63.開始
光と闇が幾度か入れ替わった、ある朝。
準備を整えた数千人からなる大部隊が、晴れ渡る空と穏やかな風の中、希望町を出発した。多くの町民や商人、そして参加に間に合わなかった冒険者たちが、熱のこもった憧れの眼差しでその姿を見送っている。
だが、彼らを応援する者ばかりではない。外からやってきた傭兵団や素性の知れない者たちの中には、値踏みするような目で大部隊が去っていくのを見つめる者も少なくなかった。
道中、これほどの大軍勢を目にした魔獣や邪悪体が行く手を阻むことはなく、せいぜい遠巻きに様子を窺ってから立ち去る程度だった。
その日の夜、冒険者たちは無事に前線野営地へ到着し、簡単な休息を取った翌日には、そのまま迷宮城へ向けて出発した。
死亡峡谷が、はっきりと視界に入る。
遠目には閉じ合うように狭く見える入口も、実際には途方もなく巨大で、飛空艇や巨獣ほどの大きさであっても難なく通れるほどだった。
さらに奥へ目を向ければ、上には天を突く幾重もの断崖がそびえ、下には底の見えない暗黒の深淵が口を開けている。そして断崖の先には、崩れかけた巨大な古代宮殿が静かに建っていた。
ログラムは足を止め、次第にその名を知られるようになってきた新たな迷宮城を眺めながら、隣にいる老冒険者と話を続けた。
「今回、皇家冒険団は、ほかの二つの迷宮城に事後処理のため残した者を除き、ほぼ全員がここへ集まっています。攻略組が千二百人、探索組が三百人、後勤組が二千人。さらに募集した冒険者を加えて、総勢およそ五千人……」
同じように周囲を観察していた老バダは、わずかに眉を寄せ、何度も周囲の空き地や遠くの岩壁へ視線を向けていた。
以前ここを攻略した経験のある彼は、なぜか説明のつかない違和感を覚えていた。
だが、いくら注意深く見ても異常らしい異常は見つからない。ただ、以前訪れた時とは何かが違うような気がしてならなかった。
若い頃は冒険者だったログラムも観察力は鋭い。老冒険者の様子に気づくと、すぐに低い声で尋ねた。
「……老バダさん、何か異常でも?」
「静かすぎる。前は少なくとも、もともとここに棲んでいた生き物や、腐肉を漁る小動物くらいは見かけた。ここは蒼藍帝国から壊死の大地、死亡峡谷と呼ばれてはいるが、生き物が完全に絶えたわけじゃない」
それを聞き、そばにいたディアドラとミユナも周囲を見回し始めた。
老冒険者の視線を追ってしばらく観察したあと、ログラムは前線野営地の責任者を呼んで事情を確認し、自分でも考えを巡らせる。
「後勤組が本隊より先に出発し、この数日で何度にも分かれて大勢が入ったせいではないでしょうか。ここへ来る途中でも、魔獣や邪悪体はほとんど見かけませんでした」
「それに老バダさん、考えてもみてください。皇家冒険団はここでかなり長く活動しています。知性種族の気配はすでにこの一帯に染みついている。あの巨大な宮殿にさえ、今ではいくつもの明かりが設置され、以前の陰気で暗い環境とはまるで違う。生き物や小動物も、怯えて逃げたのかもしれません」
今のところ、それ以上の異常を見つけられない老バダは、ひとまずその説明に頷くしかなかった。ただし、その疑問だけは胸の内に留めておいた。
老冒険者が自分の説明に異を唱えなかったことで、ログラムは内心少なからず得意になっていた。
人前ではともかく、この新任団長は老バダをかなり高く評価している。何しろ彼は、ここ数十年で生体迷宮を再び突破した、数少ない名の知れた冒険者の一人なのだ。
「では老バダさん、先ほどの話に戻りましょう。これほどの人員を揃えても、鎌蜘蛛と空中に架かる石の道という特殊な地形のせいで、さらに奥への攻略が難しい。何か良い方法はありませんか?」
「いくつかある。だが、お前たちには向かん」
その言葉に、周囲にいた皇家冒険団の指揮官たちはたちまち不満を顔に浮かべ、ざわめき始めた。
だが老バダは気にも留めず、なお周囲を観察し続けている。そのざわめきの中、大部隊は巨大宮殿を抜け、第一区域の迷宮へと入った。
道中、後勤組の案内を受けた大部隊はすぐに第一区域を通過し、空中の石道へと辿り着いた。
ログラムは洞窟の出口に立ち、初めて目にする戦場を見渡しながら、頭の中でさまざまな攻略法を組み立てていた。それでもやはり、実際にここを経験している老冒険者の意見を重視していた。
「それでも聞かせてください。実行できなくとも、参考にはなります」
後ろにいたミユナも期待に満ちた表情を浮かべていた。
自分だったら、この行く手を阻む難所をどう攻略するのか。彼女も考えたことがある。
力は大半の問題を乗り越えられる。だが、力で乗り越えられない問題は、知恵によって解決できる。
何度も尋ねられ、違和感の正体を考えていた老バダも思考を中断させられた。仕方なく胸の疑問をいったん脇へ置き、新任団長に自分の考えを話し始める。
そこにためらいはなかった。攻略法など隠すような秘密ではない。ただ本当に、相手が採用するとは思っていなかっただけだ。
「鎌蜘蛛は、変異種を除けば一体一体がそこまで強いわけじゃない。厄介なのは、この空中の石道という特殊な地形だ。だが、冒険者の側も地形を利用できる」
「地形?」
話を聞いていた者たちだけでなく、ログラムまで疑問を口にした。
「見れば分かる。鎌蜘蛛は迷宮城の主が空中の石道に配置した守衛だ。侵入者を妨害し、狙い撃ちし、各階層の迷宮を迂回して中枢へ直接向かうのを防ぐためにな」
その結論自体は、皇家冒険団も以前から推測していた。珍しい話ではない。
だがログラムは遮らず、皆に続きを聞くよう合図した。
「前に俺は、あいつらの行動をわざわざ観察した。鎌蜘蛛は冒険者が洞窟の中へ入ると、基本的にはそこまで追ってこない。おそらく迷宮城の主が、守衛同士で縄張りを奪い合って消耗しないよう、そういう仕組みを設けていたんだろう」
「魔獣や邪悪体は、その性質上、ほかの生き物と共存できないものが多いからな」
ここまで聞けば、ログラムにも老バダの考えは分かった。
しかし彼は、残念そうな表情を浮かべる。
「分かりました。その制限を利用して、空中の石道と洞窟を何度も出入りし、鎌蜘蛛を誘い出して倒していくということですね。この迷宮城にはすでに主も守護者もおらず、守衛の大半は状況に応じてやり方を変えられない。すべて排除してしまえば、自然と脅威ではなくなる」
ログラムの説明を聞き、ミユナもようやく理解した。迷宮城そのものの規則を利用して攻略するという方法もあるのだ。
そして同時に、なぜ師が「お前たちには向かない」と言ったのかも分かった。
皇家冒険団には、そこまで時間をかける余裕がない。
とはいえ、今すぐ窮地を救う方法にはならなくとも、一体でも鎌蜘蛛を減らせるなら意味はある。
ちょうど今から空中の石道を渡るところでもあり、ログラムはすぐに試してみることにした。
大勢の中から、いくつかの小隊がすぐに編成された。
まず囮役の小隊が空中の石道で物音を立てる。
すると狙い通り、大量の鎌蜘蛛がすぐさま襲いかかってきた。
囮役は素早く洞窟へ退き、盾を持つ小隊が前線を支える。その後方から、遠距離攻撃を担当する小隊が弓、魔法、神術、魔導製品を用いて迫る鎌蜘蛛を仕留めていった。
戦闘は長く続かなかった。鎌蜘蛛の群れは実際、すぐに攻撃を諦め、奇妙な鳴き声を上げて退いていった。
その様子を見届けたログラムと皇家冒険団の指揮官たちは、喜びを隠せない。効果は明らかだった。
いくつかの小隊で負傷者こそ出たものの、死者は一人もいない。これなら確かに、鎌蜘蛛を効率よく減らせる。
だが、ログラムはそれでも満足しなかった。
帝国からの命令が、今も彼の頭上に重くのしかかっている。
「老バダさん、もっと速い方法はありませんか?」
「さらに速くしたいなら、飛空艇を出せ。上にあるあの古代宮殿を直接飛び越えて、空中の石道がある区域へ入るんだ」
「巨大な標的として鎌蜘蛛を引きつければ掃討も速くなる。それどころか、いくつもの迷宮を飛ばせる可能性もある。運が良ければ、そのまま下にある中枢を直接狙えるかもしれん。危険は大きいがな」
それを聞き、先ほどまで期待を浮かべていたログラムも苦笑するしかなかった。彼は首を横に振り、不可能だと示す。
飛空艇は、鋼鉄の玉座が生み出した最新にして最強の魔導製品だ。まさに現代の技術と魔法の結晶とも呼べる存在であり、竜と飛鳴の地を除く四大国もそれぞれ購入している。
だが建造費も維持費も非常に高く、さらに大量の資源を投じて専門の整備班を雇う必要がある。
そのため、鋼鉄の玉座そのものを除けば、最も富裕な蒼藍帝国でさえ三隻しか保有していなかった。
一隻は近衛騎士団の所属で、女皇専用。
一隻は飛翼騎士団の所属で、普段は商隊の護衛を担い、海商騎士団とともに海へ出る時にのみ運用される。
未知の海がもたらす危険は陸地に劣らず、むしろそれ以上ですらある。まして交易航路では、海の魔王が支配する迷宮城の近くを通らなければならない。
そして最後の一隻は鉄壁騎士団の所属で、各地へ迅速に駆けつけて領土を守り、大量の魔獣や邪悪体が突然現れた際、帝国への被害を防ぐために使われている。
だからこそ、老バダが飛空艇を持ち出した時、ログラムは困ったような苦笑を浮かべたのだ。
飛空艇はどれも帝国の切り札と言える兵器であり、皇家冒険団に動かす権限などない。
情報が完全に揃い、任務内容も明確なら申請できる可能性はある。だが今はまだ、未知の迷宮城を探索している段階だ。これほどの危険を冒して飛空艇の出動を申請する者などいなかった。
攻略中に何が起こるかは予測できない。
補給や休息の難しさ。峡谷を吹き荒れる乱流と強風。鎌蜘蛛の粘つく腐食性の糸。そして驚異的な跳躍力。それら未知の危険だけでも、貴重な飛空艇を失うには十分だった。
そこまで高価なものを危険に晒すくらいなら、蒼藍帝国は五千人の命を使って一つの可能性に賭ける方を選ぶかもしれない。
「飛空艇が使えず、それでも攻略を速めたいなら、命で払うしかない」
老バダは表情一つ変えず、ひどく冷酷な案を口にした。
この提案を実行すれば、多くの冒険者が死ぬことになる。それは彼自身も分かっている。
だが、攻略に参加する者ならば、最初から死を覚悟しているべきだとも考えていた。
「皇家冒険団が人員の損耗を無視して普段通り補給を続け、そのうえで毎日、専用の小隊を組んでさっきと同じように鎌蜘蛛を誘い出して仕留める。そうすれば攻略の進度を落とさず、空中の石道にいる守衛も着実に減らせる」
「ある程度まで減らせば、空中の石道の安全を確保できる。守衛にはそれぞれ縄張り意識があるからな。死亡峡谷にまだ大量の鎌蜘蛛が棲んでいたとしても、この迷宮城にはもう主も守護者もいない」
「命令がなければ、鎌蜘蛛が短期間で勝手にほかの区域へ移ることはない。中核となる戦力さえ温存しておけば、機を逃さずそのまま下へ攻略を進められる」
欠点は、初期段階で大量の犠牲者が出ることだった。
しかも死ぬ者の大半は、間違いなく募集で集められた冒険者になる。
さらに時間が経ち、鎌蜘蛛の数が再び回復すれば、同じことをもう一度繰り返さなければならない。
最後の欠点については誰も口にしなかった。
だが、この場にいる者は全員分かっている。
この方法については、もはや考える必要すらない。
これが唯一の答えだ。
幸い、皇家冒険団には――誰を死なせるかを選ぶことができる。
冒険者であるミユナが複雑な表情を浮かべる一方、人混みに紛れていたディアドラは眉間に深い皺を寄せ、沈んだ顔をしていた。
これは、少数の命と引き換えに、多数の命と未来を守る方法だ。
だが、最初の犠牲者になりたい者などいない。誰もが最後に実る甘い果実を手にする側でありたい。
光神の偉大なる無私さえ、この場では公平とは呼べなかった。
ここで当てはまるのは、闇神の冷酷無情だけだった。
「光神は万能ではない。この問題は解決できないし、自ら犠牲になろうとする者もいない」
「なら……私なら、できる?」
「だが、光騎士の第一原則は無意味な犠牲を認めていない。それに私は、潜んでいる悪魔を滅ぼすために力を残しておかなければならない。そうしなければ長い目で見て、さらに多くの命がこの迷宮城に葬られる。危害が外へ広がる可能性さえある」
「光神はここではその偉大さを示すことができない。それなら私は、闇神の在り方に従ってみるべきなのかもしれない……」
そこまで考えた瞬間、ディアドラははっと我に返った。
まるで何かに惑わされていたところから、突然目を覚ましたかのようだった。
彼女は首を振り、これまで歩んできた道から外れかけた考えを振り払おうとする。
だが、血族に精神を侵されたことで残った後遺症は、禁忌に触れる思考を絶えず心の奥から引きずり出してくる。影のようにつきまとい、どうしても消えてくれない。
その清らかで美しい顔にも、次第に冷たく決然とした色が浮かび始めた。
同時に、誰にも気づかれぬまま、小さな闇の粒子が一つ、また一つと静かに現れ、心に衝撃を受けている光騎士の身体へ音もなく溶け込んでいった。
双子は、もとより正と負が互いに寄り添う存在なのだ。
一方、部隊は何度か鎌蜘蛛を誘い出して仕留めながら、空中の石道を素早く通過していった。その後も続く数層の迷宮を同じように順調に抜けられたことで、ログラムは第三の案が実行可能だという確信をさらに深めていた。
攻略の初期段階では、帝国が報酬をさらに引き上げ、補給や鎌蜘蛛の誘殺を行う冒険者を募集すればいい。
そのうえ各方面に懸賞を出し、鎌蜘蛛をより効率よく倒す方法を募ることもできる。空中の石道が本当に安全になったあとで、皇家冒険団の後勤組へ戻せばいいのだ。
それなら攻略そのものを止めずに済む。
蒼藍帝国には人が足りない。金も足りない。冒険者も足りない。
だが、豊富な資源と報酬だけは不足していなかった。
今回は本当に適任者を呼べた。
大きな収穫があったと感じたログラムが、老バダへ礼を述べようとした、その時だった。
突如、迷宮全体が揺れた。
激しいものではない。
だが、その場にいた全員が、足元の大地が震えていることをはっきりと感じた。
「地潜り虫だ!」
揺れだけで、経験豊富な老バダが真っ先に正体を見抜いた。
震動は長く続かず、すぐに収まった。
その時点で先頭を進んでいた数百人の精鋭は、すでに第五層の迷宮まで一気に進んでいた。一方、ほかの部隊はまだ第三層と第四層におり、先ほどの方法を使いながら順次通過している最中だった。
突然の異変に、ログラムは老バダへ礼を言うどころではなくなった。
表情を引き締めると、すぐに探索組と後勤組へ調査を命じ、自身は攻略組とともにその場へ残って警戒しながら報告を待った。
それほど時間もかからず、慌てた様子の団員が駆け込んでくる。
「団長! この階層に突然、新しい通路ができています! 探索組の初期判断では、地潜り虫が掘り残したものと思われます!」
「地潜り虫か……なぜ、このタイミングで……」
ログラムは訝しんだ。
偶然にしては、あまりに出来すぎている。
各階層の野営地には結界が張られているため、奇襲を受けても対応できないという心配はない。だが以前まで、地潜り虫のような魔獣はほとんど姿を見せていなかった。
「老バ……」
もう一度意見を求めようとして、ログラムはようやく気づいた。
隣にいる老冒険者の顔色が、ひどく悪い。
驚愕、困惑、疑念、そして信じられないという感情が、次々とその表情をよぎっている。額には幾筋もの冷や汗まで浮かんでいた。
やがて老バダは周囲の者を無視するように、そばに突き出していた岩へ腰を下ろした。
前屈みになって地面をじっと見つめ、何かを考え込みながら煙管を取り出し、激しく煙を吸い始める。
老冒険者の突然の行動に、誰もが戸惑った。
皇家冒険団の精鋭部隊は、その場で待つほかなかった。
数人の指揮官が事情を聞こうと近づきかけたが、団長のログラムがそれを止める。
そして威厳ある新任団長は一同を見回し、老冒険者の思考を邪魔せず、いつでも戦えるよう準備しておけと合図した。
自身も腕を組み、目を閉じて考え始める。
地潜り虫によるこの異変は――何かがおかしいということだ。
迷宮城は、無秩序で混沌とした野外とは違う。突発的な事態など、ほとんど起こりようがない。ならば説明は一つ。
自分たちは、何かを見落としている。
数百人からなる先頭部隊の精鋭たちは、広い洞窟の中で静かに警戒を続けながら、ただ待つしかなかった。
だが、彼らがどれほど知恵を絞ったところで、想像できるはずもない。
死亡峡谷のさらに下。
極めて人目につきにくい地下河川の中で、外套をまとい、金色の髪を無造作になびかせる女が一人、巨大な光球を通して空中の石道で行われている誘殺を眺めていた。
鎌蜘蛛が一体、また一体と誘い込まれ、仕留められていく。
「計画を狂わされた……老バダ、これはあなたが考えた方法なの……?」




