうとしていたんです。ただ……」
話しているうちに、グリフィスは芝居の調子を取り戻していった。
熱のこもった感情が次第に高まり、まるで本当に自分が正義の化身にでもなったかのように、ますます自信を深めていく。
「聞きました……あなたのお姉さんは最後、老バダに重傷を負わされたそうですね。本当に、とんでもない老いぼれだ。作戦部に隠れて勝手に手を出したうえ、すべては自分のものでもない報酬を手に入れるためだった!」
「お姉さんは……無事なんですか?」
最初の緊張を乗り越えたグリフィスは、次第に落ち着きを取り戻していた。 そして最も得意とする、人を言葉で丸め込むやり方を始める。
目の前の女悪魔を本当に説得できるかもしれない。
そうなれば、これは大きな功績を立てる絶好の機会だ。
案の定。
女悪魔はその感動的な演技を聞き終えると、妖艶な顔を俯かせた。ぽろぽろと涙がこぼれ落ち、身体はすすり泣きに震えている。
「お姉ちゃん……お姉ちゃんは、あの夜に死んじゃった……」
「お義兄さんも、お姉ちゃんを失ってからおかしくなっちゃって……ずっと帝国に復讐しようとしてるの。私……私、怖くて……」
グリフィスは緊張で唾を呑み込み、慌てて慰めるように言った。
「それは……本当に不幸な知らせです。あの夜の事件のあと、俺は翌日すぐ作戦部へ厳重に抗議しました。帝国法廷にも訴えの書状を送ったんです。けれど最後には無情にも揉み消されてしまって……そのせいで俺は最前線へ飛ばされました」
涙を残した艶やかな顔を上げ、驚きに開いた赤い唇を片手でそっと覆う。 女悪魔は信じられないほど感動した様子で、目の前の長身の美男子を見つめた。
「私……知らなかった。そんなことまであったなんて。グリフィス様、本当にありがとうございます。ずっと私とお義兄さんのことを気にかけてくれていたのは、あなただけだったんですね」
女悪魔の感情が揺らいだと見たグリフィスは、そこで油断しなかった。
慰めるような表情を今度は厳粛なものへ変え、そのまま説得へ移る。
「いえ、礼なんていりません。これも公平と正義のためです。俺は不公平で不正なことを見て見ぬふりなどできない……ところで、どうしてドロシーさんはそんな姿に? それにあなたは……後ろの石炎魔を指揮できるようですが?」
その質問を聞いた途端、女悪魔の涙はさらに激しく溢れ出した。
とうとう堪えきれないように泣き始め、その途切れ途切れの泣き声は、少し離れた野営地にまで届くほどだった。
「お義兄さんなの。お義兄さんが……どうやったのか分からないけど、私をこんな姿にして、それから……それから石炎魔を率いて、あなたたちを皆殺しにしろって命令したの。言うことを聞かなかったら、私は……」
最後には嗚咽で言葉さえ続けられなくなり、女悪魔は泣き崩れるようにその場へしゃがみ込んだ。大きな骨と血の翼が身体を包み隠す。
その姿と泣き声は、見る者にも聞く者にも、深い悲しみを感じさせるものだった。
グリフィスには、彼女が従わなければどうなるかなどどうでもよかった。
だが目の前にいる石炎魔の脅威だけは、冗談では済まない。
すぐに次の言葉を考え、続けた。
「怖がらなくていい。ヴィンセントの苦しみも怒りも、俺には分かります。でも帝国は強大です。三隻の飛空艇、五大騎士団、それに他の三大国と長年築いてきた協力関係まである。あなたたちだけで相手にできるものではありません」
一度言葉を置く。
相手の感情も、自分の分析も十分に伝わった。
そう判断すると、グリフィスはついに提案した。
「だったら……今ここで投降しませんか。そして俺たちと一緒にヴィンセントも説得するんです。この迷宮城であなたたちが手に入れた成果があれば、帝国はきっと喜んで再び受け入れてくれる。子爵や伯爵といった世襲爵位へ引き上げることだって、決して不可能ではありません!」
骨と血の翼の奥から、驚喜した声が聞こえてきた。
「本当に!?」
「もちろんです! 命に懸けて保証します!」
「でも……でも私、覚えてる。あの夜、お義兄さんと私を追いかけてきた人が、あの人だった! 矢を射るように命令までしてた! 遠くからだけど、私……ちゃんと見たの。あなたたちを……信じられない……」
ドロシーが指差した方向を追い、グリフィスはその人物を見つけた。
最前線へ降格された今もなお、自分の上司である元副団長――ドゥノだった。
この時には、石炎魔から発せられる凄まじい熱で、グリフィスはもう立っていることすら辛くなり始めていた。
これ以上は長引かせられない。
頭を急速に回転させ、すぐさま言い訳をひねり出す。
「ドロシーさん、ドゥノ副……いえ、組長も、あの時は騙されていたんです! 老バダとアンダに……騙されたんですよ!」
「そう! あの二人に騙されていたんです! すべては、あの欲深い二人の冒険者が、自分たちのものでもない報酬を欲しがったせいで起きた、恐ろしい誤解だったんです。少しここで待っていてください。必ず、納得できる答えを用意します!」
言い終えると、グリフィスはすぐさま臨戦態勢を整えた野営地へ走って戻った。
周囲の視線など構わず、そのまま組長ドゥノのもとへ行き、先ほどの会話をすべて小声で説明する。
「つまり、お前は俺に……あの女悪……女冒険者を、宥めに行けというのか?」
ドゥノには、どうしても納得し難かった。
しかも数十体もの石炎魔が並ぶ戦闘態勢は凄まじい。空中の石道が大量の鎌蜘蛛に占拠されていることが確認されていなければ、とっくに全員逃げ出していただろう。
こんな時にまで相手が躊躇うとは思わなかったグリフィスは、苛立ちを抑えきれず、歯を食いしばって小声で言った。
「組長! これしか助かる方法はないんですよ!」
「だが帝国があいつらに機会を与えるはずがない。この秘宝も迷宮城も、すべて帝国のものだ。あの女も義兄も、ただの盗人にすぎん。いずれは――」
軍を退いたこの頑固な老人が、まだそんなことを言い続ける。
冒険者だけでなく、近くにいた皇家冒険団の副官たちまで目を見開いた。
グリフィスも焦りきった様子で、声を潜めて必死に説得する。
「組長! 騙すだけです! 騙すだけなんですよ!」
「成功すれば、迷宮城攻略にもっと大きな貢献ができます! 女皇陛下だって、あなたを元の職に戻してくださるかもしれませんよ!」
最後の一言を聞いて、ドゥノはついに心を動かされた。
グリフィスから手短に言い含められ、あとで口にするべき耳触りのいい言葉を頭へ叩き込む。
そして二人は野営地を出て、女悪魔の前へ向かった。
「ゴホン……ドロシーさん。当時は老バダとアンダがあなた方の秘宝に欲を出し、作戦部へ大量の誤った情報を流した。そのせいで、その後の一連の不幸が起きてしまった。帝国を代表して、あなたに謝罪する……」
女悪魔は聞いているのかいないのか、相変わらずその場にしゃがんだまま、すすり泣いている。
それを前にすると、老軍人であるドゥノは、さすがに嘘を続けるのが難しくなった。
隣のグリフィスから何度も促され、ようやく腹を括って続きを言う。
「……その後、俺自身も女皇陛下から厳しい処罰を受けた。どうか、我々の一時の過ちを許してほしい。お前が帝国に協力し、ヴィンセントを投降させてくれるなら、俺は全力でお前たちが世襲爵位を取り戻せるよう力を尽くす。老バダとアンダにも必ず代償を払わせる!」
話すほどに、その口調は熱を帯びていった。
しまいにはドゥノ自身まで、自分の言葉を何割か信じ始めている。
傍らではグリフィスが満足そうに何度も頷いていた。
やがて、閉じていた骨と血の翼がゆっくりと開かれた。現れたのは、涙に濡れた美しく妖艶な顔。そこには信じられないほどの喜びが浮かんでいた。
女悪魔は震える声で尋ねる。
「ほ……本当ですか?」
「もちろんだ! 蒼藍帝国の者の約束を、必ず信じてほしい!」
「それなら……それなら、お願いします。私もできるだけお義兄さんを説得します」
二人は同時に、胸の内で大きく安堵した。
「それで……この石炎魔たちは?」
グリフィスが慎重に後方を指差す。
だが女悪魔は残念そうに首を振った。
「お義兄さんから、私のそばについているよう命令されてるんです。でも安心してください。私が命令しなければ、攻撃はしませんから」
「そうか……仕方ないな。ただ、まだ一つ問題がある。今は空中の石道を大量の鎌蜘蛛が占拠していて、我々も地上へ戻れない。これでは君たちの汚名を晴らすために動くこともできない。何かいい方法はないか?」
ドゥノの反応があまりにも鈍いのを見かねて、グリフィスが話を引き取って自分から尋ねた。
誰よりも、生きて帰りたいのは彼なのだ。
女悪魔は少し首を傾げて考えたあと、答えた。
「石炎魔に鎌蜘蛛を攻撃させてみます。そうしたら、みんなも混乱している間に通り抜けられるかもしれません」
そこまで聞いて、ドゥノもようやく反応を示した。その案にはかなり満足している。確かにいい方法だった。
しかも両方の守衛を互いに消耗させることまでできる。
そこで、そっとグリフィスへ合図を送った。
ヴィンセントの話を絡めて機嫌を取れという意味だと理解し、グリフィスはすぐさま口を開いた。
「では、できるだけ早く試してみましょう! 一刻も早く地上へ戻って帝国へ知らせたほうがいい。そのほうが、お義兄さんにも一番いい投降条件を用意できます!」
女悪魔は嬉しそうに笑った。
三人は話を交わしながら野営地へ近づいていき、その後ろを数十体の石炎魔もゆっくりとついてくる。
巨大な怪物たちが野営地へ近づいた時も、ドゥノは特別に攻撃禁止を命じた。余計な誤解や衝突を起こさないためだ。
恐ろしい巨大怪物が味方になったと聞かされた人々は、長らく張り詰めていた不安からようやく解放された。
死地から逃れられると知り、堪えきれず小さく泣き出す者までいる。
野営地には安堵と歓声が広がった。
そんな和やかな空気の中。
突然、ドゥノは背中を軽く叩かれた。
振り向く。
そこにいたのは、あの女悪魔だった。
笑顔は相変わらず艶やかだった。
ただし、その奥には背筋が凍るような残忍さが滲んでいる。
「上を見て」
言われるまま、ドゥノは反射的に顔を上げた。
そこには、溶岩の熱気を纏った途方もなく巨大な掌が――
轟音とともに振り下ろされた!
老軍人は一瞬で、潰れた肉塊へと変わった。
同時に。
野営地へ無事入り込んでいた数十体の石炎魔が、一斉に殺戮を始めた!
皇家冒険団の団員も、冒険者も、完全に不意を突かれた。
死の直前に上げることができたのは、恐怖に満ちた悲鳴だけだった。
第十層迷宮の野営地は、たちまち血肉が飛び散る灼熱の地獄へと変貌した!
「こ、これは……どういう……どうして……?」
突然の変化に腰を抜かし、その場へへたり込むグリフィス。
感情を何度も天から地へと叩き落とされ続けた彼には、もうすべてが夢の中の出来事のように感じられていた。
恐怖が限界を超え、呆然と同じ言葉を繰り返すことしかできない。
高熱のエネルギーが立ち込め、もはや元の姿さえ残していない洞窟の中。
ドロシーは血と肉片、千切れた手足を踏み越えながら歩いてくる。
背後の骨と血の翼を大きく広げ、興奮に頬を赤く染め、鮮やかな笑顔を浮かべながらグリフィスのそばまでやってきた。
そして楽しそうに、小声で囁いた。
「あなたって、私に一番優しくて、いつも助けてくれるんでしょう?」
「だったら、もう少しだけ手伝って。これから先、各階層の野営地にいる人たちも、みんな殺してね」
「そうしたら、あなたの命だけは助けてあげる……あはははは!」
楽しげで狂気に満ちた笑い声。
怒号と断末魔の叫び。
それらすべてが、数十体の石炎魔による一撃、また一撃の無慈悲な殺戮の中で、さらに激しく、さらに大きくなっていった。
そして――
第十層迷宮から、すべての声が消えた。




