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4.蒼藍帝国

 小さな騒ぎはすぐに過ぎ去った。


 長い旅の中では、こうした出来事も一つの気晴らしにすぎない。冒険者たちは、長い待機や準備にはとうに慣れていた。


 それから十数日後。


 輸送隊は広大な山道や川、原野を越え、ついに帝国辺境へと到達した。


 大型輸送獣車は坂を上り、山の稜線を進んでいく。


 そして最後の丘を越えた時には、多くの冒険者がすでに立ち上がり、遠くの景色を眺めていた。


 それまで広がっていたのは、緑の雑草と、ところどころに木々の茂る自然の風景だった。


 だが視線の先、その景色はある地点から徐々にまばらになり、代わって灰褐色の荒涼とした死の色が次第に濃くなっていく。


 まるで壊死していくかのように、その色はどこまでも広がり、地平の彼方まで続いていた。


 壊死したような大地のさらに遠くには、雲を突き破り、天地を貫くほど巨大な二つの山脈が見える。


 天を覆う壁のように視界へそびえ、その狭間に生まれた無数の峡谷は高低差も奥行きも深く、まるで神霊の偉大な力によって大地そのものが切り裂かれたかのようだった。


 緑の大地と壊死の大地との間には、大きな湖や泥濘の沼地もいくつも点在している。


 巨大な山脈に近づくほど、その水の色は奇妙さを増していた。


 濁り、深く沈んだ色合いは見る者を不安にさせ、水面の上では屍を漁る鳥の群れが鳴きながら何度も旋回している。


 幸いにも、遠くに広がる異様な灰褐色の荒野とは違い、山の稜線を下った先には地形の平らな巨大な緑の原野が広がっていた。


 そこには、確かな生命の気配がある。


 こここそが蒼藍帝国辺境の最前線。


 壊死の大地。


 そして、皇家冒険団の駐屯地だった。


 まだ山の稜線を進んでいる段階でも、冒険者たちには野営地の様子がはっきり見えた。


 内部はすでにかなり整備され、規模も大きい。


 いくつもの大きな区画へ整然と分けられ、その外周には簡単な防壁と見張り塔まで築かれている。


 大勢の人間が絶えず行き交っており、辺境とは思えないほど活気に満ちていた。


「ふわぁ! やっと着いたな。少しくらいゆっくり休ませてほしいぜ」


「はっ! そりゃ誰だって休みたいさ。ただ、ここにちゃんと……」


「何でもいい! 酒だ! 肉だ! それくらいは最低限あるだろ!」


 ようやく目的地が見えてきたことで、ひと月近く獣車に揺られてきた冒険者たちは、今にも歓声を上げそうなほど浮き立っていた。


 前方で車を操っていた送迎要員も、無事に今回の仕事を終えられそうだと安心したのか、後ろから聞こえてくる声に笑いながら説明する。


「冒険者の皆さん、ご安心ください。帝国も迷宮城の攻略が長期任務になることは考慮しております。皆さんに十分力を発揮していただけるよう、宿泊、食事、酒場、そのほか各種の需要についても、すでに準備を整えてあります」


 それを聞いた冒険者たちの中から、とうとう大きな歓声が上がった。


 この後どう過ごすかを、早くも熱心に相談し始める者までいる。


 だが大型輸送獣車の片隅では、最も経験豊富な老バダだけが考え込むような顔をしていた。


「軍を使って野外を掃討しただけじゃなく、辺境の建設にまでこれだけ力を入れている……蒼藍帝国は、新しい迷宮城を攻略するついでに、この辺りを開拓するつもりなのか?」


 老バダが小声で呟く。


「それとも、新しい迷宮城の攻略が難しいから、最初から長期駐屯を考えてるんじゃないか?」


 別の、やや悲観的な冒険者も話に加わった。


「あるいは、この辺境に蒼藍帝国が長期駐留するだけの価値がある素材や資源でもあるのか? 壊死の大地は別として、ほかの方角はなかなか見込みがありそうだ。魔獣や邪悪体もかなり棲んでいそうだしな」


 何人かのベテラン冒険者が低い声で意見を交わしたものの、結論は出なかった。


 やがて彼らの視線は、そばにいるカルロへ向けられる。


 彼が今回の臨時リーダーに選ばれた理由の一つは、蒼藍帝国出身の冒険者であり、隊の中でも古くからこの土地を知る人間だったからだ。


 経験を積んだ冒険者たちは、丸顔の青年のように適当な話で誤魔化せる相手ではない。


 しかも、ここには名の知られた老バダまでいる。


 カルロも下手に隠すつもりはなく、あっさりと口を開いた。


「ははは、別に秘密ってわけでもない。少し説明してやるよ」


「帝国は、ここだけ特別に建設してるわけじゃない。新しい迷宮城や禁忌の地が見つかるたびに、これくらいの人員と資源は投入する。この程度の出費なら、帝国にとって大した額じゃないんだ」


 そこまで話すと、カルロの顔には地元の人間らしい誇らしさがわずかに浮かんだ。


「蒼藍帝国が五大国で最も豊かな国だってのは、前から聞いてる。そうじゃなきゃ、こんな遠くまでわざわざ任務を受けに来た意味がないからな」


 軽く持ち上げてから、一人の冒険者が続けて尋ねる。


「とはいえ、いくら金があっても、わざわざ湖へ投げ捨てたい奴はいないだろ。それが商売上手で知られる蒼藍帝国ならなおさらだ。じゃあ、これだけの人員と資源を投入する理由は何なんだ?」


 カルロは心の中で、その冒険者を少し評価した。


 話しやすいように上手く水を向けてくれる人間は、やはりありがたい。


 さすが、各地を渡り歩いてきたベテランというところだった。


「それを話すとな、実は帝国の弱みにも関係してくる」


 カルロの声が少し低くなる。


「みんな知ってる通り、混沌時代の崩壊からおよそ千年。知性種族はようやくシロ大陸で勢力を伸ばし、次々と五大国を築いた。最大の勢力と領土、そして数を持つ種族になったわけだ。もし数十年前の『血染めの薔薇事件』がなければ……」


 そこまで聞いたところで、老バダが二度ほど咳払いした。


 ほかの経験豊富な冒険者たちも、何も聞かなかったかのように視線をあちこちへ逸らし始める。


 失言したことに気づいたカルロは、慌てて少し離れた女性冒険者たちの車へ目をやり、すぐに言い直した。


「……五大国が急速な拡張を止めたのと同時に、自分たちに足りないものも見えてきた」


「シロ大陸はあまりにも広い。今になっても、人間とほかの知性種族を合わせたところで、まだ全土を探索しきれていない。半分にも届いていないかもしれない。それに、混沌時代から残る大量の迷宮城や禁忌の地、未知の海外諸島まである」


「そんな俺たちの知らない土地には、今でも大量の魔獣、野盗、邪悪体、それどころか悪魔種族まで存在していて、絶えず繁殖し、勢力を広げ続けている。どれも知性種族が生きていく以上、向き合わなければならない脅威だ」


 一人の冒険者が、だんだん面倒そうな顔になってカルロの話を遮った。


「カルロ、歴史の話はもういいって。その手の話なら詩人どもが歌いすぎて、酒まで不味くなるほど聞かされてる」


 せっかく乗ってきたところを遮られ、カルロは相手を一瞥した。


 先ほどの冒険者のように、誰もが話に乗ってくれるわけではない。


 仕方なく、要点だけを簡潔に続ける。


「つまりだ。蒼藍帝国はほかの四大国と比べて、唯一の海上航行能力と強大な交易力を持ってる。それに五大国の中でも比較的中央に位置しているから、交易路を通じて大量の共通金貨を稼ぐことができる」


「だがその一方で、ほかの国と比べられるような決定的な戦力に欠けている。だからこそ、迷宮城や禁忌の地を特に重視しているんだ」


「そこから未知の秘宝、古代魔法、失われた技術、特殊な素材や資源を手に入れられれば、帝国にとって大きな助けになる。金を余計に使ってでも、遊騎兵ギルドを通さず大量の冒険者を雇うのは、そのためだ」


 実際には、もう一つ隠れた理由があった。


 金を払って他人に命懸けで道を探らせるなら、自国の戦力を失うより、他国出身の冒険者が犠牲になる方がましだ。


 だが、その点まで口にするつもりはない。


 少し間を置いた。


 話を聞く者たちの興味がすっかり引き出され、ほとんどが集中しているのを見て、カルロは片手を強く握りしめ、さらに熱を込めて声を張り上げた。


「だからな! 告知に書かれていた豪華な褒賞は全部本物だ! 任務さえ達成すれば、金も、権力も、地位も……蒼藍帝国なら手に入る!」


 勢いよく演説を終えると、カルロは忘れずに、隅で黙って座っている男へ笑って話を振った。


「そうだろ? 従男爵様」


 呼ばれて顔を上げたヴィンセントは、周囲を見回した。


 そして、真剣に頷く。


「本当だ」


 いつの間にか、人の輪は最初の数人だけではなくなっていた。


 目的地へ着くことを喜んでいたほかの冒険者たちまで、すでに周囲へ集まっている。


 ヴィンセントの答えを聞いた途端、大勢が興奮して話し始めた。


 カルロの話なら疑う者がいたとしても、ヴィンセントの言葉を疑う者はいなかった。


 普段口数の少ない人間ほど、いざ口を開いた時の言葉には重みがある。


 それに何より、ヴィンセントは実際の功績によって従男爵の地位を得た冒険者なのだ。


 階級そのものは、それほど高く聞こえないかもしれない。


 だがヴィンセントは、あと一歩で正式な帝国貴族となる。


 そうなれば、実際の領地を世襲できるだけでなく、法律や税制をはじめとした数多くの優遇を受けられる。


 いつかは、自分たちの依頼主になる可能性すらあった。


 野営地へ近づけば近づくほど、冒険者たちの期待は抑えきれなくなっていく。


 大型輸送獣車の上が興奮と騒ぎに包まれる中、ジェットがそっとヴィンセントのそばへ近づいた。


 緊張した表情で、小声で尋ねる。


「ヴィンセント……兄貴。もし貴族になったら、その……ドロシーも貴族になるのか?」


 何も言わずにいる無骨な顔から、静かな圧力が漂っていた。


 ヴィンセントはジェットへ視線を向け、短く答える。


「何もなければ、今回の任務が終わった後、俺は男爵になる」


 ヴィンセントが男爵になれば、妻とその妹も当然、貴族の身分になる。


 それを聞いたジェットの顔から、少し血の気が引いた。


 彼の実家はそれなりに裕福ではあるものの、しょせんは中小規模の商人の家だ。


 貴族の娘と結ばれようとするには、かなり距離がある。


 特に蒼藍帝国では、その壁はより高かった。


 だが落ち込んだのは、ほんのしばらくだった。


 ジェットはすぐに気を取り直す。


 実家の商売を通じて、新興貴族は金の支援に困ることが多いと知っていた。


 何もない新しい領地を一から作り上げるには、長い年月と大量の物資が必要になる。


 もし自分の家の商隊が力を貸せるのなら、ヴィンセントも自分とドロシーが付き合うことを認めてくれるかもしれない。


 そう考えると、ジェットにはまた勇気が湧いてきた。


「ヴィンセント兄――」


 だが、言葉を口にした直後。


 丸顔の青年は、灰白色の髪の下から向けられる鋭い眼差しに気づいた。


 じっと見据えられているような感覚が生まれ、胸の奥に緊張と恐怖が走る。


 続きの言葉をまともに口にすることすらできず、ただ呆然と、相手から告げられる言葉を聞いた。


「俺はお前の兄貴じゃない。俺に近づくな。ドロシーにも近づくな」

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