3.ヴィンセント
女性冒険者たちは誰一人として止めようとせず、むしろ面白がって騒ぎに加わっている。
それを見た男性冒険者たちもますます調子に乗り、囃し立てる声は次第に大きくなっていった。
いつの間にか、蒼藍帝国の送迎要員まで何人か集まってきている。
大勢の注目を浴びていることに気づいたジェットは、途端に怖気づいた。
先ほどまで奮い立っていた血気と勇気も徐々に萎み、手にした長剣さえまともに握れなくなっていく。
丸顔の青年がどうするべきか決めきれずにいると、少し焦ったような女の声が聞こえてきた。
「みんな、ジェットをいじめないで。彼はまだ新人の冒険者なの」
「アンダ、何かあるなら落ち着いて話そう? まずジェットを下ろして。怪我をさせないで」
哀れむようなその助け舟は、普段から想いを寄せている女性の口から出たものだった。
淡い桃色の肩まで届く髪が揺れ、その下には緊張と憐れみを浮かべた可愛らしい顔がある。
それが目に入った瞬間、ジェットの胸に怒りが一気に込み上げた。
まるで我を忘れたかのように大声を上げ、長剣を勢いよく後ろへ振るい、自分をつかんでいる大きな手へ斬りつける!
鋼鉄と血肉が激突した!
だがジェットが感じたのは、剣を握る手のひらへ返ってきた凄まじい反動だった。
父親の店からこっそり持ち出してきた長剣が、力任せに弾き飛ばされる!
女野蛮人の太い腕に残ったのは、浅い白い痕が一本だけだった。
本当に手を出したのを見て、周囲は一瞬静まり返った。
次の瞬間、爆発するような大笑いが巻き起こる!
「ははは! 俺は何を見た? 今、何を見せられたんだ? 旅が退屈だからって、神霊が俺たちに見世物の道化を寄越してくれたのか?」
「まあ! 本当にまだ子供なのね。敵に血の一滴すら流させられないなんて、可愛すぎるわ! ははは!」
「能量を扱う最も基本的な『技巧』すら、まともに身につけていないのか。蒼藍帝国は今回、冒険者を選ぶ基準がずいぶん適当だな……」
騒ぎが始まってからずっと黙って見ていた老バダは、安酒を一口飲むと、隣にいるカルロへ低い声で評価を口にした。
「この若者……今回の探索任務で、最初の犠牲者になりそうだな……」
腕を組んでいたカルロは、周囲から次々と聞こえてくる評価に顔を曇らせた。
彼自身、帝国とのつながりがあるという理由で今回のリーダーを任されただけだ。
老冒険者へ、小声で返す。
「仕方ないさ。自分でこの任務を引き受けた以上、自分の命には自分で責任を持つしかない。冒険者ってのは、そういうものだ」
周囲の議論や笑い声が飛び交い、騒ぎが収まるどころか、ますます大きくなりかけていた時。
一人の送迎要員がヴィンセントのそばまでやって来て、緊張した様子で小声をかけた。
「あ……あの、従男爵様。お、お力を貸していただけませんか? 辺境へ到着する前に一人でも欠けたら、皇家冒険団の方々に私たちが叱責されてしまいます」
話しているうちに、送迎要員の不安はますます強くなっていった。
冒険者の多くは、長年危険な野外で命を懸けて暮らしている。そのため気性の読めない者も少なくない。
だからといって、事態が悪化するのを放置するわけにもいかなかった。
仕方なく彼は、帝国で功績を立て、従男爵となっている唯一の冒険者に助けを求めたのだ。
その送迎要員の背後。
本人は気づいていなかったが、ドロシーが冷たい眼差しでこちらを睨んでいた。
何も言わず、ただ事の成り行きを見ていたヴィンセントは、頼みを聞くと、ドロシー、ジェット、アンダの三人へ素早く視線を走らせた。
少し考えてから、頷く。
「今夜、追加の食事を」
「つ、追加の食事……あっ! はい! もちろんです! 従男爵様が満足されるまで必ずご用意します。どうかお願いします!」
送迎要員から確約を得ると、ヴィンセントは周囲の視線も、ドロシーの制止も気にすることなく、大股で騒ぎの中へ入っていった。
その頃アンダは、まだ言葉で新人を嘲り、怒らせ続けていた。
丸顔の青年がもう少し賢ければ、自分から任務を降りるだろうと考えていたのだ。
だが同時に、誰かがこちらへ近づいてくる気配も敏感に察知する。
顔を向けると、近づいてきたのは、隊の中でいつもか弱い女を演じているあの女の義兄だった。
女野蛮人は興味深そうに相手を眺める。
灰色の短髪には、わずかに白いものが混じっている。
痩せた輪郭の顔は無骨で硬く、そこに残る細かな傷痕が、これまで経験してきた大小さまざまな死闘を物語っていた。
顔立ちそのものは特に目を引くものではない。
だが他人の目をまっすぐ見返すその双眸には、揺るがないものが感じられた。
淡泊な表情と合わさることで、こちらをじっと見据えられているような感覚を覚えさせる。
人間としてはそれなりに背が高い。
それでも女野蛮人の胸元ほどまでしかなかった。
従男爵という身分でありながら、身につけているのはごく普通の冒険者用の布衣と軽鎧だけ。
露出した前腕や肩、首筋にはくっきりとした線が走り、うっすらと筋肉が盛り上がっている。
日頃から身体を鍛えていることは明らかだった。
「へえ……お義兄さんか。ドロシーが一日中あんたのことを呼んでるのも分かるね。こうしてよく見れば……なかなかいい男じゃないか」
「どうした? このひよっこの肩でも持ちに来たのか?」
アンダは片手でジェットをつかんだまま身体を向け、やって来た男を前にしても、相変わらず余裕たっぷりに言った。
その途端、周囲の笑い声が消えた。
先ほどまでのものが新人への洗礼だとすれば、今は経験を積んだ冒険者同士の対峙である。
任務が始まる前から、頼りになる仲間を失いたい者などいない。
野蛮人であるアンダについては言うまでもない。間違いなく、隊の中でも最強クラスの前衛戦士だった。
一方のヴィンセントも、同種の任務へ三度以上参加した経験を持つベテランだ。
どちらが欠けても、隊にとっては痛い。
空気が一気に張り詰める。
カルロは老バダへ視線を送ると同時に、女性冒険者たちの方にも合図を出した。
事が大きくなる前に、双方を引き離すつもりだった。
周囲が動き出そうとした、その時。
ヴィンセントが口を開いた。
強大な野蛮人を前にしても表情一つ変えず、平静な声で言う。
「彼を放してもらえるか? 送迎要員が困っている」
「ふっ」
アンダは小さく笑っただけで、すぐには答えなかった。
まだ抵抗しているジェットを高く持ち上げ、まるで拾い上げた小犬のように自分の顔の近くまで引き寄せる。
そして、その場の三人にしか聞こえないほど声を落とし、叱りつけた。
「小僧。辺境へ着くまでは、この任務をやめる機会がまだある。よく考えて使え」
「それから……ドロシーみたいなクソ女には近づくな」
それだけ言うと、返事を待つこともなく、アンダはジェットを男性冒険者たちの方へ放り投げた。
凄まじい力で投げ飛ばされたジェットは、空中で何度も身体を回転させる。
だが男性冒険者たちに、親切に受け止めてやるつもりなどない。
すぐに重い音が響き、続いて丸顔の青年の堪えきれない悲鳴が聞こえてきた。
誰も受け止めなかった。
起こしてやろうとする者さえいない。
あまりに情けない姿を晒したことで、ジェットは冒険者たちの目に、すっかり犠牲にしても構わない者として映るようになっていた。
迷宮城の探索中、何かあれば真っ先に見捨てられる可能性が高い。
「さて……いい男のお義兄さん。言われた通り放してやったよ。あんたは私に何を返してくれるんだ?」
ジェットを放り投げたアンダが一歩前へ出る。
今度は巨大な影が、ヴィンセントの身体を覆った。
先ほどジェットへ忠告した時、アンダはほかの者に聞こえないよう声を落としていた。
だが、すぐそばにいたヴィンセントには当然すべて聞こえている。
それでも、ドロシーを「クソ女」と呼んだことに何の反応も示さなかった。
淡泊な表情のまま、まるで何も聞いていなかったかのようだった。
「付き合ってもいい」
「付き合う? ははははは! いい男、あんた面白い奴だな!」
アンダは堪えきれず、豪快に笑い出した。
人の頭よりも大きな手のひらで、ヴィンセントの肩を何度も強く叩く。
「うわっ! ドロシー、お前のお義兄さんがいなくなっちまうぞ! 早く姉ちゃんを呼んでこい!」
「そんなにいいなら、私も新人を『教育』しておけばよかったね!」
「アンダ、一人占めするんじゃないよ!」
野蛮人の直感は、昔から非常に鋭いことで知られている。
アンダが相手を「いい男」だと言ったのなら、それが一般的な人間の意味での「いい男」ではないにしても、少なくとも悪くない男であることは間違いない。
各地を渡り歩いて暮らす彼女たちのような女性冒険者には、まさにうってつけの相手だった。
近くの男性冒険者たちは、羨ましそうな顔をする者もいれば、恐ろしいものを見るような顔をする者もいた。
ウヘなどは、いつの間にかヴィンセントへ向けて双子教会の祈りの仕草までしている。
本気で、彼が戻ってこられないのではないかと心配していた。
新しい話題ができたことで、周囲はまた騒がしくなっていく。
その中心にいるヴィンセントだけは、相変わらず表情を変えなかった。
ただ頷いて続ける。
「食事に付き合う。担当者が、今日は満足するまで食べていいと言った」
アンダは一瞬、呆気に取られた。
そして次の瞬間、再びひどく豪快な笑い声を上げる。
その声量は周囲の冒険者たちの騒ぎをあっさりかき消し、遠く野営地の外まで響き渡った。
近くで野営の準備をしていた送迎要員たちまで、思わず怯えて胸をざわつかせるほどだった。
アンダはヴィンセントへ歩み寄ると、今度は大きな手で彼の背中を何度か叩いた。
満足そうな顔で、そのまま女性冒険者たちの休憩場所へ連れていく。
「よし! 野蛮人は戦いと食事の誘いを断らない。がっかりさせるなよ」
「担当者が嘘をついていなければ、食事で人をがっかりさせたことはない」
「ははは! いい男、楽しみにしてるぞ!」
騒ぎの主役たちが去り、一連の出来事も終わった。
冒険者たちは少し残念そうにしながらも、仕方なく散ってそれぞれの仕事へ戻っていく。
送迎隊のように日常の雑務を担当する必要はないが、装備の手入れ、技巧の鍛錬、事前の準備など、冒険者にもやるべきことはいくらでもある。
プロの冒険者は、丸顔の青年のように一日中発情することだけに時間を使ったりはしない。
先ほどまでの騒ぎも、長い旅の退屈を紛らわせるための、ほんのひと時の息抜きにすぎなかった。
後ろでは、ヴィンセントが本当に女野蛮人に連れていかれるのを見たドロシーが、いつもの甘い笑顔をわずかに強張らせていた。
慌てて二人を追いかけ、すっかり話の合っているその空気へ自分も入り込もうとする。
だが、ドロシーが口を開こうとした、その瞬間。
大柄な女野蛮人が突然振り返った。
凶暴な目で睨みつけ、大声で一喝する。
「失せろ!」
戦吼ではない。
それでも、その声に乗った音波のエネルギーはドロシーを怯ませ、その場に縫い止めるには十分だった。
ほかの冒険者たちの目には、彼女はただ傷ついたような可哀想な顔で、その場に呆然と立ち尽くしているようにしか見えない。
何の反応も見せない義兄がアンダとともに休憩場所へ歩いていくのを、見送るしかなかった。
一方。
誰からも気に留められていない場所では、全身を痛めたジェットが、みっともない姿で地面に横たわっていた。
だが、想いを寄せる女性の苦しそうな姿だけは、すべてその目に焼き付いている。
胸の中を理不尽さと怨恨でいっぱいにしながら、ジェットは大きく目を見開き、遠ざかっていくアンダとヴィンセントの背中を見つめていた。




